2-2 下京 宿2
正直なところ、それを異相だと感じてしまった己に驚いた。
かつてはもっと奇抜な髪色の者もいたし、なんなら紫やピンクの髪をしたご老人が近所に住んでいるぐらいだったが、それを気に留めた事すらなかったのだ。
勝千代ですらそう思うのだから、この男の周囲はさぞ奇異の目を向けるだろう。
そういえば、同級生に純日本人なのに生来色素が薄い奴がいて、小学生の頃は人形のように可愛らしかった。むしろそれを武器にして、女子からの人気が高かった。
懐かしい友人の顔を思い浮かべながら、にこりと微笑む。
「お待たせして申し訳ございません」
上座に並んでいる男は二人。さて、どちらが松田殿だろう。
みたところ、髪色の薄いほうが上座にいるので身分は高いのだろう。だが、意図的にだろうが横並びに座っており、身なりなどからでは、はっきりと二人の立場の差を示すものはない。
例えば襲われることを警戒しているのなら、あえて下座の方に座るということもあり得る。……まあ、考え過ぎだろうが。
そして気になることと言えばもうひとつ。
「侍所の松田」と名乗ったというが、ここ京で松田と言えば、幕府奉行衆の名門松田家だ。もちろんそうでない松田さんもいるのだろうが、念頭に置いておいた方が良い。
ニコニコ笑顔の勝千代と、仏頂面の二人の男がしばらく無言で向き合い、やがて年長の黒髪のほうが渋々という雰囲気で口を開いた。
「……今朝がた、うちの山岡が迷惑を掛けたようだ」
やっぱりその件だよな。
「私どもの方では何も。少数でおりましたので、むしろ駆けつけて頂いて助かりました」
心構えはしていたので、特につっかえることもなく返答する。
「藤波様にはお叱りを受けた。京の治安の悪化については、我らも頭を悩ませておる」
「それは……一武家として、早くどうにかなればと願わずにはいられません」
会話が途切れ、非常に居心地の悪い沈黙が流れる。
おそらくはあれだ、藤波家を笠に勝千代ほうからも苦情が入ると思っていたのだろう。
それ故に、こちらよりわかりやすく身分が高い武家を用意して足を運ばせたのだと思う。
おい、いい年をした大人が子供に向ってそんな苦い顔をするなよ。
こちらは愛想よく笑っているのだから、せめて顔を顰めるのはやめてほしい。
仕方がないな、とため息を飲み込んで場つなぎの会話を続けようとした時、「失礼いたします」と三浦兄の声がした。
福島家の者たちの所作は、基本的には武家のものだ。剣道や柔道の礼法を想像してくれたら良い。
人に不快感を与えるほど荒っぽいものではないが、色々と略されている部分も多い。
京で公家の屋敷に出入りするのであれば、きちんとした所作を学んだ方が良いだろうということで、勝千代を含め幾人かは寒月様のところの侍従殿に礼儀作法を習っていた。
三浦家の兄弟もそのうちの一人で、身内びいきではなく、茶を運んでくる動きは洗練された美しい所作だ。
松田殿たちも「ほう」と感心したような顔をして、三浦が茶を差し出す動きを見ている。
……ああそうか。
彼らの言動がいまいちおかしな理由に察しがついた。
勝千代はまだ数えで十歳。年齢よりも小柄なので、もっと幼くみられることも多い。
福島家の面々も、勝千代本人もすでに慣れてしまっているが、通常であれば保護者が必要な年齢で、初対面の客人に応対するには幼過ぎるのだ。
おそらくはこれから勝千代の後見人なり保護者なりが出てくると考えているのだろう。
「三浦」
そう思われても一向にかまわないのだが、居もしない保護者を延々待ち続けられても困る。
手っ取り早く片付けてしまおうと、下がろうとした三浦を呼び止めた。
勝千代が賢しい口を利くよりも、三浦に説明させた方が早いと踏んだのだ。
「今朝の状況の説明を」
「はい」
三浦は浮かせていた腰を静かに下ろし、上座の二人に向って丁寧に頭を下げた。
この男の、嫌味に感じさせない話し方には、いつも感心させられる。ちょっと困った風に眉を下げるだけで、真に迫って聞こえるのだ。
藤波邸に到着した時には男たちは倒れていたこと。助けを求めようと丁度近くを通りかかった山岡を呼び寄せたのだが、不審に思われ番所に連れて行かれそうになったこと。更には、男たちが山岡の名を呼んで、縋りつこうとしたことまで。
特に打ち合わせをしたわけでもないが、狙い通りのポイントを強調して、さもすべて真実であるかのように話し切った。
「山岡様が何故我らを怪しいとお感じになったのか、こちらがお伺いしたいぐらいです。藤波様の御屋敷に入り込んでいた浪人たちとも顔見知りのようでしたし……」
「その浪人どもだが、おかしな話をしている。そろいもそろって、そのほうらにやられたのだと」
「我らにですか?」
三浦はいっそ見事なほどに、あっけにとられた表情をした。
「こちらは若君を含めても十人もいなかったのですが」
うまい。
正確には勝千代を除いて十二人だ。微妙な差異だが、受け取る方はおそらく十人以下の少人数、もしかしたら五人程度の護衛という印象を受けただろう。
対する浪人どもは四十近く。まともに考えると、ありえない兵差だ。
「ですが百歩譲って、我らがあの者たちを倒したのだとしても、番屋に連行される謂れはないはずです。そのあたりはどうお考えでしょう」
「御所の近くでの私闘は固く禁じられている」
「山岡さまとあの者たちが知己だという事は?」
「それは、浪人どもの言い掛かりだろう」
苦しい言い訳だな。
まあ、こちらは諍いになったと知られても構わないのだ。
何しろ「五人程度の少人数」でいたところを、「四十人もの浪人ども」から襲撃をうけたのだから。
私闘は禁じられているとはいえ、自衛のためだったという事も、藤波邸の敷地内だということもある。
ただ、連中と結託している「とある方」と関わりたくなかった。
もしかしたら、松田殿たちもその命を受けてここにきているのかもしれない。なおも勝千代をどこかへ連れて行こうとしているのかもしれない。
……面倒だ。
三浦がちらりとこちらを見たので、こっそりとアイコンタクトを交わした。
そろそろお引き取り願うとしようか。
「……松田様は山岡様と同じく我らを取り調べようとしてこちらにいらしたのですか?」
「三浦」
否定しようとする黒髪の言葉を遮って、勝千代がおっとりとした口調で三浦を窘めた。
「そんなはずはないだろう。失礼なことは言わぬように」
「はい、若君。申し訳ございません」
「配下の者が大変失礼を申しました」
「……いや」
相変わらずどちらが松田殿か定かではなかったが、ふたりは苦い表情のまま顔を見合わせた。
意に添わぬ訪問なのはお互い様のようだし、さっさと帰ってくれないかな。
「藤波様へは、私の方からも口添えをしておきます。御苦労が絶えない御様子、お察しいたします」
勝千代は普段より気持ちゆっくりと、トーンの高い声を作って言った。
もちろん内心を読まれるような真似はしていない。
しかし茶髪の方と目が合って、口を閉ざしていたこの男が、ずっと勝千代を観察していたことに気づいた。
やはりこちらが松田殿だろうなと思いながら、その明るい茶色の目をまっすぐに見返す。
「ですが、お役人と破落戸が結託しているなどという噂が出回るのは良くありませんね。町衆は神経質になっているようですから、お気を付けください」
付け火や強盗に怯え、結束を固くしている町人たちは、食いつめた武士たちが悪事に手を染める事をものすごく警戒している。
だからこその辻ごとの木戸であり、むやみやたらと厳しい通行人の監視なのだ。
脅しじゃないぞ。そんな物騒な事をするつもりなど毛頭ない。だが……流言ひとつで侍所など吹き飛びそうだな、とは思っていた。