14-3 伏見 風魔小太郎3
むしろ急務は細川管領の件ではなく、朝倉家についてだ。
あの男は意味ありげな顔をして見せただけだが、おそらく伊勢殿と朝倉とはなんらかのかかわりがあるのだろう。
朝倉家が伊勢六角につく? 頭をよぎったのはやはり応仁の乱だ。
朝倉が伊勢六角につくのなら、朝倉家の敵は細川につくだろう。
北条が今すぐ立場をはっきりさせなくとも、扇谷上杉が細川につけば、自然と伊勢側に立つはずだ。
同じように、全国のあらゆるところで対立が激化し、ふたたび戦乱の世になってしまうのではないか。
いやもとより、今が戦国の世だという認識はあった。
信長家康の時代が来る前の、戦国時代の入り口だと。
だが予期していたよりも早く、時代はノンストップで血生臭い方向に突進しているように感じる。
日本史の知識に乏しく、応仁の乱から信長の時代までに、全国を二分するような大きな戦争があったのかどうかわからない。
応仁の乱で足利幕府の力が衰え、管領や守護よりもその下で実務をしていた者たちが力をつけてきたのではなかったか?
つまりは、そんなに大きな戦はなかったように思うのだ。
詳しく覚えてもいない歴史との乖離を、今さら思い悩んでも仕方がないのはわかっている。
だが、これは起こるべきではない戦いだと、そういう認識に行きついてしまう。
「朝倉家か」
越前だよな。石川か福井のあたり。
それは勝千代にとってまったく縁のない、遠い国だった。
日本海側で雪深い国だというイメージ。生前ですら、一度も訪れたことはない。
一向一揆が起こった国ではなかったか? いやあれは加賀? ……もの凄くあやふやだ。
ぼんやりとでも記憶にあるということは、いつか起こるのかもしれないし、既に起きている事かもしれない。
永興に話を聞いてみるか?
とはいえ、簡単に電話やメールやラインで連絡を取ることができる時代ではない。
さりげない世間話から入って「それとなく」その方向に話題を向ける事が出来れば楽なのだが、そういうわけにもいかない。
永興はまだ山科近辺を回っているだろうか。ふらりと伏見まで足を延ばしたりは……しないだろうな。
ふと、脳裏を佐吉の顔が過った。
そういえばあの男。朝倉家とつながりがあるのでは? 初対面が亀千代殿の出奔の知らせだった。どうして今まで思い出さなかったのだろう。
忍びであるなら、段蔵や弥太郎のようにどこかに雇われている、あるいはお抱えとして諜報活動にいそしんでいる、と考えるのが普通だ。
商人として市井に埋没しているのは仮の姿だと知っていたのに、あまりにも自然に近づいてくるので、警戒心が薄れていた。
佐吉がどうして伏見を離れないかって? もちろんここにいる方が情報が集まってくるからだろう。
忍びである彼がその機会を逃すことの方がおかしい。
佐吉を呼ぶか?
忍びだと気づかれる可能性を考えてやるべきか?
勝千代は軽く眉間を揉んだ。
考えるべきことが多すぎて頭が痛い。
ともあれ、御親切な風魔忍び頭のお陰で、注意するべき方向は定まった。
あとはできる事をするだけだ。
貸店舗の二階を出る頃、シトシトと雨が降り始めた。
細かな霧のような雨で、土砂降りではないが空気が冷たい。
雨はあまり好きではない。どうしても、嫌な記憶が付きまとうからだ。
軒先で足を止め、屋根を打つ柔らかな雨音に耳を傾ける。アスファルトも瓦の屋根もないので反射する音は静かだ。
「カサを用意させます」
三浦兄がそう言って、弟に視線を向ける。
この程度の雨なら必要ない、そう言おうと口を開きかけて、さっと背後から強く腕を引かれ舌を噛みそうになった。
夜の闇にギラリと鋼の光が過った。
いや、近くではない。
切り結んでいるのは若干距離がある道の端だが、雨の夜なので視界が効かない。
ピカリ、と雷が光った。
一瞬だが、大柄な襲撃者たちと向き合っている三浦弟の横顔が見えた。
「平助!」
その背中に振りかぶられた刀。
声を掛けるのは注意を逸らせることになりよくないと知りつつ、とっさに警告の声を上げてしまった。
三浦平助は勝千代が濡れないようカサを取りに単身駆けだしたのだ。
カサと言っても雨カサではなく、頭にかぶる笠である。
羽織で良かった。仕舞われた古い暖簾でも、積まれた茣蓙でもよかった。いや、この程度の雨ならば濡れてもたいしたことはないのに。
死ぬのか。
勝千代の頭に、美味そうに団子を頬張るまだ少年っぽさを残した平助の顔が過る。
こんな風に、配下の者が危険に身を晒すのは初めてではない。
何名かが実際に命を落とし、それを看取ったこともある。
鳩尾がひやりと冷えた。
死んでいった他の者と同様に、平助が青白い死に顔を晒すさまを瞬時に想像してしまったのだ。
勝千代は強引にがらんどうな貸店舗の内側に引き込まれた。
ぎゅっと肩をつかんでいるのは平助の兄だ。
青ざめ、こわばったその表情に、彼もまた実弟の死を覚悟したのだとわかった。
雨の中、傍らから数人が飛び出していく。
谷を含めた護衛組が半数。そのほかの者も幾人か。
いや全員出てくれていい。ここよりも表のほうが緊急じゃないか。
そう指示したかったが、彼らが最重要視するのはほかならぬ勝千代自身の安全なのだと理解はしていた。
夜になると、光源のない屋内よりも屋外の方が明るい。
うすぼんやりと切り取られた闇の向こうで、時折雷が光り、複数が無言のまま切り結んでいるのが見える。
平助の小柄な姿を探すが、見当たらない。
ぶるり、と全身に悪寒が走った。
「若!」
耳元で大声で叫ばれて、キーンと鼓膜が鳴った。
勝千代に覆いかぶさってきたのは市村だ。
血しぶきが頬に飛んだ。




