13-7 伏見 北条軍争乱7
取りあえず今はすぐ動けそうになく、何かをできる状態でもない。本陣を移すには重傷過ぎるようだ。
それだけの事をみてとって、しばらく北条軍は動かないだろうと結論付けた。
いくら伊勢殿の指示があったとしても、大将負傷、副将謀反の今の北条軍は動くに動けない。
つまり、勝千代らが伏見にとどまるのは正解だ。
北条軍が対伊勢として利用できるかについては、微妙なところだろう。
何かをするには、左馬之助殿の怪我があまりにも重篤すぎる。
添え木をしているあの腕、もし骨折しているのなら、日常の些細な動きも苦痛なのではないか。馬に乗るのはもちろん、独力での移動も難しいのなら、一軍の指揮など不可能だ。
これが、人をうまく使うタイプの武将なら話は別なのだが、これまでの事を考えると、左馬之助殿は真逆の質だと思う。
そう、慣れ親しんだ脳筋の匂いがプンプンしている。
「特使が来られたとか」
勝千代が特使について言及すると、正直者の左馬之助殿が何かを言おうとしたが、側付きにサッと睨まれて黙った。
脳筋の扱いなら四年のキャリアがある。ただしそれは、勝千代が手綱を引くという状況下でのことだ。
左馬之助殿の手綱を握っているのが、本国の兄君であるなら、遠すぎるとしか言えないし、遠山殿含め側近たちの綱を引く力はそれほど強くないように見て取れる。
もちろん勝千代が懇切丁寧に轡を取ってやるわけにもいかない。
出来る事と言えば、せいぜい走る向きを誘導するぐらいなものだ。
「焦りもおありでしょうが、今は無理をなさらず、お身体をお休め下さい」
動くなよ。
あの山間の村で、松永が言ったことを覚えているだろう?
そういう意味を込めて、にっこりと笑顔を向ける。
「見舞いを持参いたしました。こんな時ですが、甘いものでも食べて英気を養ってください」
「……粽か!」
側近が止める間もなく、素直な左馬之助殿は相好を崩した。
さっと近くの側付きが支えたからよかったようなものの、「あいたた」と顔を押さえようと手を動かし、今度は痛めた腕が響いたのか悶絶している。
逢坂老に持たせているのは、こんな時だが商魂たくましく店を出していた団子屋の商品だ。
この時代、砂糖は希少なので、団子屋といっても想像するような甘い団子が売り物なわけではない。
勝千代がイメージするのは三色団子、あるいはみたらし団子などだが、この時代には多分そういうものはない。
逢坂が持っているのはどちらかというと餅、あるいは粽だ。
勝千代にとっては甘味? と首を傾げたくなる甘みだが、この時代の人々にとってはかなりの引きがある。
特に小豆を甘葛で煮たものを混ぜ込んだのが一番人気だそうだ。
素朴な味だが、美味いとは思う。
だがやはり勝千代的には、団子でも甘味でもない気がする。
痛みをやり過ごした左馬之助殿が、嬉しそうにそのまま食べてしまいそうな気配がしたので、「きちんと毒見をなさってからにしてくださいね」と一言注釈を入れておいた。
「誰からのどんなものでも、無防備に口にしてはなりません」
こんな事を、味方でもない数え十歳の子供に言われるってどうよ。
左馬之助殿は気まずげに視線を泳がせ、側付きたちはため息を飲み込んだ顔になった。
きっとものすごく苦労しているんだろうな。
勝千代は当たり障りない会話を二言三言交わし、丁寧にあいさつをしてその場を辞した。
あれだけの側付きと護衛がいる前で、不用意な事は言えない。
彼らが勝千代に警戒していない理由はおそらく、事情を知らないからだろう。
今川と北条は同盟国なので、本来であれば味方のはずなのだ。
同盟国の当主の子供の命を長年狙っていたなどと、普通は思わない。
廊下を出てしばらく歩いたところで、谷が何かに反応した。
常にないその警戒ぶりに皆が身構えたところで、中庭の隅に小山のような人影が膝をついている事に気づいた。
風魔の忍び頭だ。
何か用があるのかと小首を傾げると、なお一層深く頭を下げられる。
声を掛けようとしたところで、どこからともなく弥太郎が出てきた。
文字通り、ふっとその場に沸いた感じだった。
廊下の外、中庭の一角で、二人の忍びが無言で対峙する。
「やめよ。このようなところで諍いを起こすな」
その雰囲気があまりにも一触即発だったので、即座にストップをかけた。
何の用があるのか聞きたい気持ちはあったが、こんなところで北条の忍びと会話しているのを見られるのは良くない。
かといって、宿に戻ってというわけにもいかない。
権中納言様がいらっしゃるから念のためにね。
「話があるなら聞く。暮れ六つに会いに参れ」
「若」
逢坂老に諫められたが、軽く肩をすくめる。
「ここで聞くよりはよかろう。聞かぬのは問題外だ」
また例の貸店舗の二階の出番だな。
あそこは周囲に民家も宿もないし、味方の手勢を控えさせやすいのだ。
風魔忍びは再び頭を下げることで了承の返答とし、擬音語にするならシュパッとその場から消えた。
瞬きせずじっと見ていたのに、見えたのはただの影の動きだけだ。
すごいよな。あの巨体であの動き。
あれって練習したらできるようになるものなのか?
今度弥太郎に聞いてみよう。




