13-4 伏見 北条軍争乱4
貸店舗二階の一室にて。
「すまぬ」
潔くというか、素直に頭を下げようとして、左馬之助殿が「いてて」と声を上げる。
その包帯まみれの顔は、本来であれば表情などわからないはずなのに、へにょりと情けなく眦が下がっているのが分かる。
谷、苛々して柄を弄ぶのはやめなさい。左馬之助殿の側付きたちが生きた心地がしないという表情になっているから。
多分というかおそらく、遠山にでも勝千代の複雑な立ち位置を聞いたのだろう。
今川と北条とは強固な関係の親族だが、福島家としては完全なる敵だ。
本来であれば手を貸してやる謂れなどなく、関わらないように遠巻きにして当然。むしろ逆に刺客の前に突き飛ばしてやってもいいぐらいだった。
謝罪するより、しっかりしてくれと言いたかったが、大人相手にそれは控えた。
無言のままにこりと笑顔を浮かべると、ここでまた笑顔が返ってくる。
……どうしようもない男だ。
「遠山殿はご無事でしょうか」
謝罪には触れず、そう尋ねると、左馬之助殿は露骨にほっとしたように頷いた。
「まだ本陣なのだ。松永殿もだが」
「単独でお戻りでしたか」
遠ざけられたな。
勝千代がそう答えると、左馬之助殿は側付きたちがいるから単独ではないと言いたそうな顔をする。
違うとは言えないが正しくもない。こんな容体で介添えや護衛がいるのは当たり前。フォローができる者がいないという意味での単独だ。
「わかりました。お戻りになるのを待ちましょう。こういう事は早い方がいいのですが」
「早い?」
「もちろん、生かしている者たちをつきつけ追及するのでしょう?」
その、従兄の副将とやらに。
勝千代の言葉を聞いて、左馬之助殿は複雑そうな表情になった。
まさか、見逃すつもりなのか?
「……確保した者どもについての対処はお任せします。口封じ尻尾切りの可能性が高いので、お気を付けください」
どういう事情があろうとも、ここまで露骨な真似をされてもなお対処しないという道を選ぶのなら、勝千代に何も言う事はない。
ずっと綱渡りのような状況だというのは理解できるのだろうか。いつも誰かが助けてくれるとは限らないのだ。
今回も、味方が無傷なわけではない。実際に何名かの風魔衆と思われる死体を見かけた。
このままだとどんどんと身を削られ、そのうち削る身もなくなってしまうだろうに。
付き合っていられないというのが正直なところ。
ただし、このまま北条軍が伏見を出立し南下するというのなら、怪我をしたあの御方をお連れするという計画を練り直さなければなるまい。
「それでは、我らは失礼いたします」
「……ま」
勝千代は丁寧に一礼して、そのまま去ろうと腰を浮かせた。
こちらとしては、一時的にせよ安全な隠れ場所を提供し、息のある黒装束を拘束しておいただけでもかなりの厚意だと思う。
これ以上何を、と訝しく思いながら見返すと、すがるようにこちらに手が伸ばされているのに気づいた。
いい年をした大人が、子供相手に何を縋るというのだ。
引き留めようとしているのはわかっていたが、気づかないふりをしてそのまま部屋を出た。
前にもあったな、こういうの。
階段を降り、店舗部分に差し掛かったところで、入れ違いで遠山殿が駆け込んできた。
暗くてこちらが誰だかわからなかった様子で、ひどく警戒して身構えている。
「遠山殿」
どれほど暗かろうが、子供の声は特徴的だ。
遠山はすぐに勝千代だと察したのだろう、ほっと肩から力を抜く。
「……またご迷惑をおかけしましたか」
「ええまあ」
迷惑だとわかってくれる相手がいるだけで、抑えていた苦笑がこぼれる。
「何名か生かしておりますので、よろしければお役立てください」
「重ね重ね申し訳ない」
勝千代は階段の途中。遠山は土間。
その位置関係で深々と頭を下げられると、無防備な首の後ろまで丸見えで、まるで落としてくれと差し出されているかのような気さえした。
それでは、と言葉にはせず会釈だけして通り過ぎようとする。
なおも深々と頭を下げ続けている苦労人に、小さく溜息をつく。
「……長引かせてもいい事はありませんよ」
すれ違いざま、小声で一言。
「食わねば食われます」
子供に言われたくはないだろうが。
貸店舗から出で、すっかり血の匂いもなくなった通りを歩く。
左馬之助殿の優柔不断ぶりに呆れ、遠山殿の苦慮に同情もするが、それは全くの他人ごとではないのだ。
いやむしろ、覚えがありすぎる状況だからこそ苛立つのだろう。
ここ四年、頻度こそ減ってはいるが、刺客はいまだに来ているし、今川館からの冷遇も露骨だ。
刺客を送り込んでいる大元はわかっている。目的もわかっている。
それなのに、動かないのは勝千代とて同じだ。
もちろん、配下のものへの処罰とは違い、簡単にすむようなものではない。
これまでその理不尽を黙って受け続けてきたのは、御屋形様の心情を慮ってだが、その容体すぐれない今、先の事を考える時期に来ているのだろう。
御屋形様に万が一のことがあれば、おそらくはもっと福島家への圧力は増す。
そうなってもなお諾々と従い続ける?
たとえば戦のたびに最前列で使いつぶされることになるかもしれない。そんな未来は想像もしたくなかった。
「お勝さま?」
月の見えない曇り空を見上げ、深くため息をついた勝千代の顔を、三浦が心配そうに見下ろしてくる。
何でもないと首を振り、再び歩き始めながら、父に会いたいな……とふと思った。




