13-2 伏見 北条軍争乱2
ぱちっと瞬きをしたことで、意識がはっきりと浮上した。
唐突な目覚めだったが、もの凄くぐっすり寝た気がして気分はいい。
夜ではない事は漏れてくる光でわかる。
ここはどこだったかと頭を巡らせ、そうだ、伏見だと思い至るまで一秒。
「お目覚めですか」
薄い敷き布に転がったまま、覗き込んできた男の顔を見上げる。
なんという事のない、普段通りの三浦兄の朗らかな笑顔だ。
美男子というより好青年。この男の笑顔を誰もが好意的に見るだろうが、長く付き合っていると結構食わせ者だとわかってくる。
そんな男の表情は、何故かものすごく楽し気だった。
何だ? 何かあったのか?
「……どれぐらい寝ていた?」
「普段より少し長いぐらいです」
ということは、左馬之助殿が北条軍に戻って一晩明けた頃か。
「状況は」
果たして左馬之助殿はうまくやっただろうか。
そこまで心配はしていなかったが、結果は気になるところだ。
一般兵からの情報だが、いまだ話し合いは続いているらしい。
何をもたついているのか。
左馬之助殿の帰還を、副将は、少なくとも表面上はたいそう喜んだそうで、謀反などとんでもないと否定されたのだそうだ。
今回ここにきている北条軍は、普段から左馬之助殿に従ってきた面々ではあったが、過半数が副将伊勢弥三郎の親族あるいはその臣下だった。
また伊勢氏か、多すぎて耳を素通りしそうで困る。
「それで、例の義宗殿の叔父なのだろう? どういう男だ?」
「なんでも、左馬之助様とは従兄のようです」
「従兄?」
伊勢氏を名乗るのなら父系の従兄だろう。つまり、桃源院様にとって甥という事だ。
勝千代は三浦に身支度をまかせながら、親族だから北条殿は信頼し、弟の補佐を任せたのだろうと推察した。
北条家はいわゆる成り上がりの家だと言われている。元の血筋が際立っていいわけではない。
そもそも守護大名家でも有力な国人というわけでもないのだ。伊勢氏の分家に過ぎない身の上で国盗りをした。
つまりは譜代がいない。代々北条家を支えてくれた忠臣という者はいないので、どうしても親族からの選抜になるのだろう。
その親族に叛意をもたれると辛い。信頼できるからこその一門衆のはずなのに。
あの山間の村で、左馬之助殿がひどく言いにくそうな口ぶりだった理由を察した。
「……それで?」
まさか、言われるがままにその副将の言い訳を受け入れたわけではないだろう?
「あくまでも北条の歩兵の噂ですよ。その者は副将がそのような事をするはずもないのに、若君は何をお考えだと」
若君。
先代が身罷ってもう何年にもなるのに、まだそう呼ばれているのか。
「そもそも、自軍の大将を一介の歩兵が若君と呼ぶこと自体無礼だと思うのですが」
「……楽しそうだな」
紺色の直垂に袖を通しながら、勝千代は自重しろという忠告を込めて三浦の顔を見る。
三浦はにこりと、団子屋の看板娘が惚れるはずだと納得してしまう笑顔を返してきた。
これまで散々刺客を送り込み、福島家を悩ませてきた北条のトラブルは、傍観するのも楽しいらしい。
至近距離にある三浦の顔がニマニマと、なんとも意味深に微笑んでいる。
なんだ、まだあるのか。
「どうやら、左馬之助様がどこからか連れてきた者に皆随分とご不満なようで」
「松永殿のことか?」
「好き勝手しようとする怪しい奴だと」
三浦は袴の紐をぎゅっと結びながら、ふっふと含み笑った。
「大将を守れず、探し当てもできなかった分際で不満を口にする資格など……申し訳ありません、口が過ぎました」
正確には、大将を守るどころか害そうとし、探すにしても目的は確実にその命を奪う事だったはずだ。
勝千代は楽しそうな三浦兄に苦笑を返し、「外では口にするなよ」と軽く叱るにとどめた。
それにしても、思いのほかその副将はうまく立ち回っている。
意図した通りに北条軍は動きを止めているが、それ以外の部分、叛意を抱く者の排除は難航しているようだ。
このままだとまた狙われるぞ。今度こそ、確実に仕留めようとするだろう。なりふり構わず、思い切った手を取ってくるかもしれない。
……いや、勝千代が心配してやる謂れなどまったくないのだが。
勝千代は着替えを済ませ、奥まった部屋まであいさつに出向いた。
「福島勝千代にございます」
廊下に座り丁寧に名乗ると、顔見知りだが名前は知らない侍従が顔を出した。
「雨月様はご在室でしょうか」
雨月とは、権中納言様の雅号だ。
もちろん在室なのはわかっているが、そう尋ねるのがマナーというものだ。
「お入り」
取り次ぐ間もなく、部屋内から権中納言様の声が聞こえてきた。
勝千代がさっと居住まい正して頭を下げるのと、目前の襖が大きく開かれるのとは同時だった。
権中納言様は随分とお疲れのように見えた。
長時間ぐっすりと眠った勝千代と違い、かなり体調も悪そうだ。
まさか弥太郎の薬湯をお勧めする訳にはいかないし、と考えながらまじまじとその御顔をみていると、長い溜息が返ってきた。
「夕べは眠れなんだ」
ご家族のこともそうだが、皇子の安否が気がかりなのだろう。
妻子を逃すために側を離れたことを悔いているのかもしれない。
「どうされているかはすぐにわかります。対策を立てましょう」
「考えれば考えるほど、伏見じゃのうて、より良い御隠し場所があるように思うのや。たとえば……いや、言うても詮ないな」
権中納言様の仰りたいことはわかる。
伏見にお運びしたところで、利用される相手が変わるだけだと感じるのだろう。
「お望みになられるなら、別の場所を考えます」
「いいや、お勝殿の言う通り、北条軍の千が盾になってくれるやろうとは思う」
「京は戦場になるやもしれません」
伏見は京にあまりにも近すぎるので、実際にそうなった場合には、更に南に避難する必要がでてくる。
「そうなる前に、少しでも安全な場所でご静養して頂きたいですが……」
聞いた限りの怪我の状態で、長距離の移動は難しいのではないか。
「近場で、戦火が及ばない場所を探させます」
人目のつかない寺などがいいだろうか。
そんな事を考えていると、権中納言様の長い溜息が再び零れ落ちた。
「すまんの。お勝殿に頼りすぎやと父上に叱られてしまうわ」
「いいえ。頼ってください。ともに乗り越えましょう」
普段は公家らしい佇まいを崩さない御方の、思いのほか弱り切った表情に胸を痛めた。
この方を死なせてはならない。
そう強く思いながら、にこりと笑みを返した。




