12-1 伏見 北条軍1
にこにこと笑っている子供は可愛い。
両親の無事な姿に安心した御子達は、涙を流すと同時に笑っていた。
その様子を微笑ましく見守っていた勝千代だが、権中納言様の表情は複雑で、特に何度も愛姫さまのお顔を見ては辛そうになさっている。
何かがあったのだ。
両親に再会できて喜ぶ愛姫は気づかない。
北の御方も、乳飲み子の姫を腕に抱き、滂沱の涙を流していてそれどころではない。
「土佐へ……ですか?」
寸前までは、土居侍従と再会できて肩の荷が下りた様子だった小次郎殿が、ちらりと愛姫を見てまた視線を祖父にもどした。
どうやら一条家の皆さまは、このまま川を下って大阪湾まで出て、そこから四国へ渡るつもりらしい。
京が戦場になるかもしれない。そのおそれは肌で感じるほどなので、ご家族を避難させるのは間違った考えではない。
ただ、東宮の第一皇子の許嫁である愛姫が、京を離れる事になっても大丈夫なのだろうか。
いやまだ親王宣下がなされていない幼い皇子であれば、ともに避難するという手もある。
そこまで考えたところで、権中納言様の苦しそうな表情の理由がわかった気がした。
まさか皇子に何かがあったのか?
「お勝殿」
そろりと声を掛けてきたのは東雲だ。
佐吉の用意した宿は伏見では一等地のもっとも広いものだが、それでも合流できた全員を収容できるほどのキャパシティはなく、勝千代が控える位置もご一家とそれほど離れていなかった。
彼らに気づかれないように手招きされ、ちらりと一度権中納言様に目をやってから、席を立つ。
「東雲様?」
どうしたのか、と問いかけようとして、東雲の公家らしく整った顔が、飄々とした普段の表情をしていない事に気づいた。
「御姫さんの許嫁が大怪我を負われたらしい」
扇子の影からこっそり囁かれた言葉に、勝千代もまた表情を険しくする。
「なんでも御所の梁の下敷きになったそうで、足と腰の骨が折れ、目も痛めたそうや」
「……ご容体は?」
「詳しい事はわからぬ」
確か皇子は愛姫よりも幾つか年下だと聞いている。そんな幼い御子が負うには、過酷すぎる怪我だ。折れた場所にもよるが、背骨だったら今後立って歩く事すら難しくなるかもしれない。
「今は下京に?」
「動かせる状態やないのやろう」
二人で同時に、ご一家がいる部屋に視線を向ける。
「他の方々は?」
「御上は比叡山に移られたと聞く」
「比叡山ですか」
避難先として安全かどうか、勝千代には判断が難しい。
比叡山と聞けば脳裏に過るのは信長の焼き討ちで、そのことは後世にまで伝え聞くほどの大罪とも言われているから、この時代の人々にとって寺に攻撃をするというのは相当な事なのだろう。
その心理的な忌避感、タブーに触れるというカードは強力だが、場所が京にあまりにも近すぎる。
勝千代は一抹の不安を拭えないまま、首を振った。
「将軍位を得るためには、御上の存在は不可欠です。御身に危うい事はないと信じましょう」
見上げた東雲の表情は険しく、彼もまた比叡山とて安全ではないと思っているのが分かる。
御所に火をかけ現状を作り上げたのは、おそらく伊勢殿だ。
御所に火を放てる者が、寺を攻めないと言えるか?
伊勢殿が信長と似た考えの持ち主ならば、仏罰など気にせず邪魔な寺を排除しようとするかもしれない。
「権中納言様は土佐ではなく、御上の元へ向かわれるやもしれませんね」
「忠義厚い御方やから」
勝千代のつぶやきに、東雲も同意して頷く。
土佐には一条家の兵がある。
だが、あまりにも遠方。更には瀬戸内海を渡ってこなければならないので、今すぐ呼び寄せるというのは現実的ではない。
「……忸怩たる思いでいらっしゃるでしょう」
「せめて御身をお守りできる兵力があればええのやが」
ふと脳裏に、左馬之助殿の顔が過った。
イメージの中の彼は、こんな急を要する状況なのに、至極暢気な表情だ。
「弥太郎」
勝千代が呼べばすぐ来る男は、今回もまた即座に視界の端に現れた。
いつもどこから出て来ているのだろう。ずっといるのに気づかないだけだろうか。
「左馬之助殿はどうしている?」
「報告はまだ上がってきておりませんが、すぐに調べさせます」
現れたのも唐突だが、姿が視界から消えるのも一瞬だった。
忍びの技の多くが、卓越した身体能力と技能によるものだと思うのだが、時折イリュージョンを見ているような気にさせられる。
本気で魔法かもしれないと時々思う。
「左馬之助?」
「京にいる北条軍の大将です」
「ああ、お勝殿の親族とかいう」
「初対面なうえに、存在も知らぬ相手でしたが」
だが、気質は悪い男ではないと感じる。
あくまでも短いエンカウントによる印象だが、正道を好み、非道を厭うタイプだ。
いやあの男でも、本国の兄の意向がはっきりしないうちは動きようがない。
うまく使うのは難しいか。
弥太郎情報によると、京に詰めかけた六角の兵は一万。伊勢氏の兵は二千。北条は千だという。その概算が正しいとして、北条が一抜けたをするのも簡単ではあるまい。
やはりせいぜい、内部の謀反で機能不全を起こしたという態で、動かないのが最も被害が少なく済む。
今さらこちらに味方するよう話をつけたとしても、よほどうまくタイミングを合わせなければ、六角伊勢に囲まれ壊滅してしまう恐れの方が高いだろう。
「……失礼いたします」
今去ったばかりの弥太郎が、何故かすぐに戻って来た。
一分と経っていない。
緊急の用だろうとそちらに顔を向けると、同様に、鶸がすっと襖を開いて姿を現した。
「下京から兵が下ってきております」
弥太郎がそう言うと、鶸が襖を丁寧に閉じてから、居住まいを正して頷いた。
「北条軍千です」
活発に軍を動かしているところを見るに、左馬之助殿生存の知らせはまだ届いていないのだろう。
勝千代らが伏見に到着すると同時に、北条本陣に書簡を届けるようにと言っておいたのだが……あるいは、見たとしても無視したのかもしれない。
北条軍内が左馬之助殿の敵ばかりではないだろう、というのが勝千代の予想だったのだが、そのまま闇から闇へ葬られてしまう可能性の方が高い気がしてきた。




