1-7 上京 藤波邸跡4
日頃逢坂家の馬術を見慣れている勝千代の目には、役人たちが大急ぎで下馬する様子はひどくもたついて見えた。
中でも山岡の慌てぶりは呆れるほどで、下馬したのか転がり落ちたのかわからないぐらいだ。
ともあれ、役人たちはあっという間に馬から降り、武家らしく片膝をついて頭を下げた。
しばらくしてようやく、相変わらず白一色の装いの東雲が姿を現した。そんな彼に従うのは、薄い灰色の狩衣集団だ。
「やあ、お勝殿」
東雲はあからさまなほど晴れやかな口調でそう言って、門の境を超えた。
門前に控えている役人たちなど、視界にも入れない。
「一別以来やなぁ。大きゅう……なりはったな」
なんだよ、その微妙な間は。前回顔を合わせた二年前よりは背は伸びたぞ!
勝千代が答えようと口を開くより早く、足元でもがいていた髭面男が再び大声で「山岡様!」と叫んだ。
ほぼ同時に、谷が男の袴の裾を踏んづけて、びたんと顔面から倒れた。
「……山岡?」
「そこのお役人のお名のようですよ」
勝千代はずっと握っていた谷の袖から手を離し、数歩前に出た。
東雲と正対して、丁寧に会釈する。
「お久しぶりです、東雲さま。先生にお会いしようと思い先ぶれを出したのですが、よもやこのような災禍に遭われているとは存じ上げませず」
「一条の御老体には言わぬようにとお願いしておいたのや。気い使わすのもなぁ」
「皆さまご無事でしょうか。見たところかなりの被害のようですが」
「もう何か月も経つからな。最初の頃は気鬱に伏せるもんもおったけども」
普通に旧知の挨拶、世間話を続ける二人の足元では、髭面男が再び起き上がろうとして、今度は背中を踏まれて情けない悲鳴を上げている。
「ところで、何事やこれは」
谷に踏まれてもがく男だけではない。藤波邸の焼け跡に、四十もの輩が苦痛に呻きながら転がっているのだ。
東雲のもっともな質問に、勝千代は首を傾げ、しれっと「さあ」と惚けた。
「我らが来たときにはこのありさまでした」
「や、山岡さ……」
「それで、なんでうちの敷地内に入り込んだ破落戸どもが役人の名を呼ぶのや」
「山岡某に助けを求めているのです。言われたとおりにしたとか……」
勝千代は、下を向いてだらだらと冷や汗を垂らしている山岡を横目で見た。
否定しようにも、己の配下の者も聞いていたのだ。
何なら、髭面男は今なお「山岡様」と懇願し続けている。
部下の口は塞げても、東雲にまで聞かなかった事にしてくれとは言えまい。
「山岡殿は我らの事を御疑いのようで、番所までくるようにと命じられていたところでした」
「お勝殿を?」
東雲が白い扇子で顔の半分を覆い、これぞ公家! といった目つきで山岡を見下ろした。
東雲は、かつてより幾らか年を取り、よりその特異性に磨きがかかっているように見える。
今どき、一般的な公家で東雲のように真っ白な狩衣を着ている者はいない。東雲の御兄弟や御身内と接する機会があったからわかるのだが、この服装は単なる彼の好みだ。
だが、何も知らない者からすれば、それがひどく特別で、公家らしい装いに見えるらしい。
「い、いや! 我らはただ、こちらの御屋敷に無頼の輩が侵入していると……いう話を、き聞きまして……」
山岡は意を決した風に東雲を見上げたのだが、無言で見下ろされて言葉尻がしぼんだ。
しばらくハクハクと口を開閉し、やがて力なくまた下を向く。
「み、見誤ったように御座います」
挙句、ぼそぼそと言い訳じみた口調でそう呟いたが、東雲は既に山岡のことなど歯牙にもかけない風に勝千代に向き直っていた。
「一条の御老体は御壮健やろか。久しゅうお顔を拝見しとらへん。御歳も御歳やから、大納言殿も心配されとる」
「お元気ですよ。京のご家族からの書簡にいちいち返答するのが面倒などと、嬉しそうな御顔をして文句を言うておられました」
勝千代は意図的に子供らしい無邪気さを前面に出し、にこりと笑顔を浮かべた。
東雲とまっすぐ視線を交わし、相手もまた半分出ている目元をほころばせて微笑む。
「そうそう、今度皆で伊勢の方に下向しようかという話が出とってな」
促され、その隣に連なって歩き出す。
公家にはもはや力はないなどと言われていても、半家の東雲とて、そのあたりの武士から粗略に扱われることはない。
それは、公家が徹底して武家を下位の者として扱うからだし、武家もそれを当たり前のように受け入れているからだ。
そんな公家と武家。身分的にもチグハグだし、大人と子供、親戚でも親子でも兄弟でもないふたりが、仲良く並んで歩くというのはちょっとあり得ない光景だろう。
もちろん、勝千代は数歩下がって歩こうとしたのだが、遅れた分だけ東雲も歩を緩める。結局二人してゆったりとした速度で、崩れかけた門をくぐり、門前で膝をつく役人たちの前を素通りした。
「いつまでも居候というわけにもいかへんし、京は何かと物騒やしなぁ」
「そうですねぇ。街中でこんな物騒なことがあるようでは、安心して歩けませんね」
勝千代が門をくぐり、後ろ手に合図をしたタイミングで、福島家の男たちも片膝ついた状態から立ち上がり、露骨に役人たちを無視して二人の護衛の位置につく。
勝千代含め、福島家の面々が去ろうとしても、役人たちは膝をついたまま動かなかった。全員が地面を見つめ、凍り付いたようにじっとしている。
勝千代はちらりと背後を振り返り、三浦に目配せをした。
やがて、十分に二人が役人たちから離れた後、三浦兄が俯いている山岡に近づくのが見えた。
もちろん、この件をこのまま済ませるつもりはない。
勝千代たちに襲い掛かってきた男たちを捕縛してもらわなければならないし、しっかり侍所には苦情を申し立てる。
三浦に任せておけば、なあなあで済まさず始末をつけてくれるだろう。
メリークリスマス!