11-3 伏見3
さすがに場所をかえた。
いい年をした男に縋りつかれる様など、誰にも見られたくない。
人目を避けると言っても、現状伏見の町は人であふれかえっていて、どこに行っても誰がしかはいるので、奥平らが泊っているところに押しかける事にした。
比較的広めのお高そうな宿だった。
メイン通りからは一本外れた二階建てで、脇に小舟が通ることのできる用水路が流れている。
ここに全員泊っているのか? 幾らするんだ?
払うのはきっと今川館で、福島家ではないのだが、国の金で豪遊している役人を目の当たりにした気分で顔が渋面になる。
勝千代はその最上座に案内された。
目前には平伏する奥平……非常に既視感のある風景だ。
集められたものは二十名ほどで、見覚えがあるのは奥平ともうひとり、臨済宗の袈裟をつけた禅宗らしい質素な装いの僧侶だけだった。
あとは知らない顔ばかりだ。
「……で?」
長居したくもないし、さっさと用件を済ませる事にしよう。
勝千代が説明を求め、端的に問うと、奥平は顔色を悪くし脂汗を流し始め、対照的に、その僧侶は敵意を感じさせる鋭い目つきでこちらを見てきた。
先程吉祥殿の側にいた僧形とはまた別だ。もう少し年上で、今川館で何度か見かけたことがある。
「言い訳を聞こう」
「お待ちください、勝千代様。これは……」
「御坊には聞いておらぬ」
平伏したまま何も言えない奥平の代わりに、口を開いたのは僧侶の方だ。
「それとも、御坊は今川家の趨勢に意見できる御身分か」
苛立ちを隠さずそう問うと、ますます険しい表情になったが一旦は口を閉ざした。
奥平とは、先の三河の侵攻で関わって以来言葉を交わしていない。
今川館で見かけたことはあるが遠目で、文官たちの上位のほうに席を与えられ非常に忙しそうにしていた。
派閥としては駿河の、桃源院様のところに属している。
最近、桃源院様と御台様の間に若干の意見の対立が見られ、そのどちらにつくかで今川館は割れていて、ややこしい事に巻き込まれたくないので近づかないようにしていた。
だから、奥平がこんなところに居る理由など知らない。
本音を言えば知りたくもないが、事ここに至っては聞かないわけにもいかなかった。
「何故あの御方を連れている」
京で何が起こったか知らないはずはない。
知らないのであれば無能すぎるが、この男が情報収集に手を抜くとは思えない。
つまり知っていて、吉祥殿を連れてこんなところで豪遊しているのだ。
「あの御方が公方様を弑逆したという話を聞いてなお、匿うという事がどういうことかわかっているのか」
「なにも御存じないのであれば、口出しは控えられませ」
いったんは口を閉ざした僧形が鋭い口舌でそう言い返してくる。
黙っていろと言ったのに、それすら守れないということは、勝千代を主筋とは見ておらず、世間知らずな幼い子ども扱いする気なのだろう。
どうでもいいが、鬱陶しい。
まともに言い訳ひとつできない奥平の態度も、腹立たしい。
勝千代がパチリと扇子を鳴らすと、奥平がビクリと背中を揺らした。
まあいい。奥平には言い訳を考える時間をやろう。
その間に「何もかもわかっている」風体の坊主と話をした方がよさそうだ。
「……それで、名乗られもせぬ御坊はどちらのどなたか」
紹介されたこともなければ、視線が合った事すらない。
知らなくて当たり前なのに、なぜか更に腹立たし気な顔をされた。
もしかすると、今川一族の血縁者なのかもしれない。どうでもいいが。
「臨済宗妙心寺の崇岳と申す。勝千代様のことは、父朝比奈丹波守よりよく聞いております」
背筋をすっと伸ばしたその僧侶は、誇らしげに名乗り胸を張った。
朝比奈? 思い出した顔はいくつかあるが、その中に「丹波守」と名乗る者はいない。
いやそれよりも、臨済宗妙心寺派か。また厄介そうなところが出てきたな。
「僧籍にあってなお元の家名を名乗るのか」
どうにも今川家中における出家というものが軽く見られているきらいがあって、今川館には大勢の僧形が出入りしているし、なんなら龍王丸君以外の御屋形様の御子二人も僧籍に入った。勝千代にとっては異母兄弟に当たるその子らも、頻繁に今川館に出入りし、成りは僧形だが扱いは若君のままだと聞く。
何の意味の出家だ。そんな風だから、御屋形様に遠ざけられるんだよ。
今川家は代々臨済宗派なのだが、御屋形様に限っては曹洞宗を重んじていて、体調を悪くして以来臨済宗派は近寄れずにいると聞く。
御子らが出家したのは臨済宗派の寺なので、完全拒否とまではいっていないが、当主が他宗派を重んじているというのは立場的に大問題だろう。
御屋形様の容態がますます重篤になって来て、今川家中ではその対立がかなり顕在化していると聞くが……正直なところどうでもいい。
問題は、その臨済宗妙心寺派が吉祥殿を連れて歩いているという事だ。
更には、今川家の家臣の中に紛れている。
一歩間違えば、御家を巻き込んでの大惨事になるぞ。
「よろしいでしょうか」
勝千代の突っ込みに赤面した崇岳に代わり、口を開いたのは、その背後に控えていた弟子か何かの若者だった。目立つ長身に、色白で端正な面立ちをしていて、言っちゃあなんだかジャガイモだらけの野郎どもの中ではひときわ目を引く容姿の僧侶だった。
若者といっても、二十代半ばは越えていそうだ。
その年でなお「若者」と形容できるのは、なかなかに羨ましい資質だと思う。
うちの三浦兄に似たタイプだ。
「若君はどこまで御存じでしょうか」
崇岳が、「知らぬのだろう」と見下した口調だったのに対し、この男はもっと慎重に丁寧な物言いをしてきた。
勝千代は、崇岳の斜め後ろにいるその男に目を向け、パチリと扇子を閉じた。
「それを話して聞かせる意味はあるのか?」
男前僧侶のまっすぐな視線は悪くない。
勝千代の評価はあくまでも「比較的」なものだが、苛立ちしか感じさせない者どもの中ではまだマシな部類だ。
さあ、せめて理解できる説明をしてくれよと願いながら目をやると、すっと伸びた美しい座位で更に背筋を伸ばした。
「あの御方は噂にされているような事はなさっておられませぬ」
そんな事は知っている。
「真実か否かには大きな意味はない。あの御方に関わることで、御家にどういう災禍が及ぶかが問題だ」
勝千代の返答に露骨に驚いたのは崇岳だ。
奥平は変わらず平伏したままで、こいつ、このままずっとそれでやり過ごす気かと蹴飛ばしてやりたくなってきた。




