1-6 上京 藤波邸跡3
近づいてきた五十過ぎの武士は、福島家の面々を見回して目を細め、次いで、地面に転がっている男たちを見て舌打ちせんばかりの表情で顔を顰めた。
更には、誰かを探すような素振りを見せ、大人の影に隠れる位置に立っていた勝千代をまっすぐに見たのだ。
あからさますぎて呆れた。
確かに、よく見れば身なりや側付きらの態度でわかるだろう。しかし、意図的に地味な装いをして、引き気味の位置に立っていた。何も知らない状態ならば、真っ先に小柄な子供が注目されるなどあり得ない。
もとより「関わりたい」とは思ってはいなかったが、それが下方修正され、「関わるべきではない」という方針で固まった。
そうと決まれば、迅速な撤退あるのみだ。
「丁度良いところへ、お役人さま」
勝千代の目配せを受けて、三浦兄が一歩前に出た。
見た所、騎馬の武士たちは侍所の下級役人だ。たいした相手には見えないが、事を荒立てるのは得策ではない。
「こちらの御屋敷の敷地内に怪我人がいるのですが」
三浦の表情は人当たりが良く、誰かを不快にするようなものではなかったが、騎馬武士の一番上役っぽい男はものすごく不機嫌そうに顎をしゃくった。
「内裏近くでの私闘は禁じられておる。詳しく話を聞きたい故に、番所まで参られよ」
「……は? いえ、我々はたまたま倒れているのを見つけただけでございますが」
「何を見え透いた事を。どう見てもそのほうらが狼藉を働いたのであろう」
「我々がですか? この者たちの半数もおりませんのに、どうしてそうお思いに?」
好青年三浦の、いかにも当惑した風な口ぶりは、誰の目にも嘘をついているようには見えない。
「……っ、言い訳は番所で聞く!」
だが上役の武士は、若干の迷いを見せつつも、当初のシナリオを押し通そうとした。
勝千代はひそかにため息をついた。
どうあっても勝千代を、「番所」とやらに連れて行きたいようだ。
碌な結果にはならないと想像がつくし、気も進まない。何より、関わりあいになりたくない。
ちらり、と足元に転がっている髭面の男を見下ろす。
鼻先ギリギリのところに竹が突き刺さり、その状態から一ミリも動いていない。
控えめだがしっかりとした口調で抗議を繰り返す三浦を尻目に、勝千代はそっと足先で髭面男の背中を突いた。
男の全身がびくりと震える。
ゆっくりと上がってきた視線を受け止め、目だけで「わかっているだろう」と告げると、ひゅっと鋭く息を飲み怯えたように身体をよじって逃げようとした。
だが、砕かれた足が痛むのか這うようにしか進めず、勝千代の前に谷が立ちふさがったので更に顔面から血の気を失せさせた。
「お、お役人様!」
必死に声を張り上げるその顔は、元の人相が分からないほどに腫れあがり、ぼろぼろと涙が伝い黒い筋を作っていた。なんなら、鼻からも口の端からも血の混じった液体がこぼれている。
「たす……」
「ああ、血が」
勝千代は、余計な事をしようとした男の横でちょこんと膝を折り、その肩に手を置いた。
「かわいそうに、大丈夫?」
「折れてるんじゃないですか、鼻」
勝千代が近づき過ぎだと思ったのだろう。谷の手が伸びてきて、男の顎をぐいとつかんだ。
「ひいいいいっ」
ああ、本当だ。折れてるな。
元より草履の裏のような難ありの顔立ちが、なおいっそう酷いことになっている。
「山岡様! 山岡様! ワシらは言われた通りにしました! どうか」
「……山岡?」
ほら、襤褸が出たぞ。
谷に顎を……というよりも、首をぎゅっと絞められて、髭面男が大声で「山岡」と連呼し始めた。
役人たちの視線が、一斉に上役のほうへ向く。
上役は注目を浴びてさっと表情を硬くした。
「……山岡様?」
三浦が、見事なほど芝居がかった表情で「山岡」と呼ばれた男を見上げた。
「これはどういう事でしょうか」
絶妙なタイミングで、谷が髭面男から手を離した。
逃げようとする髭面男が芋虫のように這って行くのは、上役のいる方向だ。
「山岡様、山岡様……」
「ええい、そのような男は知らぬわ! 何をわからぬことを!」
都合の悪い事を言い始めた髭面男の口を塞ぎたいのだろうが、山岡は馬上、髭面男はいまだ藤波邸の敷地内だ。
馬ごと踏み出そうとしたのを、その配下の者たちが慌てて諫めている。
まあ、廃墟とはいえ公家屋敷に騎馬のまま踏み込むことはできないよな。
三浦がちらりと勝千代を見た。
軽く頷き返し、近くにいてずっと刀の柄を握っている谷の腕をぎゅっと握った。
頼むから、台無しになるから、抜くなよ。
この国の中心、京の都だということで身構えている部分もあった。
いや、己の行動如何により今川家の名が出てしまう可能性があるだけに、慎重に慎重を重ねるべきだとは思う。
だが、少なくとも馬上でふんぞり返っているその武士に関して言えば……小物だ。
ここで公家屋敷だろうが構わぬという意気ごみがあれば、話は変わっていただろう。
だが残念ながら、権威には弱く、自己判断で動くことのできる器ではない。
……こういう人間ってどこにでもいるよな。
「つまり、やらせですか?」
これまで穏やかだった三浦の口調がすっと冷えた。
「難癖をつけて、金子でもせしめようという魂胆でしょうか」
「なっ」
そんな風に言い返されることを想定していなかったのだろう。山岡は言葉に詰まった。
それは傍目には、図星を刺されたようにしか見えなかった。
「なるほど。侍所に汚職がはびこっているという噂はまことでしたか」
「おのれ! 田舎侍如きが侮辱するのか!」
大声で威圧すれば幕府の権威に圧されて黙る、というのは浅い考えだ。
若い三浦は京男の目にも優男に見えるようだが、実際はかなりの修羅場を潜り抜けてきた猛者なのだ。
「なんや、えろう騒がしいなぁ」
そんな時、懐かしい声が見えない場所から聞こえてきた。
半壊した白壁の向こう側、背の低い勝千代だけではなく、馬上の山岡たちからも死角になって見えていなかったようだ。
「うちの前で何事や」
それは、去年は行き違いになって会えなかった、東雲の声だった。




