7-1 京郊外
勝千代はまだ数えで十。元服までも相当時間があるし、そもそもこの地の者でもない。
なんら責任がある立場ではなく、誰かに命じて何かをする身分でもない。
だが、居並ぶ者たちは皆神妙な顔をして、俯いていた。
彼らにとて、何かが出来たとは思えない。
だが、腕組みをして目を閉じる勝千代の前で、申し訳なさげな表情で視線を落としている。
「……まだか」
逢坂老がそう問いかけるが、誰も答えない。
苛々と立ったり座ったり、気性の荒さをそのまま表に出して、壊れた家屋の土間を出たり入ったりしている。
小さく細い泣き声が聞こえた。
勝千代ははっと顔を上げ、かろうじて屋根がある小部屋に目を向ける。
一条邸を脱出した方々のうち、無事に合流できたのは御嫡男万千代様と、一番下の姫君だけだ。彼らは近隣の公家衆とともに京を脱出してきていて、おおよそ十名ほどの一条家の武士たちに守られていた。
その時点では、白玉殿及び愛姫さま、権中納言様の消息についても何もわからなかった。
数時間後の真夜中、唯一聞けたのが東雲の伝言で、三条大橋が崩落したので、川を渡る別の手段を探すとの事だった。
いい知らせとは言えないが、あの惨状の場に少なくとも白玉殿らはいなかったようだ。
「……にい」
妹の夜泣きに目が覚めたのだろう。万千代様の不安そうな声が聞こえた。
勝千代は無言で立ち上がり、一条家の武士に守られた部屋の前で膝をついた。
「ここに居ります」
しばらくすると、がたりと古い板が動く音がして、立て付けの悪い扉が開いた。
顔色の悪い幼子が、大きな目に涙をためて勝千代に手を伸ばす。
ちらりと室内を見ると、乳母殿が姫君に乳を含ませ、もうひとりの男装の女房殿は疲れ切っているのだろう、うつらうつらと眠り込んでいる。
勝千代は黙って若君を抱き上げた。
ふくふくと丸い子供はずっしりと重く、小柄な勝千代の腕には余るが、数歩の距離を何とか運んで、囲炉裏の側で降ろした。
「白湯はいかがですか?」
季節柄、空気は少しひやりとしている。しかし囲炉裏に火を入れても、部分的に壁がないので室温は上がらない。
土井が二つの湯呑みに白湯を注ぎ、片方を毒見のために一条家の武士に手渡す。
十分な時間を掛けて毒見をされた白湯は冷めてしまったが、喉が渇いていたのだろう、万千代さまはごくごくと音をたてて飲み干した。
水分補給をしたら次は厠かなと、声掛けをしようとした寸前、若君がいないと気づいた女房殿が慌てた様子で部屋を出てきた。
勝千代の膝の上にいる万千代様を見て安堵の表情を浮かべ、へたりとその場に腰を落とす。
「女房殿もどうぞ」
勝千代は、男装していてさえたおやかで美しいその女房殿をじっと見て、おそらくこの方もどこぞの公家の血筋なのだろうと思った。
所作がいちいち美しく、洗練されているし、一条家の武士たちも彼女のことを尊重しているのが目に見えてわかるからだ。
「いつまでもここにいるわけには参りません」
白湯を口に含んでいる女房殿を見てそう言うと、彼女は不安そうな表情で勝千代を見た。
「皆さまの到着を待ちたいところですが……若君と姫君の御身を守る方を優先しようかと思います」
「そ、それは」
「同じところにとどまっているのは危うい」
今弥太郎らに状況を調べさせているが、まだ詳しい事はわかっていない。
楽観できる状態ではなく、どこからかの助けがすぐに来るとも考えにくい。
一番にこの状況に対応しそうなのは管領細川氏だが、大急ぎで動いてくれたとしても数日のタイムラグはあるだろう。
今はまだ、事が起こったばかりのその夜。
ここからの数日をどう動くかで、生き延びる事が出来るかどうか決まるだろう。
それは勝千代たちだけのことではなく、市井に生きる一般の人々にとっても同様だ。
「若」
逢坂老が鋭い声で勝千代を呼んだ。
腕の中で、万千代様がびくりと震える。
「囲まれておりますぞ」
「数は」
「五十程」
女房殿が「ひっ」と息を飲んだ。
「どこかの兵か?」
「いえ、禿げ頭どもです」
ハゲとか言うな。年の割にふさふさだからって差別用語だぞ。
勝千代が顔を顰めたのをどう受け取ったのか、逢坂老は恭しく頭を下げた。
「失礼、身なりから言って僧籍の方々。袈裟の形から言えば臨済宗」
「臨済宗?」
思い出したのは、橋の上の物々しい僧形たち。多分あれがそうだ。
「こちらが何者かわかっているのか?」
「どうでしょう」
逢坂老の言葉が終わらないうちに、誰の耳にもわかるほどの音量で、ドタバタと乱雑な物音と揉みあう声のようなものが聞こえた。
その場にいた男たち皆が刀を手に腰を浮かせる。
いや、相手はお坊さんだから。
すぐに刀を抜こうとするのはやめなさい。
何も敵だと決まったわけではない。
「まず話を……」
人数的な問題ならば、それほどの差異はない。だが、こちらには女子供の非戦闘要員、要するに足手まといになる者が多いのだ。
穏便に済むならばそうしたいところ。先に目的を聞くべきだと言おうとした矢先、びゅんっと何かが飛んでくる音がして、部屋の内部、後方の壁に硬いものがガツガツと食い込んだ。
矢だ。しかも火矢。
たった数本だったので、警戒していた男たちが慣れた手つきでサッと抜いたが、今この時、京の町が大火に見舞われている状況で……火矢?
馬鹿じゃなかろうか。
まさか臨済宗の僧侶が付け火をしたとか? そう疑われかねない愚行だ。
「矢を射ているのは武士です」
更に数本、壁のない部分を狙った矢は、屋内に刺さることなく土間に叩き落された。
火のついた部分を足で踏み、ついでとばかりにバキリと矢柄をへし折ったのは谷だ。
「坊主と武士がやりあっているようです」
そもそも僧侶が弓矢を引くというイメージがなかったのだが、やはり武士か。
僧侶と武士が対峙している? 何故?
状況がよくわからない。
連中がやりあっているのなら、その隙に移動したい。
だが夜の闇の中をむやみに踏み出すのは危険だ。
少なくともどの方向に行けばよいのか探らせる必要があり、弥太郎不在の今それは非常に困難だった。
その危険な役目を引き受けてくれたのは田所弟だ。
こういう時のための控えだと言って笑った。
逢坂老は咳払いして誤魔化そうとしていたが……あとでしっかり言い訳を聞かせてもらうからな!




