59-3 東三河 吉田城2
勝千代が直垂姿で大広間に駆けこんだ時、既に皆が集まっていた。
いや正確には、すぐにも出陣できる用意を整えて、他ならぬ勝千代の到着を待ち構えていた。
入って真正面は空席。その左側に座っているのは太い腕を組んだ父。右側が朝比奈殿。大広間に入りきらないほどの人数が集まっていて、その全員が序列通りに並んで座っている。
勝千代は、敷居をまたいだところで足を止めた。
ここはかつて、牧野の当主が最後まで居座っていた場所だ。
今川軍が城を落とした時には、すべての部屋が閉め切られ、城主一族はその奥深くに身を潜めていた。無理やり引きずり出した際を思い出しながら、ここはこんなにも広かったのかと改めて見回す。
襖や障子はすべて外されていた。庭に置かれた篝火が、夜の闇に真っ向から張りあっていて、ごうごうパチパチと大きな炎を上げている。
その明るい輝きが、揺れながら大広間を照らし出していた。
斜めに差し込む篝火の明かりが絶妙な陰影を纏い、鎧を身にまとった男たちを物々しく浮かび上がらせている。
たったひとつ空いているのは最上座。
勝千代に用意された席だとわかっていても、そこへ向かうには覚悟が要った。
父を差し置いての上座。それはつまり、勝千代がいまだこの軍の総大将であることを示している。
たった八歳の子供の采配に、歴戦の将である父ですら従うという無言の圧だ。
さながら、お盆に魂を乗せて差し出されたような気分だった。
もちろん父だけの事ではない。この場にいるすべての者たち、顔見知りを越え単なる知己とはもはや言えず、困難を共に乗り越えてきた同輩たち。そんな彼らの命をも差し出されている。
百戦錬磨の父や朝比奈殿を差し置いて……強くそう思った瞬間、父がこちらを向いた。
普段の柔らかい眼差しではない、物理的に射抜かれるかのような、鋭い視線だった。
「お勝」
そのどっしりと低音の呼びかけに、部屋中の男たちが居住まいを正した。
がちゃがちゃと鎧がこすれる音がして、下座の者から順に頭を下げる。
この時代の座り方は胡坐が主流なので、胡坐の開いた両膝の前に拳を突くような礼の取り方だ。
最後に朝比奈殿が頭を下げた。その次に、父が腕組みを解いた。
―――嫌だ。
とっさに思ったのはそのひと言だ。
父にまで頭を下げられたら、どうしていいのかわからなくなる。
「父上」
とっさに、強い口調で声を発していた。
「阿波細川軍が川を渡ったとか」
急ぎ足で武装した大人たちの間を突き進む。
「被害はいかほどでしょうか」
その必死過ぎる表情に何を思ったのか、父はほどいた手を床にはつかず、太ももの上に置いた。
父に頭を下げさせずに済んでほっとすると同時に、冷たい大きな塊が、食道を通って胃まで落ちてくるような気がした。
「朝になるまでわからぬが、今のところ戻って来たのは十人足らずだ」
普段よりも低く、険しい口調。
そんな父の深刻そうな表情を見て、勝千代もまた顔を強張らせた。
三百もの兵を割いた。その生き残りが十人にも満たないのか。
大勢の命が失われた。大切な味方の命だ。頭を下げる下げないなどと、うじうじ考えている場合ではない。
「敵影は見えますか? 数はどれほどでしょう」
「見張らせているが、はっきりした事は暗うてわからん」
三百の兵を置いていた場所から城まで、それほど距離はない。
すぐにも城攻めが始まるとみるべきだろう。
今度は川を堀の代わりに使うわけにはいかない。ならばどうする? ここは平城、守るのはかなり難しい立地だ。
「勘助」
勝千代同様、首から上しか役立て所のない男。末席の方に足を投げ出して座っていた勘助が、弾かれたように反応した。
「北側にいる管領殿と、南の阿波細川軍をぶつけたい。どうすればいい」
大広間中の視線を浴びて、勘助の顔が真っ赤になった。
緊張しているとか、怒っているとか、そんな感じではない。ではどういう意味の表情かと問われると、返答に困るが。
「半刻以内に献策せよ」
勘助は背筋を伸ばそうとしてうまくいかず、結局曲がった姿勢のままふてぶてしい表情で「御意」と言った。
長々と話をしていても、状況が良くなることはない。
目を閉じて考え事をしている勘助は放置して、それぞれの将に持ち場を指示した。
指示といってもできる事は限られている。布陣が破られた場合のフォローはどうするか程度のものだ。
軍勢が南側から攻め込んできているのに、北側にも兵を置かなければならないのは、二分した細川連合軍が北側からも攻め込んでくる可能性が高いからだ。
まだ豊川を渡ったという報告は上がってきていないし、万単位の人数があの川を渡るのには時間が掛かるだろう。
それでも、いずれは兵をそろえて吉田城を落とそうとする。
夜が明ける頃に南側からの第一弾、北側の軍勢と時を合わせて第二弾の城攻めがあると考えるべきだ。
本命は、南北からの挟撃で間違いないと思う。
それが分っているのに、待ち受けるしかないのがもどかしい。
吉田城の簡易な縄張り図を指し示し、兵の配置を命じ終える。特別なことはしていない、ごくありきたりな布陣だと思う。
まだ勘助の思案は終わっていない。
勝千代はもう何度目かにその様子を横目で見てから、皆に持ち場につくようにと命じた。
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




