56-4 東三河 姫街道 和田近辺
接敵した。
その知らせを聞いたのは、興津との合流予定よりも丸一日も早かった。
ゆっくりしていたつもりはなく、まだ時間はあると本気で思っていた。
だが勝千代らはようやく国境を超えたあたりで、情報のタイムラグを考えても今更間に合わない。
三万の敵。
字面だけ聞くとひどく絶望的な、仮に勝千代らが間に合っていたとしてもどうしようもない、圧倒的兵差だ。
どんなに頑強な砦だとしても、この圧倒的兵差を凌げるはずがない。
砦に詰めている興津の兵は、多く見積もっても五百。曳馬城にどれだけ残したかにもよるが、それ以上にはならないはずだ。
仮に攻めてきたのが敵のごく一部だとしても、厳しい戦いになるだろうと予想できる。
だが砦は持ちこたえた。
顔から血の気が引くと同時に、「?」と疑問符が頭を過る。
勝千代同様、首を傾げている皆に向かって、片膝をついた段蔵が同意するように頷きを返した。
「斯波が突出したのですが、後が続きませんでした」
騒めいた本陣がすぐに落ち着きを取り戻すのを待って、淡々とした口調で報告を続ける。
「細川本隊の大部分はまだ尾張にいます。西三河に大きな顔をして侵入してきた斯波軍に、三河勢はいい顔をしていません」
段蔵には、細川連合軍の兵糧について詳しい所を調べさせていた。
これだけの軍が動くのだから、兵站が大規模になるのはわかりきったことだ。道中での徴用だけで足りるはずはないから、尾張あたりの港で順次補給していくのだろうと予想していた。
南下するにしたがって三河湾内でも活発な取引があるはずだと、詳しい情報を集めさせていたのだ。
勝千代の大いなる強みと言えば、堺衆とのコネクションだ。もちろん彼らを大っぴらに味方として扱うわけにいかないが、それとない助力はしてくれると思う。たとえば……そう、輸送する米の量を手控える、あるいは遅らせるなどだ。
誰もが真っ先に、その圧倒的兵数に目が行くのだろうが、勝千代がまず考えたのはそれを維持するために必要な物資だ。
兵糧はもちろん、矢などの武具を運んでくるコストもかかる。真冬ほどの炭代はかからないかもしれないが、生水は避けたいだろうから湯を沸かす必要はどうしても出てくる。
百人二百人ではない、三万もの大勢が必要とする物資は、素人では想像もできない量のはずだ。
そこを締め上げるだけで、必然的に兵の足が鈍るのは明白。
勘助がしつこく献策してきた本願寺門徒による奇襲についても、兵站を潰せば軍は身動きが取れなくなると言う前提のものだ。
今のところその策は四割方採用といったところだ。
補給路を完全に閉ざすのはうまい方法ではない。最初から略奪という方針に出られるのも困るので、徐々に、なかなか兵糧が届かないという状況にもっていき、このまま先に進むと食う物がないのではないかという危惧を兵らに抱かせる。
軍のトップは、なかなかそれに気づかない。何故なら、そこに食う物が行き渡らない状況に陥るのは、最後の最後だからだ。
「進路を変えましょう」
三河国内の街道は複数あって、勝千代は遠淡海(浜名湖)を北に迂回するルートから入った。南側の今切を通る街道が一般的な東海道なのだが、その道とは三河国内で再び合流する。
更には海岸沿いの交易路もあって、補給が怪しい細川軍はそこを南下してくると思われている。
軍議の席で、勝千代が扇子の先で示したのは、街道が複雑に入り組む最前線の砦ではない。
「吉田城ですか」
今の道沿いを行けば、砦に到着する前に、遠江との国境沿いを山の方から下ってくるまた別の街道と交差する。
吉田城はその街道と豊川との合わさる要所にあった。
位置的には砦よりも後方になるが、敵の行軍ルートを考えた場合、細川連合軍が通ると思われる道筋に近い。
そして何より、吉田城を主城にするのは牧野家。
四年前の戦により今川家に反目し、その本家は断罪された。今牧野を名乗っているのは分家の末端で、一応家名は残っているが、その大きな決定権は今川家が担っている。
つまりは、実質的に今川に従属している家門なのだ。
「牧野とは微妙な関係です。ここぞとばかりに今川と袂を分けようとするかもしれません」
天野殿の考え深そうな言葉に、遠江の国人衆がそろって首を上下させる。
四年程度の短い期間では、戦勝国と敗戦国の関係性はどうにもならなかった。
遠江の国人衆にとって、図々しく攻め込んできた裏切り者。牧野ら東三河勢にとって今川は、厳しい締め付けで実質的な支配をしている目障りな国だ。
四年前も、その片鱗があってこその侵攻だった。
色々と策謀に乗せられての行動だったが、彼らの根本にあるのが今川家からの独立なのは明白だ。
再び機会が巡って来たと息巻いているのが目に見えるようで、要するに砦はまたも餌として差し出されそうな状況だということだ。
「……もういい加減潮時ですね」
朝比奈殿の声に感情は乗っていない。
弥三郎殿の件もあり、朝比奈家と牧野家との因縁は根深いものがある。
「東三河の国人衆は、細川につくでしょう」
勝千代は断言した。
いや、実際はどちらともとれる日和見の立場をとるだろうと予想はつく。
だが、今この時点で立場を明確にしていないということは、「味方にはならない」と受け取っていいと思うのだ。
ここで西三河の松平が、それとなく情報を流してきた意味が出てくる。
つまり松平はいち早く、細川軍に協力するように見えても今川家に対する敵意はないと言ってきたわけだ。
対して東三河勢はどうだ。どこも書簡の一通も送っては来ない。実質的に今川家に支配されている牧野家ですらも。
例えば今このときから、東三河の「実質的支配」から方針を変更しての「直接支配」に踏み切っても、誰も文句は言えないだろう。
勝千代は、コンコンコンと卓上を扇子で叩いた。
子供の一筆書きのような地図の上、街道と豊川とが交差する付近。
吉田城は豊川と街道という交通の要所に構築された平城だ。
山城のように守りに特化した城ではない。
対岸に敵がいるなら、豊川も堀代わりに使えるが、いったん川を渡られてしまえば、背水の陣という形になってしまう。
まあどのみち、どんな頑強な防御を誇る山城だろうが、三万の敵に囲まれてしまえば守りきることは難しいのだ。
三万対三千で砦を防衛するよりは、吉田城のほうがまだ地理的な優位を保つ事ができる。
なにより。
勝千代は卓上をノックするのをやめて、ぱちりと扇子を開いて閉じた。
ゆっくりと地図から視線を上げて、居並ぶ遠江の国人衆に目を向ける。
「吉田城に今川の旗を揚げます」
それは、東三河の支配を主張する宣言だった。
何度も書き直しましたが、難解な部分です。
書き直しても書き直してもわかりにくい。
書いている本人にも難解です。修正したい。でもどこを直せばよいかわからず。
いったん諦めてそのまま更新します。
「ふーん」程度に読んでください。




