5-3 上京 一条邸 中門3
素早く書き上げ、二通ともに弥太郎に託した。
正式な書類なら忍びを使うと非礼と取られることもあるだろうが、今は緊急、しかも相手がどこにいるか正確にはわからないという事もある。
確実さを求めて弥太郎に預け、勝千代はすぐに中門廊へと戻った。
勝千代が与えられた離れはかなり奥まったところにあり、実は本殿北の棟の一角だ。
故に、中門廊へ戻るためには特殊なルートをたどらなければならない。
それは一部北棟を経由するというもので、少々気を使うものでもあるし、回り道になるということもあり、勝千代が選んだのは、使用人たちが普段使っている近道、つまり庭を突っ切っての直進コースだ。
中庭の細道を通って、使用人たちが踏み固めた砂利道を小走りに進み、先ほど東雲と別れた場所まで戻るころには、連子窓から見える四脚門がしっかりと閉ざされているのが見て取れた。
役人たちは一層声高に、門を閉ざしたことへの苦情を叫んでいるが、正門前にびっちりと横一列に並んだ一条家の者たちが、背筋の伸びた美しい立ち姿で扉に触れる事を拒んでいる。
彼らもまた武士だが、一条家に仕える者たちで、勝千代同様自称役人どもよりも身分は低い。だが、どちらがより武士らしいかと問われると……言わずもがな。
勝千代は、うまく閉門できたことへ安堵の息を吐き、例の子供、吉祥殿がまだそこにいる事を目で確認した。
「……軍配はどうだ」
「はい、あのお方が出て来てから、うまくいなせております」
三浦兄の言葉に、小さく頷く。
東雲はわかりやすく公家らしい男だから、その真っ白な狩衣姿もあいまって、一般的感覚だと近寄りがたいのだ。
耳を澄ませば、内心の怒りを見事に覆い隠し、誰もがイメージする典型的な公家貴族らしく、のらりくらりと連中を惑わせている。
「ふははははは!」
よく通る哄笑は、侮蔑も怒りも含まず軽やかで高い。
「誰がそのような事を? 一条邸にかような狼藉ものなど入るわけないやないか」
「いやっ、確かに知らせが」
「知らせ? どこの誰からの? あのなぁ、ありもせぬ事を口実に、北の御方や姫さんに会わせろいうのは、あんまりにも不躾やないか」
「ご無事ならその御姿をと、先ほどから何度も申し上げております!」
「公家の女子は、身内にしか姿を見せぬ」
「しかし!」
「お役目ご苦労さんやなぁ。火の手はまだ収まっとらんようや、そちらへ行った方がええんやないか」
この調子だ。
それでもなお食いつく場所を探している相手方の役人も、なかなか根性がある。
ちなみに、松田でも箕面でもない。やけに若々しい声だ。
「逢坂は」
「門の表で締め出した役人どもに睨みを利かせています」
「死傷者は」
「まだ出ておりません。……役人の若い方がなかなかやります」
「先ほどからずっと同じことを繰り返しているように見えるが」
「意図的にでしょう」
耳を澄ませていると、また最初のくだりから二人の会話が始まる。
言葉まわしは都度違うが、なるほど、双方ともに時間稼ぎをしているのは丸わかりだ。
時折混じる濁音、聞くに堪えない大声は、先ほどの若い男の上役か、同僚か。内容からして交渉でも何もなく罵倒に近いが、それを丁度いい感じで若い男がオブラートに包む。
言葉は違うかもしれないが、飴と鞭のような猛攻を、東雲がのらりくらりと躱している形だ。
「……ですが、もうあまりもちませんよ」
勝千代の背後から連子窓の外を見ていた、勝千代の側付きの方の土井が、険しい表情で言った。
「今にも飛び出していきそうです」
すでに頭からかぶっていた布はどこかに飛んでいき、見るからに派手な、目にも眩い水干姿が松明の明かりに浮かび上がっている。
隠す気があるのか? そう問い詰めてみたいほどに、派手な服装だ。
確かに、周囲の大人たちに両腕をつかまれていなければ、鉄砲玉のように突進してきそうだ。
今吉祥殿に出て来られては、収拾がつかなくなる。
勝千代の算段だと、急使が届け先を探し当て文を届けるまでに三十分、彼らがこちらに来るまでに三十分。
おそらくは、伊勢殿や権中納言様が駆けつけてくるまで一時間ほどはかかるだろう。
一時間、あの鉄砲玉が我慢できるだろうか。
……否。
取り返しがつかない事態が、刻一刻と近づいて来ている。
なんとかしなければ。
「お勝さま」
そんな時、暗がりから聞こえてきたのは、若い女性の声だ。
勝千代の側付きたちが皆そう呼ぶので、一条邸の使用人のうち、特に女性陣からも呼ばれるようになっていた。
表の騒ぎから目を逸らし、真っ暗な廊下をじっと見ると、角の方から小柄な若い女房殿が白っぽい袖を振っていた。
「よろしいでしょうか」
京訛りのイントネーションでこそこそとそう言われて、小首を傾げる。
むくつけき田舎武者である側付きたちがいるせいで、近づいてくることに躊躇っているようだ。
「どうぞ、こちらへ」
三浦兄がさわやか笑顔でそう言うと、ようやく安心したようにほっと息を吐き、ささっと足音を立てずに近づいてくる。
「どうされましたか。御方様になにか」
勝千代が一礼してからそう言うと、女房殿も軽く膝を折って返礼してきた。
見覚えのあるその女房殿は、権中納言様の御正室、北の御方付きだ。
「先ほど、お勝手のほうに松田様とおっしゃられる方がいらして、お勝さまと面会をと」
勝手、つまりは厨の女中から女房伝いにお方様まで話が上がったのだろう。
「……松田?」
その松田というのは、髪が茶色い例の松田殿で間違いないだろうか。
今さら勝千代に何の用だろう。そんな事をしている暇があるなら、あの鉄砲玉を止めてほしい。
今はそれどころではないので、待たせておくようにお願いしようとして、ふと思った。
正門のこの騒ぎを、気づかないわけがない。
それではきっと、吉祥殿を止める手立てを何か教えてくれるかもしれない。
至急、話を聞いた方がよさそうだ。




