52-4 駿東 富士川
わかっていた事だが、大事な予定ほど予定通りにはいかないものだ。
まだ日が高いうちに興国寺城を出て、街道沿いを西へ。白桜丸に揺られながら、歩兵の速度に合わせてのゆっくり行軍……ではなく、それなりの速度での急ぎの行程。
いや真実急いでいるのだからそれはそれでいいのだが、海沿いに広がる広大な湿地帯は足場が非常に悪く、行きと同様、大きく迂回路を取る必要があった。
湿地そのものもそうだが、富士川の支流が網の目のように広がっていて、しかもそれらの川は増水していて渡れないのだ。
川の渡しが機能している上流にまで遠回りする必要があり、しかも千もの兵がすべて渡りきるには一日では足りなかった。
そこで足止めされることは織り込み済みだったが、思いのほか手間取り、半日は余計に時間が掛かってしまった。
何もできず、ただ待つだけという状況は、精神的にかなりのストレスだ。
だが、悪いことばかりではなかった。
復興作業と甲斐への牽制で目を光らせていた朝比奈殿と合流できたのだ。
「河東ではかなりの激戦ということは伝わっておりましたが、今川館の異変には気づきませんでした。申し訳ございません」
そう言って深々と頭を下げられたが、やむを得ないと思う。
他国が攻め込んできたわけではない。大きな騒動が起こったわけでもない。
表面上今川館は平穏無事で、今のところわかっているのは、その地を防衛する興津と連絡がつかないということだけなのだ。
朝比奈殿は勝千代の危惧を気にし過ぎだとは言わなかった。彼自身も、常とは違う何かを感じていたのかもしれない。
勝千代はぼんやりと、残りの行程について話を詰めている朝比奈殿と渋沢らを眺めた。
目の焦点が合わないのは、身体的な疲れからだ。
尻どころか全身が痛い。手綱を握っていたわけでもないのに、腕まで痛い。
馬から降りて丸一日経つが、いまだに平らな地面が揺れているような感覚がある。
だがじきすべての兵が川を渡り終える。それを待って、再び駿府に向かって出立しなければならない。
はっきり言って苦行だ。
勝千代は梅干し入り白湯を飲み終え、咥内に残った種をコロンと湯飲みに落とした。
「いったん由比まで行って、そこで……」
今彼らが話し合っているのは、いわゆる薩埵峠あたりの難所のことだ。駿河の国が東と西で分断されがちなのは、海の間際まであるあの山のせいだろう。
越えていくには、箱根のように険しい山道に分け入るのではなく、そそり立つ山の際を波しぶきを浴びながら突破しなければならない。
もちろんすべての道が難所というわけではなく、部分的には山沿いの岩棚を歩く場所もあるが、大潮の時期にはそこも浸かるらしいから、総じて干潮時だけ通ることができる道だと考えたほうがいいだろう。
一里と少しとのことなので、距離にしておおよそ四キロ半から五キロほどだろうか。個人で行くのなら潮が引く頃を見計らって出れば問題なさそうだが、大軍ともなると難しい。
現に行きでは、最後尾が通過し終えたのは四日後だったそうだ。
「興津」
ぼんやりと梅干の種を眺めていた勝千代の耳に、その名が飛び込んできた。
とっさに脳裏に浮かんだのは、人がよさそうな興津の顔だ。
だが彼らが言っているのは興津一族の本領の地名のことで、難所である菩薩峠を抜けた先にある。
今川では数少ない水軍を保有していて、数年前からは遠江にも地盤ができ、これから伸びしろがある一族だと思う。
再び興津の顔を思い浮かべる。あの男と連絡がつかないということは、すなわち御屋形様にも異変が起こっている可能性があるということだ。
それに興津一族は関係していないだろうか。
そういえば、駿河衆の一族も呼び寄せ今川館の守護にあたると言っていなかったか。
何がどうなって思考がそこへ到達したのかわからない。
略式の駿河の地図が頭の中で広がって、興津川の向かいに見える清水の湊に堺衆の大きな船がゆっくりと入っていく様がコマ送りのように続く。
興津家は古くから、清水の湊の守りを担っている一族でもある。
そんな彼らが今、今川館にいる。
ゴトリと音を立てて湯飲みが石畳の上に落ち、皆の視線が一斉にこちらを向いた。
勝千代はコロコロと転がり出た梅干しの種を、目を大きくして見つめていた。
「勝千代様?」
渋沢が気づかわし気に声をかけてくる。
大人たち……勝千代に近しい者たちだけではない、もしかすると見える範囲にいる一介の雑兵ですらも、こちらを横目に不安そうな表情をしている。
しょっちゅう馬から飛び降りて吐き、ふらふらで抱えられてまた馬に乗せられているのだから、常識的な大人なら心配もするだろう。
皆が皆、勝千代がその場で倒れるとでも思ったかもしれない。
藤次郎ら三浦兄弟が慌てて立ち上がる。
その背後で、富士川の渡しを最後にわたる船が、二十人近くを詰め込んだ状態で到着するのが見えた。
小さな船に、人を詰め込み、馬も兵糧も積む。
船頭たちは巧みに船を操り、濁流の川を何度も往復する。
「お勝様!」
側近くにいた土井が、ふらりと上半身を傾けた勝千代を支えようと腕を伸ばす。
勝千代はその腕を逆にぎゅっと掴み返した。
「里見水軍だ」
「……はい?」
やられた。気づかなかった。いや、気づこうとしなかった。
今川との決戦が避けられないと悟ったとき、北条は真っ先に兵糧(銭)の枯渇を危惧しただろう。
そこでまず考えるのは何だ? 足りなくなる物の補充じゃないのか?
堺衆が運んできた兵糧が清水湊に大量にある。今川はそれを元手に北条を締め上げるつもりだろう。ならばそれを奪ってしまえばよい。
彼らがそう思ったのが、今更ながらに手に取るようにわかる。
北条が里見と組んだのは、韮山城を取り返すためだけではないのだろう。
兵をただ運ぶだけの同盟だと何故思った。
里見水軍が今川領のどこかを襲うかもしれないと、一度は想像したじゃないか。
北条は今川の兵が河東に集まるように仕向けた。
清水の湊を守っている興津一族は駿府にいる。
……うまそうな湊ががら空きだ。




