1-3 下京 宿2
「申し訳ございません」
佐吉が去り、色々と考え込んでいた勝千代に、弥太郎が深々と頭を下げる。
言いたいことはわかる。
佐吉がもたらした諸々の情報は、本来であれば弥太郎ら忍び衆が収集してくるべきものだからだ。
だがしかし、手勢にも限りがある事、佐吉と違ってこの地がホームではない事、京に到着して半日という事を考えると、まだ失態と言える段階ではないと思う。
しかも、佐吉の話を全て鵜呑みにするのも危険だ。
ここ数年付かず離れずの仲で、敵とは言えないが、明確に味方とも言い切れない関係なのだ。
「詳しい事を調べさせます。お時間を頂ければ」
そうだな。大至急だ。
特に、福島亀千代……つまり庶子兄についての情報が欲しい。
佐吉からの情報によると、庶子兄は幕府政所執事伊勢家に居候しているという。
いろいろと突っ込みどころがある。
幕府の伊勢氏といえば、例の鏡如の親族だ。そこはまあ考えない事にしても、御屋形様の御母上、桃源院様の親族でもある。
厳密にいえば、桃源院さまは備中の出らしく、伊勢氏といっても支流らしいが、親しく付き合いのある仲なのは間違いない。
そんなところに何故、庶子兄は匿われているのだろう。
いや、匿われている云々は、詳しい事が分かるまではっきりしたことはいえない。
だが、その「福島亀千代」を名乗る男が、真に庶子兄であるなら、父により福島家から放逐され朝倉家に預けられたはずなのだ。
そこを抜けだし、伊勢家に?
四年前に曳馬城にいたという件も解決していないし、色々と調べなければならない事は多い。
「扇屋については何か知っているか? 聞いたことがある気がするのだが」
「……はい」
付き合いも長くなってくると、返答のコンマ数秒の間ですら気づいてしまう。
何故気まずそうにしているのだ、と首をかしげると、弥太郎は渋々と口を開いた。
「……つまりなんだ、楓が冤罪をこしらえ、その方が下男を軒先につるしたあの商人か」
四年前、掛川から駿府で向かう途中で立ち寄った宿場町で、興津が「処理」をした悪徳商人だった。
そう言えばそんな奴らがいたなと思い出し、顔を顰める。
部屋に押し入り悪さをしようとしたのは問題だが、軒先に裸でぶら下げるというのはやりすぎだった。
「なるほど」
あの時は差し迫った事情があったので、どういう対処をされたのか最後まで聞かなかった。父親の方が牢に入れられたと聞いた気もするが……
「すぐに調べさせます」
弥太郎は勝千代が頷くまで待って、腰を浮かせた。
仕事が早い男だから、早々に動くだろう。
その前に、と片手を上げると、弥太郎は片膝を浮かせた状態で動きを止めた。
「取り急ぎ動きそうなのは扇屋だが、重要度は亀千代のほうだ」
勝千代は常に、仕事には優先順序を提示するようにしている。
弥太郎の配下はかつての三倍ほどになっているが、それでも勝千代が知りたいことすべてを網羅するほどではない。
もちろん襲撃されるなどの緊急性の問題もあるが、庶子兄の名がこんなところで出てきたことに嫌な予感がする。
四年前は、三河侵攻が起こった。
兄が原因だとまではいわないが、何がしかの役割を担っていたのは確かだ。
「せっかく消息がつかめたのだから、張り付かせろ」
目を離せば、またどこかに雲隠れしてしまうかもしれない。
勝千代の中で、一度も会ったことのない庶子兄は、その容姿や気質などまるで知らないにもかかわらず、腕を落とされた千代丸の年長者バージョンのイメージで固定されている。
要警戒人物が実際はどういう人物なのか、知らないのは問題だ。
弥太郎が下がり、入れ替わりに三浦兄弟が部屋に入ってきた。
手に持っているのは室内着だ。今身にまとっているのが、少し硬い生地の外出用直垂で、三浦兄弟が用意したのは肌触りが良い小袖と袴。
プライベートは身体が楽な、締め付けのないものの方がいい。
「日向屋の手土産、甘葛でございましたよ!」
三浦弟がものすごく嬉しそうに笑って、漆塗りの入れ物を勝千代の前に置く。
「最近流行りの、粉熟もありますよ!」
この時代、甘いものはめったに口に入らない。だがさすがは京、勝千代にも馴染みのある名前の菓子から、聞いたこともない菓子まで、想像していたより豊富な種類の菓子が売られている。
そしてここ数年、米粉や麦粉に甘葛を練り込んだ粉熟と呼ばれる菓子が大流行しているらしい。
平助が組みひもを解いて蓋を開けると、甘葛入りの陶器の入れ物と、可愛らしく成形された菓子が並んでいた。
「是非それがしが毒見を!」
二十歳という年の割には、つるりとした少年のような面差しの平助が、目をキラキラさせながら言った。
いや、普通に駄目。勝千代が命を狙われる頻度は極めて高いのだ。
「後でちゃんと分けてあげるから」
そんながっかりした顔をしても駄目だから。つまみ食いなんぞするなよ。
着替えを済ませ、毒見が終わった菓子をひとつ摘まんだ。
若干粘度のある菓子を味わい、風味の良い煎茶とともに堪能する。
この時代の甘味は、さっぱりとしたほのかな甘みのものが多い。
こてこてに甘いチョコレートやケーキ、バターのたっぷり入ったクッキー。……特に甘党だったわけではないが、二度と口にはできないのだと思うと恋しくなる。
「お勝さま、夜の膳は湯豆腐だそうですよ!」
先程までは菓子に興味津々だった平助が、次は晩御飯の話題を振ってくる。
色気より食い気増し増しな奴だから、京の多様な食文化はまさにカルチャーショックなものなのだろう。
「失礼いたします」
開け放たれた障子の向こうに、土井が膝をついていた。
お使いを頼んでいたので、それなりのパリッとした身なりをしている。
「ただいま戻りました」
「お変わりなかったか?」
勝千代の毎度の京行きの主目的、書の師匠である東雲の兄に、訪問の先ぶれを頼んでおいたのだ。
高名な書家であった東雲の御父上は、東雲が京に呼び戻された翌年、病によりこの世を去っている。
現在の当主はその実兄、かの伊勢神宮の祭主を代々務める名家を継がれ、お忙しい方なのだが、東雲の口利きもあり、遠江の武士の子である勝千代にも大変よくしてくれている。
「それが……」
土井の表情はすぐれない。
勝千代は湯呑みを脇に置き、深刻な表情の土井に何があったのかと問うた。
土井は口ごもり、若干肩を落とし。
藤波邸が火事により焼失していたと、気落ちした口調で言った。