51-1 駿東 長久保城 大手門前1
下げられた頭が、つるりと太陽の光を反射する。
場違いなのは直垂姿の子供、勝千代だけではなく、墨色法衣の僧侶も相当だった。
戦場に僧侶。もはや普通のことのように感じてしまっていたが、そんなわけはない。
武装もしていない子供と僧侶の取り合わせは、やはりかなりの異様さを放っていた。
なにしろ周囲の男たちすべてが完全装備なのに、そこだけ冗談のように空いた空間の中、たったふたりの軽装組だ。
「……まことに申し訳ございませぬ」
承菊のその言葉に合わせて、大勢がずりずりと額を地面に着ける。
駿河衆の本隊はまだ伊豆半島の入り口に布陣したままだ。
北条軍が長久保城の大手門前から東に引いたので、駿河衆の主要な面々が百ほどの護衛を連れて、勝千代に面談、申し開き、いや謝罪に訪れていた。
合流した直後。大手門前で待ち構えていた勝千代と対面した瞬間、承菊をはじめ駿河衆の面々はその場で這いつくばって頭を下げた。
胡坐ではなく、両手と両膝をついての屈辱的な、身を投げ出すような頭の下げ方だ。
名だたる国人領主たちが五体投地のように叩頭する姿に、周囲が騒音もなく静まり返った。
風の音がする。ぱたぱたと指物を揺らし、少し離れた川が流れる音すら聞こえるほどに、誰もが口を開かず無言だった。
勝千代もまた黙ったまま、這いつくばる男たちを見下ろした。
謝れば許されると思っているのか?
今度の戦でどれだけの人間の人生が消し飛び、悲惨な結末を迎えさせたかわかっているのか?
明け方までの曇天から打って変わり、今は晴れ間がのぞいている。
雲の切れ目から見える青空には太陽、その差し込む光が絶妙なスポットライトのように斜めに落ちてきている。
光の加減だろうか、その鎧兜に戦塵は見てとれず、汚れや破けなどもわからない程度。長久保城の将兵より楽な戦いを繰り広げていたのかと穿ってみたくもなる。
「不甲斐なくも後方を抜かれている事に気づきませず、駿東を危うく危機にさらしました。すべては我らの不徳の致すところ、この地をお守りくだされた勝千代殿のご尽力に……」
承菊の土下座謝罪は更に続いたが、勝千代は無言のままで、這いつくばった禿げ頭を蹴飛ばしてやりたい衝動と戦っていた。
取り囲む兵たちどころか、飾り立てられた騎馬までもがその空気を読んで大人しくしているのに、頭を下げた駿河衆の態度はどこか楽観的だ。
心底謝罪しているというよりも、こちらの反応をうかがうような深刻さのない態度に、そもそも紙のように薄かった忍耐力が吹き飛びそうだった。
握りしめた扇子がミシリと鳴る。
先程見舞った逢坂や若い護衛の顔を思い浮かべた。
ふたりとも高熱のまま意識が戻らず、予断を許さない状況だ。このまま意識が戻らなければ、覚悟をしておけと言われてしまった。
命の瀬戸際にいるのは逢坂らだけではない。他ならぬ勝千代の命令で戦った大勢が死んだし、負傷した多くがろくに手当てをうけることができないまま命を落としている。城まで何とか連れ戻ったが、あと数時間ももたないだろうと言われている者もいる。
こいつらをその者たちの前に連れて行って、頭を下げさせてやろうか。
形だけでも謝罪すればよかろうと、透けて見えるその態度。
許す許さないと言える立場ではないのかもしれないが、真摯さのかけらも感じないことへの怒りは……もう隠す必要もないな。
勝千代は、ぴたりと地面に額をおしつけている承菊から視線を外し、そわそわと身じろいでいる駿河衆に冷ややかな一瞥をくれた。
なおも長々と謝罪は続いているが、背後の者たちは居心地悪そうに勝千代の反応を見たり、周囲を伺ったり、落ち着かない態度だ。
そもそも承菊はこの集団の代表なのか? 確かに庵原殿の実子だが僧籍だし、その他にも例えば葛山殿や関口殿もいるだろう。
ふたりはじっと動かず頭を下げているが、勝千代の目にはそれは責められないようにとの保身に見えた。
僧侶である承菊を表に立たせれば何とかなると思ったのか?
勝千代は、誰もがその返答を待つ空気の中で、更にたっぷり十数秒黙っていた。
「……韮山城は如何する」
ようやく発したその問いに、素早く顔を上げ、食い気味で応えたのは葛山殿だ。
「ご心配には及びませぬ! 引き続き我らにお任せいただければ……」
「ならばそうせよ」
「お、お待ちくださいませ!」
パッと表情を明るくした駿河衆らが、口々に喜色を浮かべ何かを言おうとするのを、承菊が必死の形相で制した。
「どうかお許しくださいませ。我らはすぐにも国許に戻り、領地を守るべく誠心誠意」
「承菊」
勝千代は、縋るように見上げてくる承菊の整った双眸を厳しい目で見返した。
「守る気のない土地を任せておけぬのはわかるであろう」
「ですが!」
「それほど伊豆が欲しいのであれば、好きに切り取るがよい」
「勝千代様‼」
悲鳴のような承菊の声に、嬉しそうな顔をしていた駿河衆たちが、状況をまるでわかっていない戸惑うような表情になった。
「仔細は御屋形様にお伝えしておく。よもや許可を得ず勝手な真似をして、そのまま帰参が許されると思うておるわけではなかろう」
勝千代はそこで初めて、うっすらと唇に笑みを浮かべた。
「伊豆はそのほうらに任せる。駿河のことは気にせずともよい」
承菊の顔があまりにも真っ青だったので、ようやく駿河衆たちも何か不味いことが起こっていると悟った様だった。
お互いに顔を見合わせて、「どういうことだ?」「いやわからん」という風に目を見かわしている。
「……そうだ、忘れるところだった」
勝千代は持っていた扇子をパチリと鳴らし、呆然と腰を抜かしている承菊に視線を戻した。
「そのほうの父は許しなく勝手に戦をはじめ、許しなく勝手に和睦を結ぼうとした。和睦の条件は福島勝千代のこの首だそうだ」
ぴたりと張り付いている谷ら護衛を従え、勝千代は先頭で土下座をしている承菊の側まで寄る。
薄く涙の幕の張った目を近くで見下ろし、その襟元に扇子を据えた。
はっと息を飲んだ男前僧侶が、その唇をわなわなと震わせながら「では父は」と呟く。
勝千代はすっと首の頸動脈沿いに扇子を動かし、「死んではおらぬ。だが責任は取らせる」と、可能な限りの低音で囁いた。




