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春雷記  作者:
駿河編

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45-9 駿府 今川館 正門3

「おのれ!」

 聞くに堪えない罵倒が……と思いきや、叔父はたいして毒を吐くまでもなく呻いた。

 まるで何かに怯えるかのような表情で田所をにらんでいる。捕まれた腕が痛いのかもしれない。

「……このような真似をしてただで済むと思うておるのか!」

 まともな言葉をひねり出すまでに随分と時間がかかった。

 それよりも「きゃああああっ」と衣を裂くような松原殿の悲鳴の方が、いち早く人目を引いた。哀れを誘う表情でよよとよろめき、家人に支えられて失神。……え? 気を失ったの? ここで?

 演技か真実か確かめるつもりはないが、わざわざ支えになりそうな者に寄り掛かるように倒れたのは怪しい。

「乱暴をいたすな! 御屋形様の御側室ぞ!」

 叔父は派手に騒いでいるが……田所の配下は誰一人松原殿には触れていない。それどころか、近づいてすらいない。

 松原殿を支えた男は、助けを求めるように周囲を見回しているが、誰一人として手を貸す者もなかった。

 余計な難癖をつけられたくないのだ。皆わかっている。


 勝千代は騒ぎが落ち着くのを待って声を掛けた。

「……叔父上」

 田所には怯えた様子を見せた叔父だが、勝千代には変わらず歯をむいた。

 言っては何だが、この顔だ。御屋形様に瓜二つの子供に対してそんな態度を取ることが、周囲にどう思われるかわかっているのだろうか。

「報復か!」

 とどろいた一言が、勝千代の頭を冷静にした。

 なんだかんだいって、過去の恐怖や田所隊の動きに浮足立っていたのだろう。

 すっと頭が冷えて、明瞭になった視界に映るのは、どこか誠九郎叔父に似た面差しの男。

 そして誠九郎叔父を思い出したことが、完全に過去を過去のこととしてカテゴライズし、隔離するきっかけになった。

「報復されるようなお心当たりでも?」

 勝千代がそう言った瞬間に、場が冷えた。

 ざわついていた野次馬たちまでもが口をつぐみ、張り詰めた緊張感が漂う。


 ぱしゃり、ぱしゃり……歩を進めるたびに、ぬかるんだ地面が湿った音を立てる。

 叔父との距離は、子供の足でも数十歩程度。その一歩一歩についてくる粘着度の高い水音は、いつか見た血の海を連想させた。

 大勢が死んだ。誠九郎叔父も死んだ。

 ……その責任を問うべきなのはこの男か?

「ずいぶんと勝手をなさいましたね」

 そんな風に言われるとは想像もしていなかったのかもしれない。ぽかんと口を開き勝千代を見た兵庫介叔父は、次の瞬間激怒の表情でこちらに掴みかかろうとした。

 だが残念、田所の部下たちが二人がかりでその両腕を掴んでいる。勢いだけはよかったが、強く拘束されているので動けなかった。それどころか、ぬかるんだその場所に膝をつかされ、腕を捩じりあげられる。

「離せええっ!!」

 勝千代は、噛みつかんばかりに歯をむき怒鳴る兵庫介叔父に顔を近づけた。

「叔父上には公金横領及び信濃との内通の嫌疑がかかっています」

「なにをっ!」

「これは私怨ではなく、疑惑をあきらかにせよとの御屋形様の御内意です」

 初めてまともに兵庫介叔父の目を見た気がする。

 その大きく見開かれた目には、勝千代自身の冷ややかな顔が映っていた。

 ゆっくりと口角を引き上げる。

 同時に、叔父の瞳の中の勝千代も、薄く笑った。


「四年前も、福島家の財を随分と着服してくださいました。その時はなかったことにされましたが……今川館でも似たような真似をなさっておられたのですね」

 ずいぶん「良いようにした」認識はあったのだろう。兵庫介叔父は言い返そうとするが言葉にならず、口ごもった。

 何よりその態度が、印象を決定づけた。

 松原殿お得意、決めつけと周囲の共感。こうすればほら……大衆は味方だ。

 ひそひそと噂されながら非難の目を向けられて、兵庫介叔父は慌てて首を振った。

「待て! 待て! わしは知らぬぞっ」

 遅れて否定し始めるが、もう遅い。

 勝千代は手を緩めず、なおも続けた。

「嫌疑がかかっている故に、宮からはお出にならないようにと、内示が行っていたはずです。手荷物以外の持ち出しも重々禁止していました。何故それを無視して外へ?」

「何を言う! そんな事より松原殿と若君の御身の安全を」

 勢いよく唾が飛んで来たのですっと避けた。

「ええ。ですが避難するのは御二方だけでよかった」

 扇子をさっと口元に当て、首を傾けると、兵庫介叔父はワナワナと震え始めた。

 今になって恐れている? いや違う。この表情は屈辱と怒りだ。

「今川館の本殿では、総ざらいで文書の監査を行っているのはご存知でしょう」

 あえてその怒りを煽ってやろうか。

「なにか露見しては困るものを持ち出されましたか?」

 この叔父は、どこまで状況をわかっているのだろう。


 母親は失神。頼みの祖父は拘束。どうすればいいのかわからない風に立ち尽くしていた僧形の少年は、周囲の視線が積み上げられた葛籠に移ったのを見て「待て!」と声を上げた。

「違う、それは違う。中は貴重な書物で……」

「恵探様」

 同じ年頃の子供が二人、どちらも御屋形様の庶子で、片方は他家に養子に、片方は僧籍に入った。

 母系の血統も同じ福島家。違う事と言えば、母親が生きているか否かの差だ。

「あなた様がその葛籠に書物を入れた際、あるいは蓋を閉める前後に、書付をいくつか隙間に忍ばせたのではないかと考えております」

「そんなことはっ!」

「ないと言い切れますか? そんなものを入れる隙などなかったと?」

 人間眠るし、厠にも行く。四六時中見張っていることなど不可能だ。

「疑うなら中身をすべて見るがよかろう!」

 孫を守ろうとしてだろうか、兵庫介叔父が突如拘束を解こうともがいた。

 だがもちろん、田所隊の者は軽く腕を持つ位置を変えただけで、叔父は腰を浮かせることもできなかった。

「危険を覚悟で持ち出したものを、わざわざ持って帰るわけがないではないですか」

 勝千代は呆れた表情をつくって兵庫介叔父を見下ろした。


 この男を破滅に追いやるのは簡単だ。今この場で勝千代を攻撃させればよい。まだ武装解除もしていないので、捻っている腕を離せばすぐにも動くだろう。

 衝動的で、短慮な男だ。

 本人は色々と考えているつもりなのだろうが、基本的に思考回路が単純で読みやすい。

 ……違うな。

 勝千代はひたと叔父を見つめ、父を殺そうとしたのはこの男の策ではないだろうと感じた。

 そう強く望んでいただろうし、福島家を丸ごと手に入れようと野心を燃やしていたに違いないが、叔父ひとりの考えでは無理だ。

 ……やはり桃源院様か。

多くの励まし、応援のお声、ありがとうございます。

もう少し気持ちが落ち着きましたら、ぼちぼちと感想欄の返信を再開しようとかと思います。

いったんは閉じようかとも考えましたが、皆さまとの交流は楽しいですから。


今後ともよろしくお願い申し上げます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 若君いいな クソガキ率が高い少年達の中でも好感度高いかもしれない (次話にも台座の別れになりそうな間柄ですが) [一言] トラウマを克服したことでそろそろ少年期の終わりを感じますね
[一言] これは、お勝とひょっとしたらイケメン坊主で仮名目録まとめる流れなのかも。
[一言] 最新話楽しく拝見させていただきました。勝千代恵探説がここで否定されましたな。兄が亡くなっているので、可能性としては有るかと思ったのですが。勝千代君はこれから、北条綱成になるのか、はたまた遠江…
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