4-2 上京 一条邸 離れ2
「え? 綿入れ羽織?」
佐吉に指摘され、勝千代はきょとんと眼を見開いた。
確かにここ四年、三河から取り寄せた綿花の種を植えてみてはいた。
だが科学肥料も殺虫剤もないので、かなりの試行錯誤を余儀なくされている。
この時代の綿花は、日本の気候に合わせて品種改良されたものではない。体感温度的に、令和よりもかなり気候が寒冷で、それも生育によくない気がする。
綿花は春に種を撒き秋に収穫するのだが、その時期やらなにやらの調整が必要で、たった四年ではそれは形になっておらず、まだ量産というところまでたどり着けていなかった。
それでも一応幾らかの収穫はあったので、勝千代自身の羽織と、城の大広間の父用の座布団を新調し、寒月様には布団を献上していた。残りの幾らかを日向屋に買い取ってもらったが、量が量だけに言う程の値段にはなっていない。
「お仕立ての際の残りを譲っていただきましたが、丁度大人二人分の羽織にあつらえてあります」
「京にあるのか?」
「上等の生地を使えば良い値段がつくだろうと、手前どもの主人が」
若干申し訳なさそうな表情なのは、安く仕入れた綿を高級品として売ろうとしていたからだろうが……いや、商売の基本だろう。
「しかし、今から暑くなるのに羽織はな」
手土産にするには少々時期が遅すぎるんじゃないか。
「羽織?」
東雲が話の内容を追い首を傾げる。
勝千代はまだ痛む顎をこすりながら、上座にいる東雲に視線を向けた。
「以前に真綿の羽織を着ておられたでしょう? あのあつらえが素晴らしかったので、職人を紹介してもらいました。中は綿花ですが」
「ほう」
「それではその羽織を、お生まれになったお子様用の布団にお仕立てしなおすというのはいかがでしょうか」
ずっと畳の目地に顔を向けている佐吉が、普段の十割増しに控えめな口調で言った。
それを聞いて、東雲が大きく頷く。
「ええんやないか。寒月様がお使いのものと同じのやろう? 前のもので、えらい気に入っとる言うてはったわ」
え? そうなの? 直接お褒めの言葉は頂いていないが。
なんでも、歳を取ったら板間で横になると腰に来るらしい。
歳をとってなくてもそうだよ。寝込みがちな勝千代もまったくもって同感だ。
「職人の手は空いているのか?」
「急がせます」
できれば二、三日中に仕上げてほしい。
それとは別に、甘味系の軽い手土産も持ってこさせる算段をつけて、とりあえず田舎者にしては気の利いた贈り物が用意できそうだと一息つく。
「土方では綿花が採れるのか?」
聞いたことがなかったという顔で尋ねられて、苦笑する。
まさか金策の一環で……とは言いにくい。
「うちの領民は戦で駆り出されることが多いので、非力な女子供でも何か飯の種になるものを育てる事が出来ないかと色々試みています。手が掛からず、育てやすい作物がいいですね。大陸か南蛮から珍しいものでも渡ってきたら、育ててみたいです」
「例えば?」
「豆とか、芋とか、蕪とか」
「豆と芋はわかるが……蕪?」
「なんでも、外つ国には甘い芋や甘い蕪があるそうですよ」
「ほう」
「気候や土が合わず育たないかもしれませんが、試してみない事にはわかりませんし」
「それはそうや」
ここからひとしきり、文献中にある食用植物についてあれこれ話した。
東雲は意外と博識で、里芋のものすごく大きな品種(タロイモか?)や甘い汁を出す巨木(イタヤカエデ?)について知っていた。
タロイモはともかくとして、シロップを採取できるまでに木を育てるのは大変そうだよな。
かなり長い事話し込んでしまって、気づいた時には日は中天を過ぎていた。
佐吉には職人確保に動いてもらわなければならなかったのに。
そろそろ話を切り上げようかと思っていた時、タタタタ……と廊下を走ってくる軽い足音が聞こえた。
うちの奴らではない。もっと軽い、女性か子供の足音だ。
東雲は脇息に肘を預け、片膝立ての胡坐のまま動かない。
佐吉もまた、土下座の姿勢のままだ。
……つまりはなんだ、勝千代が対応するべきなのか?
「姫ぃさま!」
焦って引き留めようとする女房殿の声から、駆けてきているのが愛姫だという事が分かる。
転んで怪我でもしてはと、勝千代も慌てて腰を浮かせた。
彼女を迎えるために慌ただしく廊下に面した障子が開かれ、三浦と土井がその場からすぐにも下がろうと膝たちのまま頭を低くする。
彼らは彼らなりに大急ぎで動いたのだろうが、姫君の足の方が早かった。
ふたりが廊下の縁まで下がる前に、姫はまるでスライディングするかのように勢いよく廊下を滑り、一瞬だが、翻った小袿が三浦の伏せた頭を完全に覆った。
……おい、お転婆が過ぎるんじゃないか。
「あにさま!」
「廊下を走っては危ないですよ」
「何をのんびりなさっておいでや! いますぐかくれはって!」
「……はあ」
駆け寄ってきた姫にしがみつかれ、ふわり、といい匂いがした。
この時代に来て随分と嗅覚的に馬鹿になっていると自覚はしていたが、「いい匂い」だと感じた人間ははじめてだった。
「武家の者が大勢、あにさまに会いたいゆうて押しかけてきて! 御父様が引き留めてはりますから、今のうちに」
いい匂いなのはいいのだが、ガンガンと容赦なく揺さぶるのはやめて欲しい。
結構な力で揺すられ、頭ががっくんがっくん前後に振れる。
ジャガイモ、サツマイモなどは、南米原産。今の時代は発見初期ぐらいで、ヨーロッパに伝わっているかいないかの年代です。
日本に伝わったのは1600年ごろ、関ケ原の戦いぐらいの時期だと言われています。
勝千代は正式な作中年代を知らないので、そろそろどこかにあるのではないかと淡い期待を持っています。
甜菜も微妙ですね。ヨーロッパに存在はしますが家畜の餌で、まだ砂糖の抽出は発明されていません。はるばる日本までくるかな?




