42-6 北遠 砦4
誠九郎叔父の死に頭に血が上り、いわゆるバーサーカー状態になった父を、源九郎叔父が背後から殴りつけて失神させたと聞いた時、ひやりと肝が縮んだ。
重量級の熊が二匹、血まみれで殴り合うところを想像してしまったのだ。
それでも誠九郎叔父を失い、父は軽傷とは言えない怪我を負った。どれだけ砦の攻防が激戦だったかがわかる。非力な勝千代など、いたとしても足手まとい、いや瞬殺だったろう。
父は、失神してくれなければ、危なかったという。止血が少しでも遅れていれば、死んでいてもおかしくなかったとか。
そこからどうして八重河内城に向かったのかについては、二木の献策による。
当時は三浦が味方とは思えず、天野も敵対する可能性があり、同じくはめられたのであろう遠山家の領地が距離的に最も近いという状況だった。
だが相手は交流などほとんどない信濃国人衆、普通に助けを求めてもいい結果は出ないと踏んだ。
そこでどう考えれば攻城戦(違うと二木は言い張っている)に至るのかは不明だが、この時代のいわゆる「強い男が尊敬される」という原始的な思考がある程度いいように働いたのだろう、在城の人数がたった数十人だった八重河内城を攻め落とし……え? 穏便に訪問? 絶対に違うだろう。
もとい、そういう感じでうちの二百人ほどで「穏便に訪問」したのだそうだ。
父の名前は、信濃でもよく知られていた。
実際に戦場でその戦う姿を見たことがある者もいたそうだ。
負傷を押して城を制圧した(違うと二木はまだ言い張っている)父だが、遠山勢を武力解除した直後に自身も武器を置いた。
まあ、話を聞いてもらう大前提として、こちらの武威を見せつけたのだと言えなくもない。
遠山殿も、よくそれを受け入れたものだとは思うが。
絶対脅したのだろうと勝千代は思ったし、おそらくは周囲の大多数は同意見だっただろうが、二木はただひたすら「穏便に」を強調するし、実際に助けてもらったのも確かなのだろう。
二木が何故遠山殿を(穏便に)脅す相手に選んだかについては、高遠が砦三つと引き換えに差し出した山林が、遠山家の領内だったという理由に終始する。
山奥の辺鄙な場所で、滅多と確認にくる者もいない辺境地だそうだ。とはいえ遠山家の領内、彼らの資産を勝手に条件のテーブルに乗せていいはずがない。
遠山家は国境に近い領地を治めているので、遠江衆とは仲がいいとはいえない。似たような理由で、高遠家とも疎遠だ。だが、どちらの言い分を信じるかとなれば、同じ信濃衆である高遠に軍配があがるだろう。
つまり、遠江衆が勝手に遠山家の山林を伐採した、という結果が出来上がってしまっているのだ。
二木が念を入れて複数名確保しておいた高遠の武士を引き渡し、その目の前で真実を(もちろん穏便に)喋らせると、遠山殿は相当に激怒したとのことだ。……まあ、それはそうだろう。
そもそも、何故今回のような事が起こったのか。
山だけは沢山ある地方だから、なにも遠山殿の領地でなくとも良かったはずだ。
二木はそれを、「嵌められたのだろう」と言った。
信濃側から遠江に攻め入る大義名分にしたかったのか、あるいは、遠山家を攻める口実にしたかったのか。
遠山家と(穏便に)誼を通じた父は、保護してくれた礼にと生き残った福島兵をしばらく遠山家で働かせると決めた。
表面上は「恩」だの「礼」だの言っているが、父の意図するところは明白だ。
誠九郎叔父を殺した高遠に、一泡吹かせる気でいるのだろう。
一通り聞き終わって、勝千代はがっくりと肩を落とした。
長く息を吐き、顔を両手で擦る。いや、想像していたほど悪い状況ではない。
指先から目だけを出し、どう見ても悪い事をした自覚のある顔をしている二木を見て、しばらく黙った。
「父上のお怪我は?」
二木はしばらく言い淀んだ。回復傾向にあるというが、その言い方に含みがあるのは察していた。
「……左目を失われました」
ザワリ、とその場の空気が揺れた。
「御容態は」
「まだ熱がありますが、動くのに支障はないそうです」
いや、片目を失い熱が出ているのなら、絶対安静だろう。
だが言っても聞かないのだと想像はつく。
勝千代にしてみれば、両眼を失おうが身体のどこかに欠損ができようが、父が父であることに変わりはない。とにかく生きて戻ってくれと、それだけが願いだ。
だが、鬼と言われる武人としての父を知る者たちには、二木の報告は衝撃的だったようだ。
こわばった表情の、逢坂老をはじめ福島家の者たちを見て、生きていればいいという考えは少し甘かったかもしれないと思いなおした。
今回の敗北は、実際の状況はどうであろうとも、父の武人としての評判に大きな傷をつけることになる。
誰からどう見られようとかまわないと思うのは、身内の考えだ。
鬼福島としての父の武威を、こんなところで廃れさせるわけにはいかない。
勝千代は手を膝に戻した。
普段は不遜というにもほどがある態度の二木が、叱られるのを待つ子供のように視線を泳がせている。
「それで」
まだ言わねばならないことがあるだろうと促すと、二木はこの男らしくなく口ごもりながらチラチラと勝千代を見た。
「……お願いしたいことが」
やはりそうか。
二木が単独でここまで戻って来た事が不審だった。この男に限って父からの離反はあり得ない。つまりは、何らかの命を受けての行動だ。
無事の知らせ、国境を越えるなという指示だけなら、それこそ忍びや足軽に頼めばいい。
「ここで話せる事か?」
二木の位置からは見えないだろうが、廊下にもその先にも結構大勢の兵がいる。
会話までは聞き取れないと思うが、絶対ではない。
「……実は」
どうやら聞かれて困りはしないが、おおまっぴらに言える事でもないようで、二木はもごもごと口ごもりながら言った。
聞き終えて、あちこちからため息がこぼれた。
二木が父のもとを離れた時、まだ遠江衆が砦を奪回したという事は伝わっていなかった。
二木は真実を詳らかにし、何とか砦を奪い返し、かつ遠江衆が国境を越えないよう防衛線を張るという重大な役割を託されていた。
これから大きな騒ぎが起こり、もしかすると信濃は揺れるかもしれない。
たとえそうなっても、逃げ出すネズミを一匹たりとも通すな……と。
勝千代らが動く前の状況だったら、ひとりで成すには難しい使命だ。
二木もそれなりに覚悟を決めていたはずだし、父の方も、もしかすると最期の消息を二木に託したつもりだったのかもしれない。
それなのに、滑って転んで骨折か。
追っ手がいたのかという問いに首を横に振っていたから、つまりはただの不注意だ。
言い淀むのも無理はなかった。




