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春雷記  作者:
遠江編

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42-4 北遠 砦2

 ありのままを伝えた。

 当然のように信じてもらえなかった。

 真っ赤な顔で激怒し、地面を蹴りながらこちらを睨んでいる使者の男は、千野と名乗った。訛りが強くて聞き取れなかったが、諏訪一族のどこかの城の城代だという。

 肝心な、重要な局面なのに、怒らせる以前の問題で、まったく取り合ってもくれないとは。

 自身の話術を過信していたわけではないが、これまではこの幼い外見と相まって、そのギャップからか話だけは聞いてくれる相手が多かった。

 だが、今回はやけに手ごたえがない。

 子供相手だという態度が露骨すぎ、頭ごなしに怒りを向けてくる。

 仕方がないとは思う。これまでがうまく行きすぎていた。

 あらゆる状況で子供の話を取り合わず、すべて大人が解決するべきだという考えの者は現代でも一定数いた。それは何も特別な事ではない。難しい話になると子供の意見など二の次、特に金銭が絡んでくると話自体に関わらせまいとする者がほとんどだ。


 勝千代は、怒りもあらわに鼻の穴を膨らませている男を、まじまじと見上げた。

 内心はどうであれ、交渉事で感情的になるのは悪手だ。

 取り繕うこともできない奴だと見切っても良いが、なんとなく違和感もあった。

「砦は遠江側にあり、長らく今川が占有してきたものです。お互いに勝手に配下の者が手を組んでいたと、それで収める事は出来ませんか」

「高遠の兵を追いやり、攻め入ったのはそちらでござろう!」

「何度も申し上げますが、砦は遠江側にあるものです」

 勝千代は辛抱強く繰り返し、真っ赤な顔をしている千野の目をじっと見た。

「ここに高遠の兵がいたというのなら、そちらが先に攻め入ったという事になるのでは」


 チロチロと沢の水音が聞こえ、深い森の奥の方では鳥たちが鳴いている。

 緑豊かな自然の真っただ中。立ち話でするような話ではないのはわかっている。

 勝千代はただ、二十程度の数で敵陣深くに入り込むのは嫌だろうと、気を使ったつもりでいた。

 それが悪かったのだろうか、礼儀にもとると思われたのかもしれない。

 まったく取り合ってもらえない話は堂々巡りで、「どう責任を取る!」とそればかりを詰めてくる。


「千野殿」

 勝千代は意図してゆっくりと話しかけた。

「戦がお望みですか」

 ギッと強い目で睨まれたが、叔父が真後ろに居てくれているような気がして、腹は座っていた。

「先に国境を侵害したのはそちらのほうだ。その責任はどう取られる?」

 話しているうちにわかったのだが、砦の攻防戦の間に敵の副将が死んでいるそうだ。

 父らが討ち取ったのか、不測の事態が起こったのかは不明だが、それにより高遠は怒りが収まらないようで、本家諏訪に己らの都合のいいように話して助けを求めたのだろう。

 要人が死んでいるというのなら、福島家側も同じだ。

 叔父の討ち死には勝千代にとってもショッキングな出来事だったが、目の当たりにした父はもっと壮絶に辛いだろう。


 勝千代はもう一度、丸い石の側でしゃがんだ。

「いい叔父でした」

 軽く手でそのてっぺんを撫で、山吹の花枝の位置を整える。

「我が父は、高遠の者を許さぬと言うでしょう」

 八重河内城でひと騒ぎ起こしたのが父だというのは、調べに行った段蔵の帰還が遅い事からも確かだと思う。もし違えば、その日のうちにそう報告があるはずだからだ。

 何故遠山家の城に向かったのか、どうしてこちらに無事の知らせを送らないのかについては、おおよそ推測はしているが、父から直接聞かないうちは判断するのは早計だ。 

 千野もその話をしないから、もしかするとまだその情報をつかんでいないのかもしれない。

「……収め所があるうちに、引かれるがよろしいかと」

「子供が大人の真似事をして、背伸びをしたもの言いをなさる」

「子供とか、大人とか、そういう問題ではないですよ」

 憎々し気な返答に、勝千代は小さく口角を上げた。

「冷静に結果をご覧になると良い、今川の砦を攻め獲ろうとしたのは高遠。それを奪い返したのは今川です。誰が何と言おうと、正当な行動だと思います」

 勝千代は最後にじっとその墓標を見つめてから、立ち上がった。

「使者と仰られましたが、諏訪家からの書簡などお持ちでしょうか」

「そなたのような子供に」

「すぐにも駿府に届け、直接御屋形様にご判断いただきましょう」

 確実に言える事は、領内への侵攻を御屋形様は絶対に許さないだろう。先の三河による侵攻でもそうだった。それは遠江の守護として当然の事だと思う。

「今回の件について、しっかり伝えさせていただきます」

 千野の言う通り、お子様の勝千代には重要事の判断を下す権限などない。

 今のところ、今川館の高官どもが好き勝手にそれをしているようだが、こと国の趨勢に関わる事なら、御屋形様にひと言も話が通らないという事はないはず。

 いや、もし家臣が勝手に国同士のやり取りに返答をするようでは、それこそ僭越。度を越した越権行為。背信の罪に問うても良いレベルだ。

「御屋形様の御判断にもよりますが、次にお会いするのは戦場やもしれませんね」

 元服もまだの勝千代が最前線に立つことなどまずないが、このまま父と連絡が途絶えたままだと福島家当主代理として動くことになるだろう。

 戦になるかもしれない。

 だがもしそうなるのだとしても、それは信濃対遠江衆ではなく、対今川であるべきだ。


 千野が、真っ赤な顔をして怒声を上げようとした。

 勝千代はそれを遮り、「そうそう」とたった今思い出した風に両手を叩いた。

「当家の者が、高遠と組んで企んだ諸々ですが、調書が出来上がっております」

 同じものを駿府に送ると言いおいて、勝千代が天野殿の方を向くと、その側付きが保持していたはずの書き付けを、何故か天野殿が鎧の胴の部分から取り出した。

「こちらでございます」

 にっこにこの茄子顔だ。戻って来た笑顔に、それもそれで怖いなと思いながら、勝千代もまた微笑みを返し受け取った。


「よろしかったのですか?」

 ぷんすかと湯気が立つほどの怒りを露わに、足どりも荒く帰還する使者殿を見送って、勝千代はふっと小さく笑みを刷いた。

 小次郎殿の言いたいことはわかる。

 こちらの言い分などまったく聞く耳を持たない彼らが、渡した調書をまともに読むとは思えない。

 しかるべきところに届かない可能性すらある。

 何の収穫もなく返してよいのかと言いたいのだ。

「そうですね。だからこそ高遠の捕虜については伏せました」

 三浦の伯父と酒宴を開いていた者たちは、おそらくは高遠でそれなりの地位にある者たちだ。

 ちらりと見ただけだが、青ざめた顔はまだ正気を保っているように見えたし、まだ誰も「壊していない」と弥太郎は言っていた。

 五人もいるのだから、一人ぐらい返しても構わないかと連れてきていたが、そんな事をすれば口封じあるいは尻尾切りの憂き目に遭うだろう。

 あの男たちを助けようと思ったわけではない。

 だが、折角の生き証人を潰してしまうのは惜しい。


「お勝様!」

 三浦平助がふっと何かに気づいたように声を上げた。

 この先の段取りを思い描いていた勝千代は、指し示された方に何の気なしに目を向けた。

 地味色の小袖に袴。かけらも武装していない、場違いな武士がひとり、福島家の兵に肩を借りながらこちらに歩いてくる。

「……っ」

 遠目にもわかる。父の側付きの二木だった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 二木は非武装で敵中突破してくる範馬勇次郎タイプとは思えないけれど、斥候スキルとかもってたのでしょうか。 [一言] この千野殿は年代的に千野孫四郎こと茅野孫四郎?史実では武田信虎に敗れて…
[一言] 二木生きとったんかワレェ! ……ひとまず良かったねぇw
[一言] 二木無事だったよかった。 お父ちゃんの安否どうなの…どうなの…ヾ(:0ノシヾ)ノシ
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