3-7 上京 一条邸7
案の定、夜を待たず熱が出た。
奥歯はますます痛み、顔全体が腫れている気がする。
うつらうつら眠る中、枕元で側付きたちが不安そうな顔をしているのを何度も見かけた。
いろんな髭面に顔を覗き込まれ、二言三言話しかけられるのだが、まるで水の中にいるように、何を言われているのかわからない。
涙ぐむ男どもを、ただぼんやりと見上げる事しかできなかった。
相当気を揉ませたと思う。
生来頑丈ではない勝千代は、貴重な十日間の内の二日を寝込んで過ごした。
ひと際しわが多い白髪頭に起こされたのは、三日目の昼近くだ。
「若」
やけに腹に響く声だ。
他の側付きたちはゆっくりと、いたわるような口調で話しかけてくれるが、その皺顔は違った。
「寝ている場合ではございませぬぞ、起きられませ」
「逢坂殿! お勝さまはまだ」
「……いいや」
「お勝さま!」
勝千代がカスカスになった声をなんとかひねり出すと、逢坂を止めようとしていた三浦が、ぱっと表情を明るくして顔を覗き込んできた。
無精ひげの浮くその面に、心配をかけて申し訳なく感じながら手を伸ばす。
こちらの意図を的確に飲み込んでくれた三浦に介助を受けて、身体を起こした。
ふらりと頭が揺れる感じがしたが、これは長期間何も食べていないからだろう。
熱は下がっている感じがする。
奥歯、というよりも顎の付け根のあたりが鈍く痛むが、我慢できないほどではない。
「わざわざ来てもらって済まない」
「なんの。若の御為でしたらいずこなりと」
知り合ってから四年。
まったく変わったように見えない逢坂老は、ますます元気で、いっそう頑固な爺だった。
おそらく早駆けでここまで来てくれたのだろうが、疲れた様子はまるでない。
「事情は聞いたか」
「はっ」
「相手は将軍家だ、動くなよ」
「……お勝さまのその辛抱強さは、美徳だとは思いますが、褒められたものではございませんぞ」
何を言っているんだ。地方在住の一武将の子が喧嘩を売る相手じゃない。
「吉祥と呼ばれていたクソガ……失礼、若君は、今の公方様が養子縁組をなされた第十代将軍の御実子に当たられます。正式には、竹王丸様と申されるのだそうです」
今クソガキって言ったよな。口を慎めよ。心の中だけにしろ。
逢坂の説明は、複雑すぎて寝起きの頭にはよく理解できなかった。
紙に書けばわかるだろうと、三浦がさららさらと簡易な家系図を書いてくれる。
つまりはなんだ、足利家の将軍位は、後継ぎが途絶えたり何だりで兄弟従兄間で継承されるのが珍しくない事で、第十代の将軍の場合は幼少故か血筋の優劣か後見の力量かで実子には継承されず、十一代はその従弟に、十二代は従甥である今の公方が継いだわけだな。
今の公方様は勝千代と四、五歳ほどしか年は変わらないと聞く。
想像するに、吉祥殿の血筋がかなり劣るか、後見間での政略戦みたいなものがあったのだろう。
「……つまりは、公方様につけと?」
「いえ、そこまでは申しません。ですが、敵の敵とは手を組むのもやぶさかではないはずです」
「敵って」
勝千代は、真っ赤な顔で癇癪を起していた吉祥殿を思い出し、失笑する。
わざわざアレを敵に回す必要があるのか?
手を組むと言っても、仮にも義弟にあたる子供に執拗な刺客を向ける奴だぞ。……いや、正確には刺客を出しているのは公方様の後見の誰かだろうが。
松田殿が一条家と縁を結びたがっていたのは、公方様の後見が刺客を切らさないのと同じ理由なのではないかと思う。
代理戦争か? くだらない。
あやふやな記憶頼りだが、足利将軍家がこの先盛り返すことはなかったはずだ。
今がいつの時代なのかいまいち自信はない。しかし、応仁の乱が終わっていることと、今川家が遠江の守護であり、三河にも色気を見せているところを見るに、今後後見の管領らが力を振るい始め、その後は周辺諸国が力を持ち始める時期のはず。
いくら代理戦争を頑張っても、所詮は絵に描いた餅、実態を取り戻すことのない権威だ。
つまり、勝千代が遠江に戻ってしまえば、手出しはされないだろう。
「いや、やめておく」
一瞬でそこまで思考を進め、勝千代は首を振った。
「下手に巻き込まれたくない。伊勢氏のこともある」
「……亀千代様ですな」
「どういうおつもりか聞いてみたいのは、伊勢殿のほうだな」
もちろん、藪から蛇が出て来ては困るので、スルー一択だが。
幸いにも権中納言様の庇護下に入った。残りの日までここでお世話になって、あとはさっさと土方に戻るのが最も穏便に済む方法だと思う。
「予定通りの日程で京を発つつもりだ」
「そこはご安心を。愚息どもが抜かりなく準備しております」
「……ああ」
その準備とやらがかなり怪しいと感じてしまうのは勝千代だけか?
いや、逢坂家の不手際を疑っているわけではない。もっとこう……傍目を憚らない大人数をそろえていそうで怖いのだ。
高天神城から堺まで、馬込みの人員移動がいくらかかるか知っているか? 人数によっては失神したくなるだろう。
これは、本格的な金策が急務になってきたな。
京にいる間に何か考えてみよう。
実際は、足利将軍家の血族間の争いは血で血を洗う的なものでした。
本作中に出てくるのは、家系図と歴代将軍の順番を見た勝千代のフラットな感想です。




