41-2 北遠2
待機して待つ必要を感じず、砦の者たちが止めようとするのを無視して兵を進める。
先頭を行くのは三浦兄弟。その次に井伊小次郎殿。勝千代はさらにもっと後方だ。
子供だからではなく、大将格の位置とはこんなものだ。
巨躯の父ならともかく、小柄な子供である勝千代では、物々しく武装した集団の中に埋もれてまったく見えないだろう。
「何事ぞ!」
遠方から、やけにがなり立てる風な声色が響いた。
首を伸ばしても、先を行く者の鎧兜が邪魔でまったく状況がわからない。
「……木田」
ガヤガヤと雑言というか、罵声に近い声が方々から上がっていたが、すっと通る三浦兄の声に一瞬間が空いた。
「久しいな」
どうやら三浦兄の知り合いがいたらしい。
これまで意気高く喚いていた男の声が止まる。
「……藤次郎殿?」
「伯父上はご健勝か」
「あいや、意外なところでお会いしますな。ずいぶんとご立派になられて! 殿は……」
「今すぐその首を飛ばされたくなければ、道をあけよ」
「……は?」
ざっと騎馬が足並みをそろえて前に出た。
勝千代の周囲を囲むのは、主に長槍を携えた騎兵。その脇を歩く歩兵も長槍持ちだ。この時代の軍の主要武器は刀ではなく槍なのだ。
しかも持ちまわすのに大変そうな長さの槍を握っている者もいる。主に馬上の敵を相手にするのだろうか、距離をあけた敵を突く為だろうか、何にせよ、一斉に穂先を前に突き出し、腰低く身構えると非常に……刺々しい。
言い方を間違えたか? いや先端恐怖症でなくとも、露骨に恐怖をあおる構えだぞ。
見事なのは人馬が一体に固まったような陣形で、堅牢というのだろうか、はた目にも攻めにくそうな隊列。
一番外側には木盾を運んでいる者もいて、寡兵での運用を念頭に練られた密集陣形といえるだろう。
主力は井伊軍。京で土木作業をした連中ほどゴツイ体格の者が揃っているわけではないが、戦う事に慣れた雰囲気の、歴戦のつわもの感のある歩兵たちである。
何と言ったかな。そうだ、世界史で習ったテルシオだかファランクスだかいう槍部隊っぽい。
あれは脇や後方を取られたら弱いとか、平地でなければ役に立たないとか言われていた気がするが、少なくとも見た目の威圧感は圧巻だ。
……いやまあ、山道だとやはり運用はしにくそうだ。今長槍がゴツンと木にぶつかったぞ。
ちなみに、勝千代ら福島家の者たちはまったくの傍観者だ。井伊軍の特殊な密集陣形に囲まれ、皆軽い驚きの表情をしている。
三浦兄弟? しっかり陣形の外だな。下手すると槍に串刺しにされかねない距離感だ。
「なっ、なんだこれは」
木田とかいう男の唖然とした声が聞こえたが、やはりその姿は見えないままだった。
何しろ陣形ごとずずずいっと進んでいくのだ。かろうじてわかったのが、三浦兄弟が慌てた風に馬を進める様子だ。
まかり間違えば尻をつつかれかねない勢いで進むから、焦りもするだろう。
「ま、待たれよ! 勝手な事をされては困ります!」
結構な年上と思われるドスの利いた声だが、三浦に呼びかける言葉は丁寧だった。
つまりは、三浦家の家臣で、うちの三浦とも知己で、御家騒動(推測)があった父親世代の関係者か。……どうでもいいな。
「藤次郎殿! 何をなさっているかわかっておいでか! このような暴挙、許される事ではございませぬぞ!」
なんだかものすごく耳障りに吠え続けているが、無視一択なのは正解だ。
物見櫓の脇を抜けた先、比較的すぐの距離に城壁が見えてきた。
平城とは違い、精巧に組み上げられた石垣ではなく、武骨な土塁だ。城門は真新しく、てかてかと金属の飾りが施された重厚そうなものだった。
見上げる山並みの視線を上げた先に、見覚えがある形状の屋根が見えた。
本丸曲輪の生き残った建物はそのまま使っているのだろう。
「開門っ!」
三浦の大音声が、ざわつく喧噪の中響き渡った。
皆が好き勝手喚き始めているが、その声はよく通り、鼓膜にガツンとくる声量だった。
「いい声ですな」
同乗している逢坂老の感嘆の声に、勝千代もまた頷く。
普段は穏やかで温和な語り口の三浦が、土井並みに声を張れるとは思ってもいなかった。
ギギギギ……と、真新しい割には重量感のある軋み音をたてながら、大手門が開く。
「待て! 門を開けるなっ」
それを見て慌てているのは木田。
開門を止めようとしているようだが、一応は同じ今川軍だぞ。そういう態度をとってもいいのか? ……いや、攻撃姿勢を見せているこちらが言う事ではないが。
恐らく門番たちも困惑したのだろう。躊躇して明らかに門が開く速度が遅くなった。しかし一度動き始めた重いものはなかなか止まらないのだ。
全開ではないが、半分程度扉が開いたところで、さっと小次郎殿の腕が振り下ろされた。
「うわっ!」
方々から悲鳴が上がったが、勝千代の耳についたのは平助のものだった。
見ると馬の首をよそに向け、慌てて手綱を引いている。
兄の方も脇に避ける形で、突進する井伊長槍部隊を回避していた。
まずいかもしれない。
勝千代の脳裏にそんな言葉が浮かんだのは、さながら攻め入る勢いで斜面を駆けのぼり、三の丸曲輪に突撃したからだ。
説得して砦に向かわせるんだぞ! ガチンコの喧嘩をしに来たわけじゃないんだぞ!!
そう言いたいのに、勝千代は集団のほぼ中央で、流れに身を任せているだけだ。
こぼれそうになった悲鳴は、逢坂老の腕の力で抑え込まれ、悲鳴ではなく「ぐえ」とカエルが潰れるような声になる。
勝千代は、巧みに手綱を操る逢坂の腕にしがみつきながら、激しく上下に揺すられ、目をあけているのが精いっぱいだった。
坂道ダッシュどころじゃないぞ。なんだよこの足腰強すぎ槍兵ども。
長槍を構えつつ、急斜面を一息に走り切るその様は、人間としてあり得ないスタミナだ。
待って。駄目だ。本当に駄目だから。
とうとうたまらず、勝千代の精神状態は限界に達した。
いや限界に達したのは精神ではなく……
「……吐きそう」
逆流してくる酸っぱいものとの戦いは、かろうじて凌げたとだけ言っておく。




