29-3 宿場通り 庶子兄1
鼻息荒くこちらを睨んでいる庶子兄。
勝千代が彼について思う事は、羨望と憐憫だ。
もし庶子兄の立場で生まれていたら、勝千代は大人しく福島家麾下の武将として主家に仕えていただろう。父のもとで学び、もっとその近くで役に立てていたはずだ。
父に似た恵まれた体躯、おそらくは父に似て優れた武勇。……なんて羨ましい。
反面、自身ではどうすることもできない事情で周囲の期待を裏切り、福島家から切り離される事になったのには同情する。
多くを望んだ庶子兄の生母が悪いのか、時運の問題だったのか。
運命が少し違えば、確かに、彼は福島家の嫡男として立派にやっていたかもしれない。
そう思うだけに、勝千代に対して憎悪を向けてくるのも理解できるし、同時に残念でならない。
とはいえ、事ここに至れば、憐憫や同情でどうにかできることではなかった。
確かに父の子だ。それは福島家の者たちは皆知っているし、父の顔を見たことがある今川軍の者たちも気づくだろう。
だがそれだけでは、見逃せるレベルの話ではなくなった。
いや今川家という立場からだと、伊勢殿の家臣となっている今、敵対するのは控えるべきかもしれない。
しかし実情を知ってしまえば要警戒。ここにいる今川陣営の心象は、九割以上が敵認定だ。
「よくわかりませんが」
勝千代は努めて穏やかな口調でそう言って、意図して庶子兄とは視線を合わせず、湯浅に向かって首を傾けた。
「ずいぶんと無作法なご訪問ですね」
「い、いや。先ぶれは出したのだが」
「湯浅さま! この小僧に下手に出る必要などありません!」
あるんだよ。馬鹿。ここは伊勢陣営ではない。他国の陣内だぞ。
勝千代はそう言いたいのを飲み込んで、微妙な表情をして見せた。
庶子兄は苛立たし気に足踏みをして、鼻の穴を膨らませた状態で室内を見回す。
「能登屋、天王寺屋、小僧のたわごとに巻き込まれるとは気の毒に」
おや、知り合いがいるのか。伊勢殿の配下であれば、商人との付き合いがあってもおかしくない。
だが、米に小石を混ぜて売りつけた件がある。それを知ってしまった彼らがかなり怒っていたので、申し開きをしないうちにその態度はまずいぞ。
「ここでの話を正直に申せば、我が殿に口を利いてやろう」
更にそんな事を言ってのけ、偉そうに上から目線を貫くものだから、うちの連中は更に頭にきた様子だし、商人たちの表情も硬い。
「どうした? 何を恐れることがある。よもやこいつらに脅されておるのか?!」
あーうん。そう来るか。
勝千代は、刀の柄に手を当てた者たちに向かって、軽く手を上げて制した。
大丈夫、問題ない。
ひとまとめになって座っている商人たちの表情は能面のようだった。先程までの活発な討論の気配は微塵もなく、固く口を閉ざして沈黙を保っている。
気づけよ庶子兄。
「何のことでございましょう」
たっぷり十秒以上の間が空いてから、代表してそう言ったのはグリーン日向屋だった。
「我らは近く京を離れるとお伺いし、御挨拶に参っただけでございます」
「……なに」
そうそう、出立前に細々とした物資を発注したのだ。ついでに色々注文したくて、日向屋の伝手で皆に集まってもらった(という態だ)。
京になどめったに来ることはないから、離れる前に商人を呼ぶ。現状可能かどうかは別として、別段おかしな話ではない。
一点の曇りもない、健全なお付き合いだとも。
「ご用件はそれだけですか?」
そう言って湯浅を見上げる数え十の子供。本来であれば立ち上がるべきだし、何なら上座を譲るべきかもしれない。
だがあえて立ち上がらなかったし、歓迎するそぶりも見せなかった。
「あまり多く時間は取れないのです。陣払いの準備がありますので」
勝千代はそう言って、ちらりと床の上の発注書に目を向けた。
「何故か兵糧の半分が小石混じりで、五千の兵を引かせるために米が入り用になりました。そのほかに炭や塩なども」
そのための値段交渉をしているんだよ。苛立っているのは、堺商人が手ごわいからだ。
言外にそう告げた勝千代に、湯浅は納得した表情になったが、さすがに庶子兄までは騙されない。
そんなはずはないと、部屋に踏み込んでこようとして、数歩入ったところで足を止めた。
「……っ」
鋭く息を飲んだのは商人たち。
「あ、あ」
恐怖に震え、互いに縋りつくように身を寄せあって……真っ青な顔になりつつも、誰も大きな悲鳴を上げなかったのはたいしたものだ。
庶子兄が敷居を踏んで室内に足を踏み入れた瞬間、一斉にざっと衣擦れの音がした。
朝比奈殿や井伊殿以外の全員、弥三郎殿までもが片膝立ちの姿になり、刀の鯉口を切ったのだ。
部屋の中にいる武家は少人数だが、開け放たれた廊下には結構な数いて、更にその向こうの庭先には軍勢といってもいい完全武装の集団が雁首揃えている。
鯉口を切る動作が、粛々と伝播し広がっていった。
一見物静かで、抑制が利いた動きに見えるが、この時代の人間にとっては命に直結する挙動だ。
平和な会合が一気に物騒になってしまった。
堺衆たちの顔色も悪いが、勢いよく踏み込んできた庶子兄も、さすがに顔から血の気を失せさせている。
「……おのれ、歯向かうか」
「おかしなことを仰います。無作法に踏み込んできた御方に警戒しているだけですよ」
勝千代は子供らしい声色でそう言って、うっすらと口角を上げた。
それを見た庶子兄は怒りもあらわに突進してこようとしたが、湯浅に羽交い絞めにされ止められた。
「湯浅さま! このような無礼な真似を黙って見ているのですか!」
いや、無礼はそちらだから。
勝千代の呆れた内心は、湯浅殿を含めこの場にいる全員と同じだったはずだ。




