29-2 宿場通り 堺商人2
勝千代はこちらを凝視してくる色とりどりの大人たちの視線を、軽く扇子を振って退けた。
「念のために言っておくが、今の武家はかなり殺気立っている。下手に高値で売りさばこうとすれば、商売どころか本末転倒な事になりかねないぞ」
「福島様の取り分は」
イケオジの渋みのある声が、勝千代の子供子供した声の後に食い気味に続いた。
取り分? 顔を顰めて、イケオジの形の良い眉間を睨む。
「商売の話をしているわけではない」
心外そうな表情をされたが、構わない。勝千代は軽くこめかみに手を当て、首を振った。
「今回は多くを望むな。この先武家勢力がどのような形に落ち着くかはわからぬが、今のところは和睦の方向で話は進んでいる。米の相場で荒稼ぎするよりも、京の町の復興で稼げばよい。街をもとの形に戻し、人々が再び暮らしていけるよう手を貸してやってほしい」
町が平和になれば、商業が活発化する。一時的に稼ぐよりも、平和がもたらす生産活動のほうが、長い目で見れば大きな儲けになるはずだ。
勝千代は、何か得体のしれないものを飲み込んだような顔をしている商人たちを、ぐるりと一周見回した。
「二十万石の米を預ける条件として、融通を利かせてほしい事がいくつかある」
やはりな、と納得した顔をしないで欲しい。取り分を求めているわけじゃないぞ。
「ここだけの話だ。南近江方面には米を流さないで欲しいのだ」
「……それは」
「完全に止めよと言うているわけではない。主たる卸先を別のところにするだけでもよい」
商人に六角の兵糧枯渇云々の話はするべきではないだろう。
「小石を混ぜよと命じた一味の手には渡しとうない。そう難しく考えずとも、米どころ故に秋口にはまた米が溢れかえる土地だ」
兵糧はともかく、民を飢えさせるのは本意ではない。かといって、米を流せば優先して兵糧にされてしまうだろう。そうなればまた戦が拡大してしまうかもしれない。
「今後の米の扱いについて、我らは深くはかかわらぬ。良いように頼むとしか言えぬ。どう扱うかはそのほうらに任せる」
要は、六角家に兵糧が渡らぬようにしてくれればいいのだ。勝千代のその言葉に、百戦錬磨の商人たちは難しい顔をして、互いに視線を交わし合った。
その後も話し合いは続いた。
勝千代は口を挟まず、見守っていただけなのだが、なかなかに有意義な時間だった。
話し合いが白熱するのは結構なことだ。大いに意見を競わせ、より良い解決策を導き出してほしい。
随分と他人事だって? まあそうかもしれない。
もともと勝千代の米ではなく、縁あって預かっているに過ぎないのだ。いや、預かっているというのも違うかな。
とにかく、あるべきものは元の形に。どこかが極端な不利益を被らない形で事が収まってくれる事を願う。……もちろん自業自得の奴らは別だぞ。
どれぐらい経っただろうか、オレンジが唾を飛ばす勢いで持論を展開している最中、コツン……と小さく音がした。
勝千代は視線だけを天井に向け、次いで傍らの逢坂老を見る。
逢坂老は深々と頭を下げ、作法にのっとった大仰なぐらいの所作で部屋を出て行った。
何か不測の事態が起こったのだろうか。直接報告に来るのではなく、軽い合図で知らせてきただけだから、急ぎではないはずだが。
いつの間にか、商人たちの議論が止まっていた。
逢坂老の背中を見送ってから室内に目を戻し、勝千代は部屋中の視線がこちらに集中している事に気づいた。
かなりの時間、ただじっと商人たちの話し合いを眺めていただけなのだが、武家側の動向は注意深く観察されていたのだろう。
忍びが天井から合図したことはわからなくても、逢坂老が勝千代の指示を受け退室した事には気づいたようだ。
「こちらでお待ちくださいませ」
論議を続けるようにと言おうとした矢先、遠くから、逢坂老のしわがれた声がした。
最初は、まだここに来ていない堺衆が到着したのかと思った。
だが、それにしては丁寧だし、やけに大きな声だ。
「お待ちを!」
それが誰かを引き留める目的ではなく、こちらへ向けた警告だということは、視界の片隅で谷ら護衛組が片膝を浮かせたことからわかった。
部屋の襖は完全に開け放たれている。
それは、商人たちへのプレッシャー軽減のためだ。
周囲は今川軍で固め、忍びも複数待機させているので、敵が接近することはもちろん、こっそり話を漏れ聞くことすら不可能。
つまりどういうことかというと……
「招かれざるお客人ですか」
井伊殿が平淡な口調でつぶやいた。
勝千代は耳を澄ませ、誰が来たのか推し量ろうとした。
どすどすと無作法な足音が近づいてきて、嫌な予感に顔を顰めたくなる。
勝千代は三浦たち側付きに目配せをした。床の上の地図や書類が一瞬にして撤去され、代わりに置かれたのは、最後に彼らに渡そうとしていた物資の発注書だ。
「どこだ!」
屋敷中に響き渡る怒声に、ざわりと今川軍側の兵士たちが気色ばむ。
その声の主が無事生きていた事への安堵と、よりにもよって堺衆まで集まっている場所に押し掛けてきた間の悪さと。
できる事なら来てほしくはなかったと、その正直な感情を表に出すわけにはいかず、勝千代はきゅっと唇を引き締める。
どすどすと荒々しい足音が近づき、見晴らしのいい廊下に小具足姿の庶子兄が見えた。
周囲よりひとまわりほども大柄な体躯。父によく似た面立ち。
浮かべている表情が怒りや嫌悪でなければいいのにと、遠江ですでに現状の知らせを受け取っているであろう父の事を思い出し、やるせない気持ちになる。
「亀千代殿!」
慌てたようにその後ろから付いてくるのは湯浅だ。
立ち居振る舞いがもっと堂々としていれば、大将級かと思われるほど見栄えがする装いをしていた。頭に引立て烏帽子をかぶっているから、寂しい部分が隠れていて、元来の整った容貌が引き立つのだ。
「もはや言い逃れは出来んぞ!」
大音声でそう怒鳴られ、勝千代は湯浅の頭から庶子兄へと視線を移した。
言い逃れ?
何のことかときょとんとしていると、ますます怒りが募った様子で敷居に足を掛けた。
「亀千代殿!」
ギリギリのところで引き留めたのは、湯浅殿だ。
一歩でも部屋に踏み込んでいたら、すでに刀の柄に手を当てていた谷らが切りかかっていたかもしれない。
こちらもそろそろ、解決しておかなければならない問題だな。
勝千代は、手に持っていた扇子をすっと脇に差した。




