28-6 下京外 今川本陣2
帝側から命を狙われるほどの怒りを買う覚えはない。いやもちろん、あずかり知らぬところで失礼があったのかもしれないが、これほどの事態だ、心当たりがないなどとあり得るだろうか。
だとすれば、勝千代が「何か」をしたではなく、これからする「何か」が問題なのだと思う。
いやーな感じがして、ボリボリと首筋を掻いた。
ふわっと込み上げてきた想像は、ろくでもないものだった。
「東宮さまが継嗣で御間違いないですよね?」
「……っ、もちろんや」
なんだ、この間は。
勝千代はまじまじと東雲の顔を見つめ、そこにまだ知らない何かがあるのだと察した。
「武士がやんごとなき方々の事情に口を挟むことはできません」
ずっと重なったままだった視線が臥せられ、東雲は重い溜息をついた。
「この話は他所に漏れるのは困る」
「……はい」
勝千代はちらりと三浦や他の側付きたちに視線を向けた。
彼らは比較的従順に陣幕の向こう側に移動してくれたが、井伊殿と弥三郎殿、ついでにいえば谷だけは頑として動く気配をみせなかった。
ただ、三人とも陣幕の際まで下がり、声を抑えれば聞こえない距離までは下がってくれた。
だがこちらの様子をガン見だ。
せめて顔をそむけるか、視線を伏せるかぐらいして欲しい。
「崩御されてからの時期が浮く。秘密裏にご遺体を荼毘に伏すというのがまずようない」
口元を白い扇子で押さえ、東雲が呟いた。
「方々のご意見は四六で反対やった。それをあの方が押し切ったのや」
「御立場に揺らぎがでたということですか?」
「お勝殿、東宮やからと安泰というわけやないのや。安定した皇位継承のために、他にも候補は何人かおる」
たとえば、あなた様もですか。
そう問いかけたかったが口にはしなかった。
鶸が皇族に仕える八瀬童子だというのなら、たとえば各家に複数名の連中がいるのだとしても、明らかに東雲についている人数が多いのだ。
遠江に在住していた時もだが、鶸を筆頭に灰色の狩衣を着たそれらしき者たちはかなりの数いた。彼らは過剰なほどに、半家の当主の弟に過ぎない東雲の周辺を守っていた。
裕福な藤波家が放蕩息子を心配して人をつけたのだろうと思っていたが、彼らが八瀬童子だというなら話は変わってくる。
それはつまり、そういうことなのだろう。
「何が問題か教えてください」
そう言うと、東雲の逸らされていた視線がゆっくりと戻って来た。
そして勝千代を見下ろして、眦が情けなく垂れた。
「すまぬ」
謝罪なら先程も受けた。もっと本質的なことを聞きたいのだ。
東雲はゆっくりと肩を上下させ、重々しく息を吐いた。
「……米蔵や」
白い扇子の向こう側から、こっそりと聞こえた言葉に無意識のうちに顔を顰めていた。
「あの御方が、献上をお断りなさったと聞いて揉めてな」
過ぎたるものは、つくづく厄介だな。
「あれは、畿内の米の流れを途中で遮って止めただけのものです。倉庫ですから、持ち主がいます。彼らも困っているでしょうから、申し出があれば返却するつもりです」
だが問題はそれ以外だ。
伊勢殿が何を目的に米蔵を作ったかは明白過ぎる。ただの善意で中間倉庫を作っただけではないのだ。
主たる目的は、米の流通のコントロールだろう。
飢えて食べる物がない状態では、軍は動けない。
もちろんそれだけではない。
この大火で死んだ商人も多いと聞く。後継ぎがいるのであればそちらが受け取るのが筋合いだが、どうしても宙に浮くものがあるだろう。
さらに言えば、例の小石混入だ。例えば北条に正規の金額で売った米俵には、半分小石が混じっていた。つまり半分は浮かせてかすめ取っているのだ。そうやって稼いだ米がどれぐらいの量になるのか。
そのあたりをまとめて帝に献上し、使っていただこうとしていたのだが……
「米蔵にあるすべてを接収なさりたいと、そうお考えの方がいらっしゃるということでしょうか」
渋い顔のままそう言うと、東雲がまたため息をついた。
「目の前に宝の山があるのや、どうして手を伸ばさずにいられる?」
「市井の者たちの米です。彼らの日々の腹を満たすものです」
「それはそうなんやが……」
ちらりと周囲を見回して、整った端正な顔が寄ってきた。
「わざわざ持ち主をさがさんでもええやろうと」
誰がそんな事を言っているのだ。
勝千代の渋い表情を見て、東雲も難しい表情のまま首を左右に振った。
「今の朝廷は資金不足や、何をするにも金がかかる。御所も屋敷も燃えてもうて、この先どうなるんやと……そんな時に、都合よう転がってきた宝の山や。見過ごすのは天道に背くとまで言いよる者もおる」
「米蔵の話がそんなに広がっているのですか?」
「……まだ一部やが、遠からず皆が知るやろう。ほんまにすまぬ」
ああ、つまりは東雲が報告を上げた時に周囲の誰かに聞かれ、その話が広がりつつあるという事か。
だとすれば、今さら勝千代の口を塞いだとしても、どうなることもないと思うのだが……。
まさか独り占めして京を去るとでも?
どれだけの量があると思っているのだ、五千の兵が全員で担いでいくとしても、ひとり頭百個だぞ。物理的に無理だろう。
勝千代はさっとその場で暗算してそう思ったのだが、この時代の算術では、そこまで素早くは計算できないし、そもそも五十万個という米俵の数を想像できない。
本気で田舎武士にすべて持って行かれる前にと考え、一部の高貴な方々が跳ねているのだと知ったのは、もう少し後の事だ。




