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春雷記  作者:
京都編
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28-2 下京外 刺客2

 もの凄く深刻な問題が発生した。今川本陣に刺客が潜入していたのだ。

 勝千代のところにではない。今回標的にされたのは朝比奈殿だった。

 こうなってくると、事態はまったく意味をかえてくる。


 刺客は兵のふりをして、朝比奈殿の支度の場に紛れ込んだ。

 格の高い鎧兜を身にまとうには、複数名の介助が必要になる。

 小物を運んできた見知らぬ男を不審に感じた側付きが、それとなく見張っているうちに怪しい行動をとり始めたそうだ。

 もちろんダウト。その場で拘束。

 刺客は逃れられないと悟るや、すぐに毒針を自身に刺した。朝比奈殿に仕込もうとした毒だろうとのことだ。


 伊勢殿が、味方になり得る今川軍の総大将を殺そうとするだろうか。勅令による和睦が万が一にも立ち消えになった場合、今川も北条も伊勢側に立つと思う。伊勢殿に味方する他の勢力も遠からず駆けつけてくるはずだ。

 このタイミングで朝比奈殿が不在になれば、軍を統率するのは弥三郎殿か? 井伊殿か?

 今川軍五千の総大将を務める能力的には不足はないだろうが、まともに機能する以前の問題で、別の侍大将を送ってもらうもしくは、速攻帰国することになるのではないか。

 つまりは、幾日か前の北条軍と同じだ。ここぞという時に今川軍が動いてくれない、という事態になりかねないのだ。


「前々から、怪しんではおりましたよ」

 井伊殿がそう言ったのは、膝を付き合わせて今後の対策を相談していた軍議の場だ。

 潜めた声は小さい。

「遠江の国人衆ばかりの軍勢、総大将の朝比奈殿のもとにすら、駿河衆はふくまれていない」

「どういう意味です?」

 首を傾げたのは弥三郎殿だ。

「……四年前をお忘れですか」

 井伊殿が意味深に言葉を続けると、弥三郎殿の傾いた首がぎぎぎ……とまっすぐになった。


 四年前と言えば、忘れもしない、三河の遠江侵攻だ。

 結局のところ、遠江勢を疲弊させようとした今川館の目論見は果たせていない。

 曳馬城の興津は引き続き三河への睨みを利かせているし、むしろ勢力を弱めた東三河を西三河が攻め込んでいる状況。三河国内で揉めている以上、そちらからの侵攻は心配する必要はないだろう。

 状況は落ち着いているが、あの一件を契機に、朝比奈家は明確に今川館に不信感を持った。

 朝比奈家だけではない、遠江の国人衆もそろって、今川館とは険悪な状態だ。

 とはいえ朝比奈一族は国内有数の譜代だし、遠江の国力は駿河よりも高いのだ。まともにやり合えば、どちらが不利になるかは明白だろう。

 故に、これまではお互いに様子見の状態だったのだが……。


「……またですか」

 井伊殿の言葉から何を読み取ったのか、弥三郎殿の半開きの目が藪睨みになった。

 普段の彼は、極めて温厚でのんびりとした口調の男だ。

 左馬之助殿のような陽性の暢気さではなく、教室の片隅でぼんやり校庭を眺めている運動部員と言った雰囲気か。

 だが、この男が真実めちゃくちゃ恐ろしい特攻気質を持っているのを知っている。

 実際に、笑いながら敵を追いかけ切り殺すさまを一度ならず目にしてしまえば、ずっとその目は半開きのままでいいと思う。

「今川館はよほど我らが御目障りらしい」

 弥三郎殿のおどろおどろしい口調に誰もが引いていたが、井伊殿はまったく気にした様子はなく、重々しく同意して見せた。

「朝比奈殿と弥三郎殿を欠いても、朝比奈家は層が厚い。ですが我らしがない国人衆はそうはいっていられませぬ」

 しばらくして、周囲の大人たちが一斉に溜息をつく。


 ここは今川本陣、叡山参道入り口前に布陣している。

 軍議に参加しているのは、朝比奈殿を筆頭に、遠江で知己を得た国人領主たちだ。

 宗滴殿に言った通り、これだけの国人衆が出払ってしまうと、国元はすっからかんだ。

 三河が揉めているから大丈夫だと言われたそうだが、敵は何も三河だけではない。

「遠江に攻め入ろうとしている兵は、今のところはないはずだ」

 難しい顔をしてそう言う朝比奈殿に、井伊殿がフンと鼻を鳴らす。

「駿河衆はどうですか」

 一気に場が静まり返った。

「いや、それは……」

 半笑いで井伊殿の言葉を否定しようとした男も、しばらくして、顔色を悪くして黙った。


「過ぎた口はきかない事です」

 活発とは言えない軍議の席で、何故かいつも最上座に座らされている勝千代が静かに口を開いた。

「耳は至る所にあると思ってください」

 井伊殿は何かを言いかけて、口を閉ざした。そして黙って頭を下げる。

「ですが、帰国を急ぐべきですね」

 勝千代は軽く顎を擦りながら視線を宙にさまよわせた。


 朝比奈殿の暗殺で最も利を得るのは誰だろう。

 京にいる者では、動機の面で弱い気がする。

 たとえば和睦が破綻した後であれば、どちらかの陣営が今川軍五千の混乱を狙ってくることもあるのかもしれないが、今ではない。

 つまりは、急遽総大将を挿げ替える必要が出てきたということだろう? 何のために?

 井伊殿が言うように、遠江勢を出払わせ何かを画策しているのだろうか。

 もし駿河衆が遠江を手に入れようとしているのなら、大前提として、この軍は大敗し、壊滅状態になる必要がある。あるいは……そうか。

 

 例えばパターンA。

 命令通りに伊勢殿に味方をし、かつ伊勢殿が勝利した場合。

 パターンB。

 命令通りに伊勢殿に味方をし、伊勢殿が敗北した場合。

 パターンC。

 命令に背き、伊勢殿が勝利した場合。

 パターンD。

 命令に背き、伊勢殿が敗北した場合。


 A以外のどのパターンでも、朝比奈殿及び遠江の国人衆に責任を問うことができる。

 仮にAだったとしても、任務を果たしてご苦労さまと労うだけで、事は足りる。

 元よりこの五千の兵は戦に出かけたわけではないのだ。龍王丸君の元服の報告と、お祝いのお礼を言いに上洛しただけだ。よほど派手な功績がない限り、軍功云々という話にはならないのだろう。

 しかも総大将である朝比奈殿が暗殺されていたら?

 おそらく、朝比奈殿を殺せと命じた者は、勅令による和睦など予期していなかったのだ。

 この時代は情報の伝達がとにかく遅い。リアルタイムで状況の判断を下すことなどまず無理だ。

 だとすれば、朝比奈殿の暗殺は、和睦の話が出る何日も前に指示されていたと考えてもおかしくはない。

 父と同じで、軍功高い男が邪魔になったのか? よりにもよって遠江の武将だから?

 最悪なのは、伊勢殿が敗北した場合だ。味方に付いたにせよ、敵方についたにせよ、様子見をしていたにせよ、今川館は十中八九、戦の責任を彼らに負わせ、己らはそんなつもりはなかったと言い張るだろう。だからこそ朝比奈殿を暗殺したのだとすら言うのかもしれない。


「……厄介な事を考える御方がいるようです」

 小さく呟いた勝千代の顔を、大人たちが神妙な表情で見ている。

 そんな彼らを見回して、唇の両端を引き上げ、「大丈夫ですよ」と頷きかけた。

 大丈夫だ。

 そんな思惑には乗ってやらない。

 朝比奈殿は死なせないし、戦にも巻き込ませないし、皆を無事に遠江まで連れ帰る。

 勝千代は決意を込めて、遠く駿河のある方向に目を向けた。

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― 新着の感想 ―
[一言] これはビッグボスの貫禄。 ちっちゃいけど。
[一言] あの…今川家が真っ黒すぎて龍王丸君の代が怖いんですけど…。 いい意味でも悪い意味でもお勝君いなかったらどうなってたか考えなかった大人はいないだろうな…。
[一言] いよいよ今川館もヤバいことやり出したね。 井伊殿みたいな国人衆じゃなくて譜代&重臣格の朝比奈殿を殺そうとするのはいただけないな。 岡部の時も思ったけど身内に容赦ないの乱世だなーって感じする。…
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