3-3 上京 一条邸3
「……権中納言様。そもそも一介の陪臣のそのまた陪臣の子供、若君に頭を下げよというのはあんまりではございませぬか」
「麿の大切な客人やというたのは、聞こえんかったのか?」
「武家には武家のしきたり、序列がございます!」
「それを言うなら、麿の助力などいらぬということでええな」
「権中納言様!」
白湯で口の中をゆすいでいる間に、ますますヒートアップする松田殿と、どんどんクールダウンしていく権中納言様の御声が聞こえてくる。
個人的には、一条家にはこの一件から手を引いてほしい。
だが頼られてやむを得ず、あるいは何とかしてやりたいという温情などではなく、血縁やら何やらのしがらみがあるというのなら、勝千代の口出しする事でもない。
どうにも情報が薄いな、と思いながら顔を上げ、年配の侍従に手ぬぐいを返す。
数年来挨拶を交わす仲で、寒月様のもとで私的に話し込んだこともあるその侍従は、土佐出身の元武士だ。
アイコンタクトで、この男もまた主従に良い感情は持っていないとわかった。
つまりは、一条家にとってあまり良い関係性ではないのだろう。
「……大変失礼いたしました」
勝千代は目立つ部分の血を拭い、問題なしと侍従殿に頷き返されてから彼らの方に向き直った。
ちらりと見た先で、吉祥殿は相変わらず不貞腐れた表情でそっぽを向いている。
その小柄な体を守るように、松田殿が権中納言様と向き合っている。
「えらい目に合わせてしもうて、すまんなぁ。痛みはどないや?」
「お気遣いありがとうございます」
歯が折れたんだぞ。痛いよ。痛くないわけないじゃないか。
前歯じゃないだけまだましだが、きっと顔は腫れあがっている。
「謝罪の必要はございませんよ」
勝千代はニコリと重く感じる頬をもちあげて微笑んだ。
「色々と、鬱積なさっておいでなのでしょう」
たとえば、兄から散々命を狙われているとか。
最近頻発している誘拐殺害遺棄事件は、間違いなく吉祥殿関連だろう。
そういうの、覚えがありすぎる状況なので、心情的に理解できなくはない。
だが、だからこその身の処し方というものがあるだろう。
「松田殿も、一族郎党を背負っておられるのですから、重々お気を付けください。権中納言様も」
「……何が言いたい」
ぎろり、と色素の薄い目が殺意すら込めて勝千代を見据えた。
それに真正面から視線を合わせて、この人も大変だな、と同情する。
よほど察しが悪くない限り、勝千代の言いたいことは伝わったはずだ。それを主人と同年代の子供に言われた屈辱か、もとより地方の子倅程度と甘く見ているのか……何にせよ、わからないふりをするのは頂けない。
そもそも、吉祥殿ご本人が、今のこの状況を理解していないように見える。
命を狙われているとはわかっていても、その理由と、それではどうすればよいのかという方針を、周囲の誰も諭していないのではないか。
兄の将軍に従順の意を示しただけでは駄目だ。その後見にあたる諸氏にも頭を下げまくり、野心はないこと、生涯その風下にいる事を延々誓って回らなければならない。
今回のように、むやみやたらと公方様の実弟だなどと名乗ってはいけない。
偉そうに癇癪をまき散らして反感を買うべきではない。
出家する、格下あるいは遠方に養子に出る、それぐらいの立ち回りをしなければ、相手は引かないだろう。
いや、そこまでしてなお、疎ましいがられ命を狙われることもあり得る。
他ならならぬ、勝千代のように。
「今年お生まれになられた姫君の御夫君に?」
お勧めしない、と表情ににじませて首をかしげると、権中納言様も苦笑なされた。
「……姫の婿にどうかと申し出があってな」
「それはそれは」
「あくまでもまだ打診の段階なんやが」
勝千代はちらりと吉祥殿を見て、その目にどろりとした怒りを見て取って「なるほど」と苦笑した。
まさしく、憎まれ役だな。
「武家と縁をつなぐのでしたら、正統を是となされる御方がよろしいかと」
勝千代がそう口にした瞬間、マグマのような怒気が武家主従から立ち上った。
松田殿はまだ怒りを抑えようという理性が働いているが、吉祥殿はそうではない。
怒りどころか殺意のこもった目が勝千代を射る。
「権中納言様にはすでに御嫡男がおられます。姫君の婿になられても二番手。大内家のご側室がお産みになられた御子を含めればあるいは三番手。分をわきまえ一歩二歩引いて御家のために尽くせる御方をお選びになる事です」
「そのほうの言う事は耳が痛いの」
「あるいは分家をお建てになられるというのは」
「姫を半家以下にというのはなぁ。奥も御上も納得するまい」
「それではやはり、どこか名家の御嫡男をお探しになられては? 姫君はまだお生まれになったばかり、お急ぎになることもないでしょう」
一条家は摂家筆頭だし、おそらくは公家の中では随一の資産家だ。
わざわざジョーカーを引かずとも、そのうちに当たり札が回ってくるだろう。
「福島殿」
横から話が流されそうになり、おそらくはこの件を持ち込んだ張本人であろう松田殿が地を這うような低い声で勝千代の名を呼んだ。
「元服もまだの分際で、口出しが過ぎるのではないか」
勝千代は、一条家を出た後が怖そうだと思いながら、憎々し気にこちらを見ている松田殿と視線を合わせる。
「……お判りになられませんか」
たかが十歳の子供に諭されるようにそう言われ、激怒する気持ちはわかる。
それならば、もっとしっかり状況を見定めるべきだ。地方から出て来て数日の子供にでも見通せることだぞ。
「お判りでしょう?」
婚姻? 何もない平時であれば大いに結構。将軍家と一条家であれば、家格も釣り合わないということはない。
だが今の京の状態を見れば、むしろ火に油の結末しか思い浮かばない。
吉祥殿を婿にした場合、これまでのように公家だと言い張り無関係を貫くことは難しく、将軍家を押さえつけている細川家や他の武家の相手をしなくてはならなくなる。
確かに一条は公家の名門だ。だがしかし、力のない公家ではない。
細川陣営はそれを脅威とみなし、最悪の場合、全面的な敵対となりかねない。……いや、そうなる可能性は極めて高いと見るべきだろう。
「摂家御筆頭を矢面に立たせるおつもりですか」
「……っ」
「吉祥殿に野心がないのであれば、一条家は悪手です」
野心があるというならば、それは別口でやってくれ。
知己を巻き込むような真似はしないで欲しい。
「むしろ御命を縮めかねませんよ」
松田殿の強張った表情は、勝千代でなくとも容易に読み取れるものだった。
ああ、やはりそうか。
一条家を吉祥殿の後見に立て、対細川の図を描くつもりだったな。
兄弟間の対立を鎮静化させたかったのか、せめて刺客が来るのを止めたかったのか。はたまた、実兄を退けその後釜の座を狙っているのかもしれない。
……いずれにせよ、安直すぎ、楽観過ぎる。
三が日、ストックで乗り切りましたー!
誤字脱字、感想返信などの対応は明日から頑張ります。
皆さま、良いお年をお迎えになられましたでしょうか。
2023年は世界平和と、下の子の受験合格を願わせていただきます。
いい一年になりますように。




