25-6 叡山防衛6
難しい注文をしているということはわかっている。この時代にはGPSも無線もないのだ。
ただ、そんな中でも最善を尽くすのが弥太郎という男だ。
半刻もかからぬうちに伊勢軍の現在位置を調べてくれた。
足での調査、口頭での伝達だという事を考えると、驚異の速さだ。
「一番の難所は既に越えております。狙うのならば吊り橋を渡る前がよろしかったのですが」
迂回するのではなく、吊り橋を使ったのか……五百人で?
「相当に急いでいるな」
「はい。予想より早く到達する恐れがあります」
「雨の中長く待たずに済むのはむしろありがたいが……」
弥太郎とその配下が勝千代の無茶ぶりに走り回っている間、乾いた着替えに袖を通し、濡れて乱れた髪を結いなおしてもらった。
細く柔らかい子供の髪は、すぐに崩れてしまうのだ。
細い髪がぺたりと張り付けばかなり貧相な事に……いやそんな話は今はやめておこう。
「つまり、崖を崩せと?」
乾いた服を着ている勝千代と弥太郎。
かなり濡れた状態の土井と三浦。
そして、井伊殿はまだ蓑を巻きつけたままで、鎧の上に藁束というなんとも野趣あふれる恰好だった。
「こことここを塞げば、多少道は違えど、このあたりに追い込めます」
ぽたぽたと木の床に雫を垂らす井伊殿に向かって、勝千代は朧な灯明が照らし出す地図を指し示した。
現在の伊勢軍の位置には小石を並べている。
尾根沿いに道なき道を進んでいるとはいっても、これだけのスピードで行軍していくには多少なりとも歩きやすいルートを辿らざるを得ず、それはつまり獣道であり、山の民が使う山道になる。
勝千代が危惧したような崖崩れはいまだ起こっていないが、いつ発生してもおかしくない降雨量なので、獣道を岩なり倒木なりが塞いでも疑われることはないだろう。
つまりは、選択肢を減らせばルートもおのずと限定されるということだ。
「程よいころに、後方から追手が来ているように見せかけ、更に奥へと進ませて」
つきあたりは参道へ続く石階段。脇道なので広さはないが、東塔へと続く最短ルートだ。
伊勢軍が第一の目標としている地点だと思う。
最短距離を案内してやるのだ、親切だろう?
突き当りは切り立った斜面だけど。
石階段とはいえ大人が二人並ぶのも狭い、絶好の襲撃ポイントだけど。
「山道を塞ぎ、その場所まで追い込む役割は別の者に任せます。井伊殿にはここで崖を崩していただきたいのです」
難しいだろうか? そもそも今でも階段を川のように雨水が流れているだろうから、それに沿うように土砂を投入できればいい。
大きく地形を崩す必要もない。
落石や土砂で動きを制限され、引くも行くも難しい状態にしてから、朝比奈軍お得意の弓部隊の登場だ。
勝千代の頭の中にあるのは原案で、追いかける(福島)、足止めする(井伊)、矢を射る(朝比奈)という、実にざっくりとしたものだ。
それが実戦として役に立つものかどうかは、経験が浅すぎてわからない。
暗闇で待ち構えているよりはマシなのではないか、という思いからだが、そもそもこの激しい雨の中での作業が適しているかどうか。
実際に仕事をする者の意見が聞きたい。
「いいんじゃないですか」
井伊殿の返答は、想像していたどれとも違っていた。
「ただ待ち構えているだけでは芸がないですからな」
暗がりの中で目がぎらぎらと光り、灯明に照らされ、わずかにわかる唇は両端が鋭角に持ち上がっている。
「現地を見ないとはっきりしたことは申し上げられませんが……やりすぎて伊勢軍を土で埋めてしまうやもしれませぬ。この雨で地盤が随分と緩んでおりますので」
どの程度崩れるか把握することが難しいという意味か。
伊勢軍を土砂で埋めてもいいかという確認か。
……明らかに後者だろうな。
「結果、東塔にたどり着けないようにできればいいです」
勝千代が真顔でそう答えると、井伊殿は「くっ」と小さく喉を鳴らした。
「……面白い」
戦の花形は決戦なので、こういう工作は好まれないだろうという予想はあった。
特に福島勢は敵と真正面から戦う事を好む。……父の影響だろうけど。
だが井伊殿は、勝千代同様、勝てるのなら過程は問わないという意見の持ち主のようだ。
「全滅させていただいても構いませんが、幾人か残ったと仮定して」
勝千代は一本の線として表現されている階段を扇子の先でたどり、T字で突きあたっている大きめの参道で手を止めた。
「ここに弓隊を潜ませます」
「……ほう」
「それでもまだ大軍が残ってしまうようなら、ここまで引っ張ってきます」
「えらく距離がありますぞ。その間に脇道にそれて逃れるのでは」
「かなりの難所です。刀や槍を持ち、鎧兜で武装したまま道を逸れるのは難しいと聞いています」
あと、重装備で階段マラソンをして、疲労困憊してくれればなおよし。
「ここでも土砂崩れを誘発することは出来そうですが、時間がそれほどありません」
こちらは左右が崖の浅めの谷だが、先程の地点なら、山肌の中腹に作られた階段なので、うまくやれば下に突き落とす事も可能なのだ。
「あとは、本隊が相手をします。兵差を考えても、そう難しい相手ではないでしょう」
勝千代は持っていた扇子を膝の上まで引いた。
実戦経験のほぼないお子様による、思い付きに近い奇襲攻撃だ。
集中豪雨は罠を仕掛けるにはうってつけの環境だが、逆にそれが難点でもある。
今なお大量の雨が地面を叩きつけていて、まるで川が近くにあるかのような、びちゃびちゃと大量の水が流れる音がしている。
こんな天気だと土木作業は危険だ。土砂崩れを作ろうとして、逆に巻き込まれてしまう可能性も大いにある。
特に問題になってくるのが、この暗さだろう。
事故になる可能性が高いのであれば、素直に待ち構えているべきだ。
勝千代は、経験豊富な井伊殿の意見を聞くべく口を閉ざした。
書くのが難しいシーンでした><




