3-2 上京 一条邸2
「そういえば、そなたに会わせたい御方がいらっしゃるのや」
「わたしにですか?」
権中納言様のさりげない、……いや、さりげなくはないな。おそらくは計画されていたであろう成り行きで、勝千代はその人物と対面することになった。
「……」
合図とともに案内されてきたのは、水干姿の少年だった。
年のころは、数えで十歳ほど。
年齢といい、その佇まいといい、思い当たることの多い相手だ。
「吉祥殿や」
そしてその傍らには、見覚えのある茶髪の男。
視線が合って、じろりと睨まれた末に、丁寧に頭を下げられた。
松田殿だ。
そのかなり後方に控えている座り位置を見るに、水干姿の少年は相当に身分が高い御子だ。
「公方さんの弟君や」
……どうしろと?
勝千代は淡い苦笑を唇に浮かべ、意図して困惑した表情を浮かべた。
権中納言様がどういうつもりで引き合わせたのか、理解はするが同意はしない、そういう意思表示を込めて。
「福島勝千代殿、無礼であろう、控えられよ」
松田殿の重い叱責の口調に、やるせなさを込めた目を向け、ちらりと権中納言様に視線を戻してから小さく溜息をつく。
「お役にはたてないと存じますが」
「それはそうやろうとも」
「憎まれ役を買って出ろと?」
「……ああ、やはりそなたは頭のええ子や」
できれば全力で、その期待を否定したいところだ。
勝千代はすっと身体の向きを吉祥様の方に向け、両手を前に付き丁寧な所作で頭を下げた。
「お初にお目にかかります。福島勝千代と申します」
権中納言様と吉祥様との間にどういう関わり合いがあるのかは不明だが、全面的によろしくない。非常によろしくない流れだ。
「……」
吉祥様は後から来たので、必然的に座った位置は勝千代よりも下座だった。
その、刺すような視線が今すぐ場所をあけろと言っていて、まあ、そうするのもやぶさかではないが、ここで怒りをあらわにするようではこの先の話も難しいのだろうと思わざるを得なかった。
ちなみに、この場にいるすべての者の序列を考えるとするならば、勝千代は廊下、いや庭先まで下がって頭を下げなくてはならない。
この部屋は一条邸でも最奥まった、プライベートで使われる類の空間で、そもそも公的な場所ですらなく、はっきり言ってしまえば席次をあれこれ言える広さはないのだ。
「権中納言様、残念ながら私はそろそろお暇した方がよさそうです」
勝千代がそう結論付けて、たちまち怒りで真っ赤な顔をした主従から目を背けると、権中納言様はさもありなん、という風に嘆息した。
「……そうやなぁ」
「はい。また改めさせていただきたく存じます」
「そうか。そなたがそう言うのやったら」
まったく。
今川家の一武将の子に過ぎない勝千代に、何を期待なさっておいでなのか。
「待て!」
ここは逃げるが勝ちと、腰を浮かせた勝千代を、甲高い声が引き留めた。
「田舎侍の分際で、儂に頭も下げずに行くつもりか!」
儂。
場違いな癇癪に、場違いな物言い。いっそ可愛らしすぎて笑える。
口元をほころばせるのを押さえる事が出来ず、顔を伏せてそれを隠すのと、おもむろに立ち上がった吉祥殿が勝千代を蹴飛ばすのとは同時だった。
「若君!」
さすがに慌てた松田殿が腰を浮かせたが、すでに吉祥殿は勝千代を転ばせており、更に追撃の蹴りを繰り出そうとしていた。
「おのれ! 笑いおったな!」
これはいけない。とんだ癇癪持ちだ。
何度も言うが、この部屋は狭い。
もともと人数が入るようにはできておらず、ここにいるということは、個人的な面会ということで、間に控える者もほぼいない。
勝千代の側付きはもちろん、権中納言様の侍従もひとりきりだ。
その侍従は主人を守り、松田殿は暴挙を止めようとしたが位置的にすぐには動けず、結局勝千代は三度ほど蹴りを食らってしまった。
同じ子供とはいえ、思いっきり振り下ろされた蹴りはかなり強烈だった。
そのうちの一発が勝千代の顔面を強打し、ゴキリと嫌な音をたてる。
首。首にきたぞ。むち打ちになったらどうしてくれる。
結局吉祥殿を止めたのは、隣室に控えていた権中納言様の護衛で、しかも二人がかりだった。
「なんとまあ……大事ないか? おお、血が出ておるやないか」
フットワーク極軽の権中納言様は即座に勝千代のところまで駆け寄ってきて、手ずから助け起こしてくれた。
一瞬ふらりと頭が揺れる感覚がしたが、それよりも咥内に広がった血の味の方が不快だ。
「すまぬ。怪我をさせるつもりやなかった」
「いえ。お気になさらず」
そう答えようとしたところ、口の中で固いものがごろりと転がった。
奥歯が折れていた。
そう察した瞬間に、顎に鈍い痛みが走る。
乳歯だからいいものの、永久歯だったら大問題だったぞ。
勝千代が懐紙に歯を吐き出すのを見て、権中納言様は息を飲み、なお一層強く背中をさすってくれた。
この人、かなり子煩悩な御方で、小さなお子様がいらっしゃるせいだろう、いちいち勝千代に対してお優しいのだ。
「吉祥殿」
間違いなくこの場で最高位、吉祥殿よりも身分の高い権中納言様は、これまでのおっとりとした口調を改め、明らかに怒りの混じった声色で言った。
「麿の客にずいぶんな事をしてくれはりますな」
一条家は摂家のひとつで、まごう事なき公家の名門だが、この方も寒月様同様、極めて武家寄りのお考えの持ち主なのだ。
その怒りの発露は公家にしては直情的で、そもそも隠そうともなされていなかった。
「っ、いえこれは!」
松田殿が取りなそうとするが、吉祥殿は不貞腐れたようにそっぽを向いている。
これはちょっと無理だな。
勝千代が相いれないと判断するのも仕方がないと思う。まだ幼い故なのだろうが、片田舎の芋侍如き、という考えが透けて見えすぎる。
令和の時代の東京と同じで、ここ京にいる侍の多くが地方から来た者だ。
それをいちいち下に見ているようでは、誰もついて来ないぞ。