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春雷記  作者:
京都編

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24-6 叡山前6

「そのような世迷い事、信じられるか!」

 住田殿の大声がびりびりと古寺を揺らした。片膝を立て、拳で床を殴りつけたので、尻の下の床板までもが若干撥ねた。

 武器は所持していないが、そのでっかい拳は十分に凶器になる。一条権中納言さまの御前で、デモンストレーションにしてもやりすぎだ。

 ただ本人は、吹けば飛ぶような小柄な子供を威嚇したかったのだと思う。

 さほど広さのない部屋なので、怒鳴られれば唾が届きそうなほどの距離だし、実際にその気迫が風圧のように伝わってきて、動かずに堪えるので精いっぱいだった。


 動物としての存在そのものに圧倒的な差があるのだ。

 例えるなら、飢えた肉食の獣対、小さな草食動物のようなものだ。

 つまり勝千代は固まったように動かず……いや動けずにいた。

 反応したのは勝千代側の武士たちだ。特に顕著に動いたのは谷だが、隣の三浦に腕で止められて、片膝を浮かせた状態ですぐにも飛び掛かれるよう身構えている。


 若干時間が止まったような瞬間が過ぎ、御簾の内側で権中納言様が身じろいだ。

 勝千代はまっしろになった頭を急いで巡らせた。

 近い距離にある住田殿の顔は、激怒のあまりますます赤黒く染まっている。

 それを見て連想したのは、やはり父の顔だった。

 ……いや、顔立ちだけだと父の方が怖いな。

 勝千代はまじまじと住田殿の顔面を観察してから、そう結論付けた。

「大きなお声ですね」

 回らない頭でそう呟いて、その場違いな台詞をにっこりと笑ってごまかす。

「御前ですよ」

 住田殿からの返答は、再びの威嚇の唸り声だった。


 勝千代はその獰猛な気迫に辟易して、小柄な子供なら四、五人並んで座れそうな距離を開けて鎮座している宗滴殿に視線を移した。

 真横で乱暴な態度に出た住田殿を止めるまでもなく、双方の動向を見守っていた宗滴殿に、にこりと無邪気な笑みを浮かべ問いかける。

「朝倉殿にもお伺いしたいですね。何故、遠い越前から大軍を率いて上洛を? 公方様がお亡くなりになられることを、あらかじめ御存知だったのでしょうか」

 無邪気には聞こえるだろうが、穏便な問いかけではない。

 宗滴殿の鋭い眼光が勝千代の視線を真正面から受け止め、当たり前だが即座に否定した。

「いやまさか」

「ですが時期が符合しすぎています。病に伏されていたわけではなく、あのような御不幸に合われた。まさしく予期できることではございませぬ」

 それを言うなら北条も今川もそうなのだが、別件で上洛したのと、あらかじめ知って派兵したのとでは話が全く違ってくる。


「あー、その事ですが」

 もの凄く場違いな声が廊下の方から聞こえてきた。

 狭い部屋なのですべての人員が入りきらず、廊下や中庭のほうまでむさ苦しい武士たちが控えていたのだが、その有象無象の中からひとり、手を上げパタパタと振っている男がいる。

 場違いな声色もそうだが、その空気を読まない雰囲気には覚えがある。

 勝千代はため息をついた。

「左馬之助殿、そのようなところで何をなさっておいでですか」

 先程までは華やかな黄備えの装いだったのに、一見して周囲の者と大差のない装束に着替えている。

 顔に大きな当て布をしていて、左右に体格の良い側付きたちを控えさせているからかろうじて一般の兵士ではないとわかるが、それまで視線が向かない程度には没個性的な顔をしてその場に馴染んでいた。

 北条の総大将がなにをやっているのだ。

 ……この問いかけももう何度目だろう。


「邪魔をしたくはないのですが」

 左馬之助殿は廊下の隅っこで立ち上がり、周囲の胡乱気な視線を浴びながら照れたように頭を掻いた。

「うちの副将、今川の文官、それに似たような輩がいらしたようで」

「もしそうだとしても、桁外れの大軍を引き連れ上洛したのには何らかの理由があるはずですし、総大将殿ご自身の意思で上京に攻め込む選択をしたのは確かでしょう」

 今川も北条も、国元の意思がどう転ぶかわからないうちに参戦するつもりはない。まあ、勝千代がいなければ左馬之助殿の発見が遅れ、なし崩し的にそうなっていた可能性は高いが……

 勝千代は腕組みをしたままの苦み走った強面顔を横目で見た。

「覆水盆に返らずです」

 一度こぼれた水は、元に戻すことはできないのだ。

「ですが、いくらか想像がつくことも御座いますし、すぐに上京から引くとおっしゃるのでしたら何も申し上げません。兵糧の融通も可能です」


 朝倉軍の総大将をこの交渉の場に引っ張り出したのは左馬之助殿だ。

 あの緊張感のなさで堂々と朝倉本陣に乗り込んでいって、兵糧を分ける事を餌に呼び寄せたらしい。

 確かに北条軍は趨勢を明らかにしていなかったが、反撃されなかったのには理由があって、なんと無手、武器なし寡兵で突撃したのだそうだ。左馬之助殿ご本人がだ。

 戦の真っ最中の朝倉本陣に、暢気な顔をした侍大将がフレンドリーに登場したとあっては、さぞ周囲を困惑させただろう。


「我らの主張は単純なものです。帝のおわす叡山付近から撤退してください。細川管領が上京の治安のために派兵するのは理にかなった事ですし、意思の疎通あるいは合意ができず伊勢殿と諍いが起きるのもやむを得ない事。ですがその諍いに御上を巻き込むのは如何なものでしょう。足利将軍家の後継者は武家で決めるべきものです」

 勝千代は自身の偉そうな言葉に反発されるのを承知で、あえて正攻法での説得を試みた。

 間違った事を言ったつもりはない。だが、そういった正統性が一番わかりやすく、万人に受け入れられやすいのは事実だ。


 遠方でざわめきが聞こえた。

 その場にいた大多数の大人がその方向に首を巡らせ、勝千代もまた中庭に目を向ける。

「……福島勝千代殿」

 来たか、無事かと気を揉んでいた勝千代の名を、静かだが太い声が呼んだ。

「そういう今川家も、竹王丸様をお匿いでしょう」

 宗滴殿が誰の事を言っているのか、すぐにはわからなかった。

 竹王丸=吉祥殿だと思い至るまで数秒を擁し、何故そんなことを言うのだろうと首を傾げた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 遠江勢と合流したあたりから毎話が楽しみで仕方ないです 応援してます [気になる点] 焼死を偽装したことを見破ったうえでの発言か、単に伊勢から今川に匿われていると聞いただけなのかで話が全然変…
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