3-1 上京 一条邸
「お久しぶりにございます」
勝千代が頭を下げると、「ふふふ」と上座のほうで笑い声がした。
「ほんにの。おおきゅうなりはったな」
いきなりそこに言及する意地悪さに唇を尖らせそうになる。
「……多少は」
一年もたてば、この年で背が伸びないということもないが、残念ながら成長率はそれほどでもない。
顔を上げ、寒月様とはまったく似ていない細面の御子息の顔を見返した。寒月様の御子にしては意外とお若く、まだ二十代の、行っても半ばといったところだろう。
二年ほど前に完全隠居した寒月様の後を継ぎ、土佐一条家の主となられた。現在は公には権中納言と呼ばれる「食わせ者」だ。
「権中納言さまも御壮健のようで、恐悦至極に存じます」
「そうよな。今朝がた随分と面白いことがあったようやなぁ」
「ご機嫌もお麗しいご様子」
「ふふふ」
若い故か寒月様ほどの重厚感がなく、フットワークが極軽だ。遠江までも一度いらしたことがあって、勝千代とはその時から懇意にさせて頂いている。
「父上もお元気そうやなぁ」
寒月様からの手紙を広げ、嬉しそうに何度も頷く様は、遠方にいる父親の身を気にかけている孝行息子そのものだ。
遠い未来ほど頻繁に遠方の知らせが届くというような便利さはないので、年齢を重ねた父親を心配なさるお気持ちはよくわかる。
だが、勝千代は知っている。
あの書簡の内容は、近況報告などではない。
職務の問題点やら、土佐の治世の諸々に至るまで、要するに業務連絡に近い。
別名、駄目出しともいえる。
「御壮健そうでなによりや」
あの内容で嬉しそうになさる気持ちがよくわからない。
勝千代はひとしきり権中納言様の表情を観察し、その視線が書簡からこちらに移るのを待った。
「御伝言をひとつ、お預かりしております」
「ふむ」
「大内には注意せよと」
この御方は周防大内家から側室をお迎えし、近年男子がお生まれになっている。
年の大半を政情不安定な京で過ごし、土佐にはほとんど戻っていないというから、寒月様はそのあたりを気にされているのだと思う。
この時代、その土地をもっとも穏便に奪うにはやはり婚姻で血を混ぜ、その子に後を継がせることだ。
だが権中納言様には正室との間にすでに嫡男がいらっしゃる。
京に住まう皇族の血を引く正統な嫡子と、地方に住まう有力大名の血を引く男子。
その土地に住む者であれば、心情的には近い血の者を後継者にと望むだろう。
「そうよな。近々子らを土佐に下向させようかとおもうておるのじゃ」
この方がずっとこの地にいらっしゃる理由を知っている。
京を離れるわけにはいかないやんごとない御方のお側にいるためだ。
勝千代は、天皇家が末長く、令和の世まで続くという事を知っているが、武士が大頭し戦乱の血生臭さの増すこの時代、それを危ぶむのも理解できる。
特に今年に入って京を襲った大火は、付け火だったと聞く。
御所の広範囲を焼き、その傷跡はいまだ細々としか修復されていない。
「御所の修繕は難しいのでしょうか」
公家は困窮していると聞くが、だからといって、御所の修繕がまだほとんどなされていないというのはいかにも不審だ。
武家がこぞって手を差し伸べ、ここぞとばかりに権威を示そうとしそうなものなのに。
勝千代の問いに権中納言様は物憂げな表情をなさり、小さくかぶりを振った。
「一条家から幾らか出したんやが、なかなか進まぬ。修繕するたびに火がでるのや」
「……それは」
「細川の意向やろうよ」
現在の京は、治世どころか治安もままならない有様だが、誰かが武威を示せばそれを解消する事は難しくないはずなのだ。
ここには武家の頭領たる将軍がいる。
周辺には強力な守護らもいる。
だがしかし、その権勢をふるい京の荒廃を収めようとする者はいない。
「さぞお心を痛めておいででしょう」
「ままならぬものよ」
将軍家に力があれば、話はまったく違っただろう。
京は小動ぎもせず、帝も安寧でいらしたはずだ。
そうはならず、長らく今のような状況なのは、公家も、将軍家も、なにもかもを「あてにはならぬもの」と世に知らしめたい者がいるからだろう。
応仁の乱で勝者はいないと言われている。
だが確実に、室町幕府の権威を削ぎ、緩やかな終焉に導いた原因だ。
この後この国は長く戦乱の世に突入する。
江戸に幕府がひらかれるまで、あと何年かかる?
どれだけの血と涙が流れるのだろう。
勝千代の乏しい知識では、この先歴史がどう動くのかはっきりしたことはわからない。
権中納言様はご家族を土佐に移される御意向のようだが、四国とて安全ではない。
毛利が台頭してくる頃には大内家も衰退し始め、西日本も相当に乱れることになるはず。
……正直なところ、思い出せないというよりは、そもそも学んだ記憶すらないのだ。当てにならないにもほどがある。
ふと、己の本拠地である駿河遠江の事を思った。
少なくとも桶狭間の戦いが起こる前までは、今川の治世が続くはず。
あとどれぐらいだ? 三十年? 五十年?
……いや、御屋形さまの健康不安があるうちは、今川家も内情は不安定だ。
結局どこにいようとも、家康が江戸に幕府を開くまで平和な時代が来ることはない。