24-1 叡山前1
『叡山を押さえる』と言っても、簡単な事ではない。
すでに細川京兆家が同じ狙いで動いているからだ。
だが勝千代には、一条権中納言様という強力なカードがある。
スタッフオンリーの場所へ顔パスで行けるようなもので、権中納言様の行く手を遮るなどよほどの事でもない限りできないだろう。
もちろん、それに同行しているからといって、勝千代ら武家がずかずかと帝のご身辺に近づけると思っているわけではない。
そもそも、拝謁できる身分すら持ち合わせていないのだ。
ただ、権中納言様の護衛として比叡山に陣を張り、他の武家らがおいそれと近づけないようにする事は可能だ。
細川京兆家も伊勢殿たちも、そんな今川軍の動向に注目するだろう。
嫌な顔をされはするだろうが、攻め込んでくることはできないと思う。
こちらはあくまでも、権中納言様の護衛を務めているだけなのだ。
「兵糧が厳しい陣営は阿波細川軍と朝倉軍だけか?」
「あとは山陰道を通らず合流してきた西国です」
段蔵の淡々とした報告に、勝千代は両腕を組んで卓上の地図を眺めた。
略式もいい所の、つい手直ししたくなる近江から西方面の広域地図には、白と黒の碁石がいくつか置いてある。
一応は伊勢陣営とそれ以外をわかりやすくしたつもりだ。
調べていくうちに気づいたのは、兵糧に小石が混ぜられている陣営の偏りだ。
六角軍に被害がないのは、所領が近く購うことなく兵糧を用立て運んで来たからだろう。
細川京兆家およびその連合軍の兵糧にも異常はない。
実は伊勢殿と内々に手を組んでいるとか、マッチポンプ的な事はさすがにないだろうから、やはり京より南の米の流通に問題があるのだろう。
混ぜ物がある兵糧を長い距離運んできて気づかないわけはなく、問題の米俵は京に到着してから購ったものだと思う。
遠方から来た朝倉軍が、畿内で追加の兵糧を用立てるのはおかしなことではない。
そこに小石が混じっていたのは果たして偶然か? 意図されたものか?
「北条の兵糧方が黙っていたのは、賄賂で口をつぐんだのか、そうしろと命じられたのか。同様のことを……朝倉でもしたのだろうか」
「味方の兵糧に細工をするなど!」
勝千代の呟きに、嫌悪感を込めてそう反応したのは弥三郎殿だ。
四年前は散々な目にあったからな。
勝千代は地図から顔を上げ、こちらを見ている大人たちを見回して小首を傾げた。
「追加の兵糧を与えて恩を売る、あるいはおいそれと離反させない為でしょう。兵糧がなければ戦えないどころか、撤退することもできな……」
そこまで口にして、ふっと言葉が途切れた。
頭をかすめた想像に、まさしくそれが正解だろうとストンと得心してしまったのだ。
北条の兵糧が尽きかけていると聞いた時、融通すると言われれば伊勢殿に味方せざるを得ないだろうと思った。
それはその通りで、兵糧がなければ軍はたちまち動けなくなる。
つまり、負け戦だからと安易に引くこともできなくなるのだ。
「……ああ、なるほど」
勝千代は改めて、「黒蛇」という厨二病的二つ名を持つ男の底意地の悪さに顔を顰めた。
今川の軍勢が行動を開始したのは、川の対岸からでもわかるほど上京で騒ぎが起こってからだった。
小太郎ら風魔衆は、両陣営がそれぞれに夜襲をかけて来たように見せかけた。
具体的には、忍び同士が闇の中でカンカン刀を打ち鳴らして戦うふりをして見せただけらしいが、一触即発だった両軍はまんまとつられて深夜から競り合いをはじめている。
ほぼ同時刻、複数の場所で用水の堰を抜いたのは段蔵の手の者だ。
上京で小競り合いをしているうちに足元がぬかるみ始め、夜が明ける頃にはとんでもない事になっていたそうだ。
段蔵も弥太郎も極めて真顔で「御指示通りに事は進んでおります」と言うだけだが、途中遠山に報告に来た小太郎は、自重なくニヤニヤ笑って勝千代に流し目を寄こしてきた。
小太郎自身が想定していた以上に面白い状況になっているそうだ。
果たしてそれが、不謹慎にニヤつくのに相応しい事態なのかは定かではないが、洞窟の穴を埋める作業が気づかれない程度には、周囲の気を逸らせることができているようだ。
現在、表だって上京の細川京兆軍と競り合っているのは朝倉である。
六角軍は渋々の態で山科から手を引き、伊勢軍と合流した。
自称、新将軍の幕府軍だそうだ。
名乗るのは勝手だが、あくまでも「自称」だ。
将軍宣下はまだだというのは誰もが知っていることで、なかなか思うように事態が進まず「自称新公方」義宗どのはかなり苛立っているそうだ。
京にまだ残っていた幕臣たちを侍らせ、己の力で上京を取りもどそうと積極的に動いている。
おかげさまで、皇子の居場所をはっきりと把握することができた。
護衛が二手に分かれて、片方がずっと一か所にとどまっているのだから露骨だ。
弥太郎は直接皇子の御顔を確認してきてくれた。
容体については、かなり深刻なものになりつつあるそうだ。救出を急がなくては。
勝千代は朝比奈殿の軍馬に二人乗りでまたがり、派手な装いの今川軍を先発隊として百騎引き連れ、叡山入り口の参道付近で五百ほどの軍勢と向き合っていた。
相手が掲げる旗印は細川家。
前に出てきた長身の男の鎧兜は大将級、拵えもかなり見事なものだ。
年齢的にかなり若いので、管領殿ではないが、一門衆ではあるのだろう。
「下馬せよ」
命令することに慣れたその口調は苛立たし気で、露骨すぎるほどの敵意に満ちていた。
最初から、話し合いなどする気はなさそうだった。




