2-7 下京 宿7
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
「湯浅さま」
勝千代は、己がひどく幼く見えるという事を知っていた。
大人が都合よく利用できると考えるほどに。
にこりと微笑むと、湯浅は反射的に笑みらしきものを浮かべた。
子供だから容易く頷くとでも思ったのか? もちろん断るけど。
「申し訳ないのですが、所用があるのです」
いまだ両足がつかない状態では締まらないが、その分庇護が必要な幼子には見えるだろう。
良識ある大人なら、こういう子供に悪さをしようとは考えないはずだ。
それでもなお強引な手段を取るようなら……思いっきり「誘拐!」とでも叫んでやろうか?
「今朝がたから一条邸にお伺いするお約束をしているのです」
これは本当の事だ。
寒月様の書簡をお預かりしていて、それをお渡しするためにアポイントメントを入れ、昨日は御所に上がる日だからと今日の午前中を指定されている。
とはいえ、勝千代が申し出れば日程は替えてもらえるだろうし、寒月様の御子息であれば快く了承してくれるはずだ。だが、そこまでしてわざわざ危険なところに飛び込む必要性を感じない。
「それに……湯浅さまのご主君というのは、どちらの御方でしょうか」
怪しいのはお前もだよ、そう言外に言ってやる。
「御親切は大変ありがたいのですが、縁もゆかりもない方のお世話になるのはちょっと」
特に、明け方から子供の安眠を妨害する輩とはお近づきになりたくない。
しかもなんだよ、この人数。
建物のキャパシティーというものをもっと考えて人数を動かすべきじゃないか?
言葉にはしなくとも、含みは察したのだろう、湯浅殿は若干顔をこわばらせ、勝千代を守る者たちをじろりと睨む。
「お守りするのがこの数で、御不安ではありませぬか」
いや、まったく。
「それほど不安に感じることがあるのですか?」
今この瞬間でも、勝千代が合図をすればこの場は凄惨な現場になるだろう。
父が厳選し、勝千代を守ることに特化した男たちなのだ。穏やかな面相の三浦とて、刀を抜くことを躊躇わないだろう。
「ああそうそう、最近十歳前後の子供がかどわかされ、ひどい目にあっているそうですね」
扇屋が誘拐の実行犯で間違いないとは思うのだが、需要があるから供給にいそしむのだ。ここにいる連中が無関係だとは言い切れない。
「京とは恐ろしいところです」
「……それは」
勝千代は、男たちの表情に妙な緊張が走ったことに気づいた。
湯浅も、箕面も、なんならその周囲にいる男たちも。
これはどういう反応だ?
自分たちの主君、武家の最高位である将軍が猟奇的な事をやっていると知っているからそんな顔をするのか? それとも……
「わたしの護衛は、いざとなれば万の軍のただ中を突っ切ってでも生き延びる者たちですよ。ご心配ありがとうございます」
背後で、勝千代を抱きかかえる木原が大きく息を整えるのを感じた。
同時に、カチャリと刀が鳴る音も。
いつの間にか、入り口近くの場所に谷をはじめ複数名の福島家の先鋭が立っている。
静かに敵意を研ぎ澄ませ、すぐにも戦える態勢だ。
その背後は宿屋の壁。あるいは入り口土間の際。先ほどのように大人数が入り込もうとする前に、切って捨てることもできる位置だ。
こんな時代の武士だから、実戦の経験はあるのだろう。
大勢で囲んでいるつもりで、いつの間にか立場が入れ替わっていることにようやく気づいたようだった。
そう、数が多ければそれでいいわけじゃないんだよ。
「申し訳ありません。そろそろ支度をせねばならないので、下がらせていただいても?」
そんな中、勝千代の子供子供した声はやけにのんびりと、場違いに響いた。
「箕面さま。そこな商人の事はお任せします。何か誤解があるのでしょう。湯浅さま、箕面さまは難癖をつけに押し入ってきたその者を捕えに来て下さったのです。ご心配なさることは何も」
勝千代はゆっくりと地面に降ろされ、確かめるように両足を踏みしめた。
片膝をついても目線がそれほど変わらない湯浅を見つめて、こてりと首を傾げる。
よく見れば、湯浅は一段低い位置にいる。
更によく見れば、勝千代との間には三浦、土井、南の三名。
……すぐにも首を刎ねることができる間合いだな。
「何も問題はありませんよ。ええ」
勝千代が感じたことを、湯浅も察したのだろう、膝をついたまま身体をひねって距離を取ろうとして、今度は背後の谷に気づく。
さっとその顔から血の気が引いた。
「主人」
勝千代は、番台から遠く離れた隅の方で、真っ青な顔をしている宿屋の主人に目を向けた。
さすがは目端が利く、すぐにも逃げ出せるよう退路を背後にした立ち位置だ。
しかもこの状況でいまだ踏みとどまっているとは肝が据わっている。
「早朝から騒がしくして済まない。色々と壊れたものは弁償するので、宿代につけておいてくれ」
あまりにも大勢が土足で上がり込んだので、入り口の引き戸やら飾り棚やらが傾き、壺なども壊れている。
あの壺、いくらぐらいするんだろう。……払える金額だろうか。
毎年京まで来ているせいで、ただでさえ散財している事が気になって仕方がないのだが……かさばる金額になったら、伊勢殿に請求書を回しても構わないだろうか。松田殿は?
え? こういう場合、壊した奴が払うべきなのは当然だろう?
……ただでさえよく思われていないのに、なお一層心証が悪くなりそうだけど。




