22-2 下京 和光寺外2
優位に立った庶子兄の、鼻の穴を膨らました表情にイラっとした。
勝千代がではない。うちの野郎どもだ。
「マテ」ができるように言い聞かせていなければ、多勢に無勢など構わず突進していたのではないか。
南に抱きかかえられるという微妙なポジションに、「ふっ」といかにも馬鹿にしたように笑われ、勝千代が感じた事と言えば「そうだよな」だった。
子供なのは仕方がない。
誰もがかつては子供だったのだ。それをとやかく言うなら、お前にはオムツをはいている時期はなかったのかと問いたい。
とはいえ、大の大人を幾人も従え、戦場にいるには幼過ぎるというのは自覚している。
庶子兄の視線が、腰を抜かしている公家装束の男たちの上を這う。
庶子兄がいるという事は、この者たちは伊勢殿の軍勢だ。ぱっと見どこの勢力かわからないのは意図的か。こういう場合、自身がどこの陣営に属しているか明確にしておくものだが。
それについての思索は後回しだ。
内通者の挙動といい、兵たちが明確にこちらを囲んでいる事といい、伊勢殿が皇子を確保するために動いているのは明白だった。
あの御方がどうしても必要となる事態としてすぐに思いつくのは、勝手に将軍を名乗っている義宗殿に正統性を持たせる為だ。
東宮の第一皇子を人質にされれば、帝はその要請を拒否することができないのではないか。
更に言うならば、今上帝及び東宮の身に万が一のことがあった場合、最も皇位に近い御方だという事も無視出ない要素だ。
伊勢殿の手の者が上京の火災の原因だとはっきりしているわけではないが、御所を焼くほどの思い切った手段を取ったのであれば、二度三度と繰り返すたびにそのハードルは下がるだろう。
ああそうか、一応陣営を伏せているのは、多少なりとそれに負い目があるからか。
「どうした小僧。青い顔をして震えておるのではないか?」
勝千代が考えているのは、憎々し気にこちらを見ている庶子兄が言うような事ではない。
前にもちらりと考えた、もしかすると庶子兄は、伊勢殿の後ろ暗い事に加担しているのではないか、という危惧だ。
それが福島家へのちょっかい程度であればまだしも、上京の火付けや皇子の拉致にかかわっているのだとすれば、このまま見過ごすわけにはいかない。
「湯浅殿はどちらに?」
「命乞いか? 我が殿からは、行く手を遮るものはことごとく処分してよいと言われておる」
「ああ、都合のよい駒として使われていらっしゃる」
特使の時には直属の上司でもあった湯浅は、伊勢殿の正規の家臣だ。
その湯浅の指示ではなく、直接伊勢殿から命じられているという事は、よほど「重用」されているのだろう。
勝千代は軽く南の腕をタップした。
下ろせの合図だ。
南は若干渋る様子を見せながらも、勝千代の両足が地面に着くように降ろしてくれた。
「……口が悪い小僧だ」
「これは大変申し訳ない事を。田舎者の子供故に、世間知らずに育ちましたので」
庶子兄はチッチと鋭く舌打ちした。
舌打ちは行儀が悪いんだぞ。
「伊勢殿にご伝言頂けますでしょうか」
「一応聞いてやろう」
「詰めが甘い」
勝千代の言葉を聞くなり、庶子兄の顔色が一気に赤黒く染まった。
「……かまわぬ、殺せ」
「お急ぎですね。今川軍が迫っていることを御存知だからでしょうか?」
「ひとり残さずだ!」
庶子兄の命令を受けて、兵たちがこちらに迫ってくる。
勝千代は苦々し気な庶子兄の顔をじっと見つめて、「だから詰めが甘いって忠告したのに」と内心呟いていた。
「これはどういうことか」
一触即発のその場に、朗々とした声が響き渡った。
動き出した者たちは足を止め、ギョッとした風に背後を振り返る。
勝千代側がこの状況で動かなかったのは、庶子兄の兵のさらにその背後に、ものすごく見覚えのある人物が見えていたからだ。
相変わらずフットワークが軽い男だ。
二十人ほどの武士を従え、騎馬にまたがり静かに佇んでいるのは、四年たって更にさらさらロングヘアがグレードアップしている朝比奈殿だった。
「何故その御方に刀を向けている」
騎馬も武装した物々しくも鮮やかな装い。
見るからに武将級の朝比奈殿の登場に、庶子兄はぽかんとした風に口を開けた。
蹄の音が高らかに鳴り響く。
乾いた土を踏みしめ、自身の騎馬隊よりはるかに多い兵士の群れに遠慮もなく踏み込んだ。
騎兵の背負う旗指し物は、鮮やかな白地に濃紺で染め上げられた「丸に二つ引両」。
仮にも幕府軍を名乗るのであれば、おいそれと弓引くことができない紋だ。
朝比奈殿が正面に打ち立てる今川の家紋は、足利将軍家と同じものだった。
今川家はそれが許されるだけの名門であり、足利将軍家の血筋が絶えれば吉良家、吉良の血筋も絶えれば今川家が将軍位を継ぐとまで言われている。
もちろん足利家の血筋も吉良家の血筋もかなりの人数がいるので、実際に継承権があるわけではない。
勝千代的には、単なる権威付け、墓の家紋が知人と一緒だった程度の認識だが、この時代ではもっと重要な意味を持つ。
穏便に兵を進める事が出来なかった朝比奈殿は、なるほどその権威を利用して、戦う意思はないという意味を込め寡兵で下京にやってきたのだろう。




