21-7 下京 和光寺6
細川京兆家の軍勢が上京に攻め入った。
それは、雑兵たちが仏罰騒ぎを起こしてからきっかりと二日後の出来事だった。
興如が細川管領殿の軍だけをそのターゲットから外したとは思えない。
恐らくは、騒ぎは起きたが強引に軍を動かしたのではないか。
どこの勢力も様子見の中、果敢な行軍は間違いなく周囲の意表を突いた。
その瞬間、「もしかして」と疑惑を抱いた者も多いだろう。
一斉に起きた仏罰騒ぎを、どこの策かと警戒していた中でのこの動き。その元凶が細川管領だというミスリードにつながるはずだ。
興如がここまで考えて騒動をコントロールしたのかどうかはわからない。
もしそうなら、ますますあの老練な僧侶にたいする警戒を深めなければならない。
勝千代は段蔵からの報告に顔を顰めた。
上京に細川家の旗が掲げられたのは、六角軍が山科での出来事にいまだ混乱している最中のことだった。
一気に攻め込み、一気に囲んだ。
その兵の半数以上が細川京兆家のものではなく、山名をはじめとする山陰方面の武家のもので、厳密に言えば連合軍といったほうがいいかもしれない。
だが御所があった跡地に高々と細川家の旗を掲げ、そのまま叡山方面にも布陣したというのだ。
比叡山には、帝と東宮が避難なさっている。
まさか帝に直接弓を引くようなことはしないと思うが、武家の戦の渦中に巻き込もうというのか。
将軍宣下を受けていない義宗殿への、露骨なまでの先制だ。
管領殿に足利の血筋という手札がないのは痛いが、今はおらずともすぐに探して連れて来るだろう。
断固として、伊勢殿が担ぐ義宗殿の正統性を認めない構えか。
上京と阿波軍に挟まれた形になって、朝倉は即座に動いた。
とりあえずは上京を取り戻そうというのだ。
戦の準備で物々しい空気になり、町の中央部分からは外れた廃寺の周辺まで騒ぎが伝わってきている。
上京を押さえた細川京兆軍がこのまま下京まで攻め込んでくることはないと思う。
伊勢六角軍だけならまだしも、強壮な朝倉軍が待ち構えているからだ。
つまりは攻め手が朝倉軍、受け手が細川京兆軍だ。
今まさに、京の都で大きな戦が起ころうとしている。
「……さて、困った」
勝千代はそう呟いて、癖で皺を寄せてしまっている眉間を擦った。
今川の五千の軍勢は、おそらくはあと一日ほどのところにいる。
援軍ならまだしも、敵か味方かはっきり立場を示していない五千の兵だ。今のこの状況下で下京に入れるとは思えない。
この戦が一日で片が付くだろうか。
始まってしまえば決着がつくのは早いだろうが、最速だったとしても開戦は明日の朝になる。
計算上、今川軍が到着するのは戦の真っただ中だ。
朝倉軍が優勢ならば、このまま様子を見てもいいだろう。
問題は、どう見ても劣勢だということだ。
時を合わせて阿波軍が上がってくれば、挟み撃ちになる。
それが分かっているから、朝倉は間を置かず上京を攻めようとしているのだ。
「朝倉優勢に賭けるのはかなりの博打だな」
そう言って、並んで軒先に控える二人の忍びを横目で見た。
段蔵は地味な武家の装いをしていて、相変わらず背筋が定規を入れたようにピンと伸びている。
弥太郎はいつもの穏やかな薄笑いの表情で、微妙に小首を傾げて勝千代の話を聞いている。
この二人が並んでいるのを見るのも久々だ。
ふと、父ならどうしただろう……と思った。
猪突猛進の父だから、身を隠すとか軍に紛れるとかそういうことは考えず、手ずからかついででも皇子を下京から逃すだろう。
乳母殿たちの意見も聞きつつ、可能な限りご負担のない移動をと考えていたが、迷って時期をうかがっているうちに、逃げ場がない状況に陥ってしまう可能性が高くなってきた。
いっそもう、開戦と時を合わせて脱出するか?
「若!」
田所の、珍しく焦った声が本堂の方から聞こえてきた。
勝千代は井戸端でひしゃくを握ったまま、さっと後方を振り返る。
その声の調子だけで、何かよくない事が起こったのだとわかった。
皇子の容体が急変したか、乳母殿がまたパニックをおこしたか。
敵襲ではないとはわかっている。段蔵も弥太郎も黙って座ったままだからだ。
勝千代は大急ぎで本堂まで駆け戻った。
すぐに、その場に漂う血の匂いに気づいた。
「面目御座らぬ! 樋箱を使いたいと申され、ほんの少し目を離した隙にっ」
そうくぐもった声で言うのは、半身を真っ赤に染めた土居侍従だ。
切り付けられたのは顔で、額から頬まで斜めに一筋、出血が多く派手に血が飛び散っている。
勝千代は隠し部屋を覗き込み、隅に横たわっていたはずの皇子の姿がない事を確かめた。
「乳母殿ですか?」
「はい。あと侍従の男がひとり。皇子をあろうことか俵の様に肩にかつぎ……」
勝千代は他にも数人いる怪我人に目をやる。真っ先に追いかけてきそうな土居侍従と護衛の者を選んで切り付けている。
うちの連中に手を出さなかったのは、単に上の本堂にいたからか。あるいは、そうなる瞬間を狙ったのかもしれない。
信頼されていない事はわかっていた。
それが、土居侍従に切りつけるほどだとは思ってもいなかった。
このような場所に留まることを良しとせず、皇子を連れて、隠し通路から逃走をはかったのか。
「追え」
勝千代が命じると、田所が「はっ」と応えた。
「五分五分で抜け道の先に伊勢殿の手の者がいる。追いつけないようならいったん引け」
どうやってか外と連絡を取ったのは、おそらくは皇子を担いでいるという侍従だ。




