2-6 下京 宿6
勝千代が更に言葉を続けようとしたとき、まるで計っていたかのように、意図していない方向に事が動いた。
それはさながら、進もうとしていた道を急に遮られたような、違うルートに無理やり押し込められたような、いうなればガチャリと目の前で線路が切り換えられたような感覚だった。
一番近くにいた三浦兄が勝千代の身体を強く押した。
抱き留めたのは木原だ。
階段を降り切ってはいたが、その際に立っていたので、不用意に転べば怪我をしかねない。三浦がそんな事に気づかないわけがない。
足が浮いて、木原に抱きかかえられているのだと気づいた時には、大勢の肉壁の最奥にいた。
「な、なんだ?!」
驚愕の声を上げたのは、寸前まで赤黒い顔で怒鳴っていた扇屋だ。
「なっ、なにをする!」
一介の商人の叫び声を気にかける者はいなかった。
勝千代同様突き飛ばされた扇屋は、上がり框の角に腰を打ちつけ悲鳴を上げ、更に容赦なく組み伏せられて動けなくなった。
一瞬にして、宿屋の玄関口は物々しい装束の武士たちに埋め尽くされた。
後から考えると、これだけの人数が押し入ってくるのは動きが阻害されるから合理的ではないとか、むしろ敵味方がわからなくなって不利だとかわかるのだが、その時は心の準備などしていなかったので、ただあっけに取られて見ているしかなかった。
その場には、福島家の者たちは十人もいなかった。
混戦になった場合の同士討ちを考えての配置だったのだと思う。
だが、入り口の狭さとか人数とかまったく考慮せず、ぎゅうぎゅうと押し込むような勢いで彼らは突入してきて、刀を抜く空間的余裕すらない有様だった。
「……っ! これはどういうことですか!」
昨日松田殿と連れ立ってきた役人が、大声で怒鳴る
……敬語だ。
その事に気づいた時、勝千代の頭が活動を再開した。
上位の役人である彼が、敬語を使わざるを得ない相手。つまりは幕府のさらに上の立場の者がここにいるのだ。
勝千代は、己を強くホールドしている木原の腕をタップした。
木原がようやく強く拘束しすぎていることに気づいてくれて、若干腕の力が緩む。
しかし、両足が浮いているのはそのままで、護衛たちの肉壁が退くこともなかった。
福島家の者たちは宿屋の番台のほうに追いやられ、危害を加えられるという事はなかったが、状況が若干落ち着いて、何がどうなっているのかわかるまでその場から避難することもできなかった。
「湯浅殿!」
人数が随分とはけてきて、小柄な勝千代の目にも、土間に押さえつけられている役人たちの姿が見えてきた。
扇屋同様、後ろ手に拘束され、うつ伏せ状態だ。
「湯浅殿!」
役人の男が、こんな状況にもかかわらず強気な口調なのは、己がこのような扱いを受ける謂れはないと思っているからだろう。
まあ確かに、この男自身何か悪事を働いたわけではない。
だが、彼を見下ろす武士たちのリーダー格の男はまったくもって無表情、むしろ冷淡な表情……いや、険悪さをも含んだ目つきだ。
湯浅と呼ばれたその男は、わかりやすく周囲よりもきちんとした身なりをしていて、なかなかの洒落者だった。
金糸交じりの布地の装束といい、身分は高そうだ。
容貌も特徴的で、顔の下半分は整えられた髭、頭部はその……上の半分以上がつるりとしていて、下半分だけ伸ばして後頭部で髷を作っている。
背が高く顔の造作自体も整っているので、髪があろうがなかろうが見栄えがする男なのだが、頭頂部分のテカリ具合が非常に残念な……いや、烏帽子で隠している者が多い中、思い切りが良くて好きだぞ。うん。
「そのほうら侍所の役人が、悪徳な商人と結託して強請りたかりを働いておるという噂は聞いておった。よもや箕面殿が」
嘆かわしい、という太い嘆息とともにそう言って、湯浅という武士は左右に首を振った。
「町衆の寄り合い頭が駆け込んで来なんだら、どうなっておった事か」
湯浅のやけに目力の強い視線が、勝千代の方を向いた。
……それだけで、察してしまった。こいつ、見張っていたもう一方か。
町衆云々は嘘だろう。
そして湯浅は、悠然とした足取りで、肉壁の隙間から覗き見ていた勝千代の前までやってきた。
「修理大夫様よりお話は伺っております。お初にお目に掛かり申す。湯浅甚右衛門に御座る」
これも絶対嘘。
修理大夫というのは、御屋形様の事だ。
勝千代が知っている限りだが、体調を崩されてからずっと、上洛はしていないはずだ。
病に伏せる前に勝千代の事を話したとは思えないし、この男が駿府の今川館にまで赴いたとも思えない。
湯浅はやけに仰々しい仕草でその場に片膝をつき、頭を下げた。
「このような騒ぎに巻き込まれ、さぞご不安でしょう。手前どもの主が是非にも屋敷の方へお招きしたいと申しております。下京の宿などより安全にございますよ」
「湯浅殿!」
再び箕面が声を張った。同時に呻き声も聞こえてきて、勝千代の位置からは見えないのだが、より強く押さえつけられたのだろう。
もちろん、勝千代の中で、湯浅に対して信頼する気持ちなどはない。
十中八九、この男の主というのは伊勢氏だ。
のこのこと連れて行かれた先で、庶子兄と対面するのか? あるいは邪魔者だと排除されるのか?
伊勢殿が勝千代の事をどう考えているかは定かではないが、味方だと思える要素は皆無だった。




