21-2 下京 和光寺1
この時代に来て、初めて下京を目にしたとき、かつてを知る勝千代の目には随分と貧相でこじんまりした町に映った。
言うなれば小京都。地方にある京と称する古びた造りの、一区画だけある町並みのような。
街灯もなく、まだロウソクが贅沢品なので提灯などの光源もなく、建物によっては火災の痕跡である黒い煤を着けたままのものもあり、どうしても全体的に寂れた雰囲気に見えてしまう。
だが人の量はさすがといえた。
地方からやってくる雑多な職種の者たちが、まるでお祭りの縁日を冷やかす塩梅で、下京の商店街を練り歩く。
ほんの十日ほど前までは、その雑踏的な賑やかさが下京の日常だった。
人目を避け潜り込んだ下京の大通りは、打って変わって閑散としていた。
人通りがないわけではない。
だがその者たちは旅人ではなく、華やかな装いの商人でもなく、ジャラジャラと武骨な鎧を身にまとい、長槍や刀を手にした武士たちだ。
賑やかに人を呼び込んでいた商店は暖簾を仕舞い、厳重に扉を閉ざしている。
町衆たちがその奥で息を殺しているのか、既に避難したのかはわからないが、武士たちが物々しく横行する通りに町人たちの姿はない。
勝千代は弥太郎に促され、通りを足早に横切った。
これだけの兵士が町を闊歩していれば思うようには進めない。
普通に行けば数十分の距離なのに、町を囲む土塁の内側に入ってから既に倍の時間が経過していた。
子供が暢気に出歩いているような状況ではないので、ちんまいのが一人いるだけで目立つのだ。十名ほどの刀を握った男たちを引き連れていればなおの事。
忍びの一人二人ならば隠密行動が可能でも、勝千代を含めた十数名が完全に人目をさけて進むのは非常に困難だった。
通りを行く武士たちの目に止まれば、誰何され、身分と名を問われるだろう。
伊勢系の出自なので、すぐに切り捨てられるようなことはないと思うが、勝千代にとって今の下京は安全とは程遠い。
事情が事情だけに、彼らの注意を引くわけにはいかなかった。
倍の時間どころではない。
昼過ぎに伏見を出たのに、すでに夕刻が近くなっている。
目的地に到着できたときには、太陽の位置はすでにかなり低くなっていた。
「若」
約束の場所で待っていた田所が、こちらを見つけて安堵した表情になった。
忍びを介してやり取りはしていたが、無事な姿を見るまでは不安だったのだろう。
「御自らこのような場所にこられずとも」
北条主従含め、皆に言われた台詞を田所もまた口にする。
それについて毎度返す言葉は同じだ。
「今行かずにいつ行く」
今川軍が下京に来たとき、何かが起こったとすればそれに対処できるのは勝千代だけだ。
もちろん朝比奈殿の指揮系統に口を挟むつもりはない。朝比奈殿に万一のことがあった場合、井伊殿が指揮を受け継ぐ前にいちゃもんをつけて来そうな連中を押さえる事が出来る、という意味だ。
遠江衆であれば、大きい顔をしている文官どもよりも、勝千代に従ってくれるだろうという打算もあった。
案内されたのは小さな古い寺だった。
京の町中にあるにしてはあまりにも小さくて、掘っ立て小屋かと最初は思った。
これでも一応は真言宗の寺らしい。
「御容態は?」
どこからどう見ても廃寺なその境内に足を踏み入れながら、先を行く田所に声を掛ける。
あまりよくはないと聞いているが、実際はどの程度なのだろう。
今の時代にはもちろんレントゲンなどは存在しないので、ただ「痛い」と言ってもそれが深刻なものなのか時間経過で良くなるものなのかの判断は困難だ。
特に相手は数え六つの幼い子供なので、痛みの性質を具体的に伝えるのも難しいのではないか。
京のこの状況では、ほんの些細な切っ掛けで今すぐにも戦場になるかもしれず、そうなれば廃寺であろうと戦火に呑まれ、安全に身を潜めているわけにはいかなくなる。
そうなる前に、下京から避難できればいいのだが。
古びて煤けた境内の裏手に回り、長年使われていない風な物置小屋に入れと言われ、先に立った田所が振り返った。
「皇子はともかく、乳母どのがちょっと」
気位の高い女性なのだろうか。
武家を見下す公家は少なからずいるが、今のこの状況でそういう感情を持ち出されるのは厄介だ。
「お気を付けください。我らが近づこうものなら湯呑みやら脇息やら投げてよこします故に」
田所の表情は、腹を立てているというよりも苦笑、あえて言うなら呆れだろうか。
「お付きの御殿医殿のみしか皇子には近寄れません」
なるほど、気位が高いというよりも、過剰なほど皇子を守ろうとしているのか。
「皇子は今すぐにも下京を出て、帝や母君の元へ行きたいと仰っておられます。乳母殿はそれに危ういと反対し、御殿医殿も今しばらくは安静になさるのがよいと」
「下京が戦場になりそうだとはお伝えしたか?」
「我らとはまともに会話にならぬのですが、土居侍従殿が何とか宥め、権中納言様の元へ参るのであればと避難に同意は得ております」
日焼けしたその顔が、いかにも疲れ切った様子だったので、それほど難しい乳母殿なのかと身構えていたのだが、案内された先にいたのは物凄く年若い、下手をしたら十代半ばの、いまだ少女が如き女性だった。




