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春雷記  作者:
京都編

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19-5 山科 本願寺4

 素直に歩いていたから、納得していると思っていたわけではない。

 証如の表情が次第に強張っていくのに気づいていたし、落ち延びる事に否定的なのは最初からわかっていたので、一度は逃げようとするだろうと予測はしていた。

 だが永興がいなくなってから、面と向かって「やはり行く訳にはいかぬ」と言われても、こちらとしては「そういうわけにもいかない」としか返答のしようがない。

「そのほうならば、逃げるのか」

 真顔でそう問われて、苦笑する。

 高天神城が囲まれて、明日をも知れぬ状況になった時、父に「落ち延びよ」と言われたとしても拒否するだろう。

 とはいえ、託された方としては、そうですかと手を離すわけにはいかない。

「我々は頼まれ、引き受けただけです」

 厳密には、勝千代の案通りに動くという「約束の対価」だ。

 本願寺派にどこまでの影響力があるかは定かではないが、雑兵のボイコットは多少なりと足かせにはなるだろう。全軍を引かせることができるかについては、まだどうとも言えないが……


 勝千代は少し考え、「ではこうしましょう」と言葉を続けた。

「山科が見渡せる地点で、事の推移をしばらく見守りましょう。興如様はすぐにも動かれると仰っておいででしたから、この先どうなるかの予想は出来ます」

 勝千代が譲れるのはそこまでだった。

 時間にして数時間が限界だ。こちらの存在に気づかれる前に撤退するつもりだし、そうなった場合は秘儀「抱っこ移動」を証如にも味わってもらう。


 ここで押し問答している暇はない。

 証如の苦情も意見もさらっと聞き流し、勝千代はがっつりとその手首を握った。

 そして抵抗される前にと強く手を引き、暗がりにぽっかりと口を開けた闇の階段へと歩を進める。

 ぎょっとしたのは石川親子だ。不敬と咎められるかと思ったが、見た目的には似た年頃の少年二人が手をつないだだけである。結局何も言わない事に決めたらしい。


 年代が古そうな階段の先は、まったく見えない。松明を持った土井がその明かりを向けても、見えるのは闇の突き当りだけで、階段はまだ深く続いている。

 勝千代自身、大丈夫だろうかと不安だった。

 古い建造物ならば安定しているのだろうし、崩落などの恐れはないと信じたいが、まったく先が見えないこの暗さが不気味だ。

 なおも渋り、その場から動こうとしない証如をちらりと見て、「怖いのですか」と笑ってみた。

 怖いんだろう? だから行きたくないと言っているんだな。

 そう匂わせるだけで、プライドの塊のような少年がキッと眦を釣り上げる。

「怖いわけはない!」

「そうですか、ならば参りましょう」

 勝千代たちは、大人五人ほどが階段を降り始めるのを見送ってから、促されてその狭い入り口をくぐった。


 全員が階段に踏み入れたところで、背後で入り口が閉められた。

 抜け道が発見されないように、床板が戻されたのだ。

 それは初めからわかっていた事なのに、一気に閉塞感が増して息が詰まりそうになった。

 勝千代は証如の手首を握る手に力を籠め、一瞬背後を振り返ってから無言で足元に意識を集中した。


 いや、怖いって。

 アトラクションのお化け屋敷って、脅してくるのが分かっていて、相手も人間だとわかっていても怖いだろう? 

 ここはそれよりもっと本格的な、さながらリアルダンジョンのような様相だった。

 まず暗い。ものすごく暗い。

 しかも足元が湿っていて滑りやすい。

 鼻腔を突く土と苔と墨汁のような水の匂い。真冬でもないのに震え上がるほどに冷たい空気。

 何もかもが、現実離れして恐ろしい。

 昔から、ジェットコースターに並んで苦手なのがお化け屋敷なのだ。

 ああ、このまま階段が崩れて閉じ込められたらどうしよう。


 この階段はどこまで続くのか、永遠ではないのか。

 長い下りにそんな危惧を抱いていると、握っていた手首がぶるぶると震え始めた。

 むしろ崩落や脅かし要素に身構えている勝千代と違って、迷信が信じ込まれているこの時代、闇の奥は恐ろしいものだ。

 勝千代は強く証如の手首を握った。

 少年の恐怖が、少しでも和らいでくれると信じて。

 お化けよりも人間の方が恐ろしいのだと、その持論を変えるつもりはない。

 もっと恐ろしいのが災害で、この古い抜け道が崩落する可能性については……あえて口にするべきではないのだろう。


 どれぐらい下っただろうか。

 暗いし滑るので、皆慎重に足を進めており、実際にどれぐらいの距離、深さを下ったのかは定かではない。

 体感的にはかなり深くまで降りた。

 壁に手を突かねばならないほどの急角度ではないし、そもそも本願寺は盆地の中央の平野の部分にあるので、技術的にも地中深くという事はないのだろう。

 あるいは、天然の洞窟や岩の裂け目を利用した造りなのかもしれない。だとしても、地下百メートルなどという事はないはずだ。

 ただ一本道の階段を下りて行く。まるで黄泉平坂のようだと感じているのは、おそらくこの場にいる全員だろう。

 最初はその音を空耳ではないかと思っていた。

 吹き上げてくる風の音が大きいので、音で察するより匂いのほうが先に来た。

「……水?」

 勝千代が思った事と、三浦もほぼ同時に感じたらしい。

 これまでの、苔に染みた水の匂いではなく、もっとはっきりとした水辺の匂いがした。

 耳をすませばチロチロではなく、けっこうな水量で流れていく音も聞こえる。


 やがて、階段が突き当たった。

 土井の持つ松明が、高く掲げられ行く手を照らす。

 そこは畳二十畳ほどの平らな岩場で、きらりと照らされた先には反射する何かがあった。

「……地底湖?」

 勝千代が見ているのは、天然の洞窟にできた地下の湖だった。

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