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春雷記  作者:
京都編

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18-5 伏見 争乱5

「お勝殿」

 京訛りのイントネーションで呼ばれて、そう言えば久々だと思いながら振り返った。

 東雲は普段の真っ白な装いではなく。珍しく紺色の狩衣を身にまとっていた。

 暗がりに濃い色の装束だと、まるで別人のように見える。

 いつもは貴公子然としているその表情は険しく、ここ数日見かけなかったのは何かしていたからかもしれないと思い当たる。

 もしかして、独自に下京へ行ったのか?

 東雲には鶸をはじめ複数の影供がついているので、伏見や京を出入りする事はそう難しくもないだろう。

「どこかへお出かけでしたか?」

 子供が大人のすることに口を挟むわけにはいかない。

 勝千代がそう問いかけると、東雲は険しい表情のまま小さく頷いた。

「付き合いのある者がまだ逃げ遅れとるようやと聞いてな。その途中で土井侍従と……に御目にかかったのや」

 明るさの足りない廊下なので、東雲の表情は読み取りにくい。

「場所をかえましょう」

 ゆっくりしている時間はなかったが、詳しい話を聞かなければならない。


 皇子についての最終の報告は、小さな寺の住職の住まいで匿う、というものだ。

 真言宗の寺で、普段から人員も少なく、古いので参る者もほとんどいないのだという。

「御容態の方はいかがでしょうか。動かすのは危ういのだろうとは思うのですが」

 座って話す時間的余裕はなかったので、中庭に面した回廊の、盗み聞きしにくい場所で改めて顔を見合わせる。

 月明かりに照らされた東雲の顔は、ひどく疲れ切っているように見えた。

「そうやな。しかしご本人がどうしても下京には居られへんと言わはって、お止めする侍従らをえろう困らせてはるようや」

 鶸に抱えさせて、伏見に連れてくることも考えたという。

 だがまだ熱も高く、痛みも強いので、せめて後十日は動かせないそうだ。

 その、あと十日と東雲に言ったのが御所の御殿医だろうから、甘めの日程を言っているのだろうが、小さな子供がこれ以上の苦しい思いをするのは勝千代とて本意ではない。

 やはり、火事などが起こるか、本格的な戦が京の町中で起こるかするのでない限り、現状維持するしかないか。


「わかりました。一番の考慮すべき点として頭に入れておきます。私たちはすぐに出ますが、権中納言様にご伝言頂けますか?」

「出かける? このような時間から?」

 勝千代は明言するのを避け、小さく口角を上げた。

「大規模な戦が勃発した場合には、多少無理があろうと皇子を下京から連れ出します。そうなった際には、権中納言様も伏見を離れ、京街道でも川でもなく、大和街道方面に逃れてください。それまでは、北条が盾になるので伏見にいるのが安全です」

「大和街道」

「皇子をお連れする先として、川で移動できないほどでしたら大和の山中の寺を隠れ家にする予定でいました」

「興福寺か」

「いいえ。ですが追っ手はその名を連想し躊躇うでしょう」

 一般教養的に知っているべき事なのかもしれないが、「興福寺」なる勢力について学校で学んだ記憶はない。法相宗というのだそうだ。

 宗教に興味がない現代人にはわかってもらえると思うが、仏教は仏教という認識しかなかったのだ。

 だがこういう時代においては、まるでヒンズー教と仏教とゾロアスター教のように、それぞれの宗派はまったく独自の、独立した別の国家の如き価値観で互いを見ている。

 そんな中、平安後期から一大勢力を築き、室町末期に至るまで大和の国の実権を握ってきたのが興福寺だ。

 今はかつてほどの勢力はないようだが、大和の人々の心の中にはしっかりと受け継がれているのだそうだ。

 そして、こういう過去の成功例があるからこそ、何年後かの本願寺も独自の国を持とうとするのだろう。


 勝千代は権中納言様の事を東雲に託し、当初の予定どおりに伏見を出た。

 気を付けないと、出た先から狙われる、あるいは不審者として捕らわれてしまう。

 そのあたりは、索敵担当の弥太郎もいるのでそれほど心配していない。

 人数も、目立つわけにはいかないので十人に厳選した。

 今回逢坂は居残り組だ。不満そうだったが、逢坂老にはここ伏見でやってもらいたい仕事がある。


 真っ暗な道なき道を、月明かりだけを頼りに進む。

 先頭を行く土井が草を踏み、残りの全員がその踏み跡を黙々と辿っていった。

 空気はひんやりと冷たく、風の音と草を踏む音だけが聞こえてくる。

 もちろん徒歩での移動だ。

 今度ばかりは、勝千代の足の進みが遅くなったら担ぎ上げて運ぶようにと指示している。

 時間がないのだ。


 月の光は明るいが、闇をほのかに照らす程度だ。

 満天の星空も明るいが、空を華やかに彩るだけだ。

 草むらから見回す世界は暗く、足元も定かではない。

 かつての世のようにアスファルトなどなく、道らしい道すらないので、普通に木の根が盛り上がっていたり岩が土から顔を出していたりする。

 それに足を取られないよう気を付けながら、ただひたすら前を行く者の背中を追った。


 不意に、先頭の土井が足を止めた。

 勝千代を守る者たちが身構え、息を殺す。

 彼らが何に警戒したのか、勝千代にもすぐに分かった。

 どこかの兵が数十名、物々しい鎧兜をガチャガチャ鳴らしながら近づいて来たのだ。

 松明も持っていないので、見回りではない。

 それほど他陣営に近づいていたわけでもない。

 何者か、と目をすがめていると、ガシャンと首をすくめたくなる音がして、武装したひとりがその場で転んだ。

「なにしとる!」

 独特の、どこのものかわからないイントネーションで鋭く叱責する声が聞こえた。

 その潜めた声の具合からも、彼らが隠密行動中なのだとわかる。

「……朝倉軍ですね」

 こそっと耳元でささやいたのは三浦兄だ。方言からあたりをつけたのだろうか。

「通り過ぎるのを待ちましょう」

 こんなところで見つかるわけにはいかない。

 だがそれと同じぐらいに、彼らが東山のふもとで何をしているのか、ものすごく気になった。

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