2-4 下京 宿4
調べればすぐに事実関係がわかった。
半日で調べがつくようなこの問題を放置している理由について、理解できなくはないが納得はいかない。
いい大人が山ほどいて、防げないものか。
止めようという気がないからではないか?
下級武士や商人の子供など死んでも良いと? ゴミ屑のように河原に捨てられて、「気の毒に」で済ませるのか?
腹立たしいのと、口惜しいのとで言葉にならない。
子供は愛され、守られるべきだ。どのような生まれ育ちであろうとも、無条件に。
だが同時に、己が背負っているものを思えば、下手に声を上げることもできないのは理解できる。
これまでこの問題が放置されてきたのは、そもそも取り調べる者がいないという理由以外にも、そういう「大人の事情」が絡んでくるのだろう。
どんなに恐ろしかっただろう。死んでいく瞬間、どれほどの苦痛を感じていただろう。
子供らの親は、哀れな姿になり果てた子を見て、今勝千代が感じていることをもっと切実に思ったはずだ。
それなのに、いまだにこの問題は解決に至っていない。
公に声を上げる者すらいない。
そこにあるのは、「大人の事情」「権力者への忖度」だ。
ヨーロッパでさえ、こういった事が問題視され、市民階級が力をつけてくるまでには、二百年以上待たなければならない。
今のこの戦国の世には、そもそも人権などという言葉すらないのだ。
何とかしたいと思うほうが奇特で、関わり合いになるべきではないという考えが順当なのだろう。
理解はする。今のこの状況に至っている理由を、察することもできる。
だがしかし、どうしても納得はできない。
「……それで、扇屋はわたしをその「御方」に売りはらおうとしているのか」
勝千代のやけに平淡な口調に何を感じたのか、弥太郎が言葉に詰まった。
この男にしては珍しい事だ。
探るように見つめられて、内心の怒りを念入りに胸中に押込める。
「そもそも扇屋が「その御方」とつながりがあるというのもおかしな話だ。どこでつながっている?」
怒りは、合理的な行動を阻害する。
福島家どころか、今川家にすら口を出せる権力者にかかわるのなら、些細な口実も与えるべきではない。
弥太郎の見解では、昨今の子供を誘拐する際の実行犯的行動をとっているのが扇屋ではないか、ということだ。
確かに、大っぴらにはできない事だ。武士が直接手を汚すのではなく、そういった輩に頼むというのは頷ける。
「勝千代様」
弥太郎が、考え込んでいる勝千代の名を窘めるように呼んだ。
「まさかとは思いますが、御自ら危険に身をさらされるようなことは……」
あっさり内心を読まれて目を逸らせた。
「わかっている。そのような事はしない」
扇屋が勝千代を狙っているというのであれば、それに乗ってやるのも手かと思った。
大元の相手が相手なだけに、即座にその考えは捨てたが。
「父上や御屋形様にご迷惑をおかけするわけには参らぬ」
「御迷惑かはさておき、さぞ御心配なさるでしょう」
勝千代は、港で叔父たちに両腕をつかまれていた父の姿を思い出した。
最後まで京に同行すると言い張って、見送りの際には子供のように不貞腐れていた。
そうだな、京へ行くことを不安視していた父を、これ以上心配させるわけにはいかない。来年からの京行きに反対されても困るし。
手の中で冷めてしまった薬湯に目を戻し、口をつける。
もはやこの苦みにも慣れてしまった。苦みが薄いと不安にすら感じるぐらいに。
湯呑みの底が見えるまで一気に飲み干し、ひと息つく。
「お止めしようとすればできる立場にいて、それをしない理由は何だと思う」
勝千代は湯呑みを弥太郎に返しながら問うた。
「さあ。難しい事でもないように思えますが」
「理由があるにせよ、気に入らぬ」
漠然と、おもちゃを与えておけば大人しくしているだろうと、そんな風に考えているのではと想像する。
室町幕府が権威を無くし、代わりに後見役の管領やその周辺が実権を握ってずいぶんになる。
現在の将軍は、数えで十五、六と年若い。在位は約五年だが、年齢からもわかる通り実権はなく、武家としての存在感などほぼ皆無な方だった。
噂によると病弱で、刀を持つより筆を持つことを好む方だと聞く。
そう、水干姿の子供を絵姿に写し、それを終えると何が気に入らないのか切って捨てているのは将軍様ご本人だというのだ。
にわかには信じられない話だった。
だが実際、将軍の側近くに仕える小姓たちには生傷が絶えず、女中らも側に寄りたがらないという。
その噂が広まっていないのは、他にも数多くの眉唾物の話が流布されているからで、思うに何者かが意図的にそうなるように仕向けているのだろう。
そんな事をするぐらいなら、そもそも子供をお側に上げなければよい。
誘拐までして「おもちゃ」を与えるから、こんな目も当てられない惨事になるのではないか。幽閉なりなんなりして行動を規制すれば、哀れな犠牲者も減るだろうに。
勝千代でなくとも、そう考える者は多いだろう。
だがおそらく、それができる立場の者は傍観し、側に仕える者はひたすら将軍家を守ろうとしているのだ。
勝千代は苦い表情を取り繕うことなく、指示を待つ弥太郎を横目で見た。
権謀渦巻く京の地で、地方の一武将の子供にできることなど高が知れている。
実権がないとはいえ、武家の最高位にある将軍を相手に、何ができるというのだろう。
だが、ここまで知って見ないふりをすることはできなかった。
何よりも、死んでしまった子供、これから死ぬかもしれない子供の事を思えば、放置するわけにはいかない。
「監視はあるか」
「はい。扇屋のものと……あと二か所ほど」
一か所は松田殿のところだろう。もう一か所は……伊勢氏か。
勝千代を見張るぐらいなら、子供を誘拐するような輩をさくっと罰して欲しいものだが。
「扇屋は潰す」
まあ、扇屋をつぶしたところで、かどわかし事件がなくなるとは思えない。
子供の一人二人攫うことなど、今の京でそれほど難しい仕事でもないからだ。
だが、当面の時間稼ぎにはなるだろう。
「……こちらが動いていることを何処にも気づかせるな」
京に滞在できるのはあと八日。
それだけの日数で片を付けるには、余計な邪魔の相手をしている暇はない。




