17-2 伏見 宿2
すいません! 寝てしまっていて、自動投稿できていないことに気づけませんでした!!
「それでは、行ってまいります」
にこやかに笑っているのに、爽やかさではなく胡散臭さを感じる男が頭を下げた。
平凡顔は見慣れても平凡顔なのに、何か特別なものはないかと二度見どころではなく何度も見つめてしまう。
勝千代は、居並ぶ者たちにもひとりずつ目を向けながら、小さく首を上下させた。
「頼んだ」
今回動くのは武士ではない。
佐吉と並んでいるのは屈強な者たち。日向屋の腕自慢の手代たちだ。
見るからに体格の良い、武士とも遜色ない連中だが、頼み事にそれは関係ない。
彼らが武士ではないからこそ、できる仕事だった。
「こちらとしても助かります。下京の物資が不足しているのは確かですので」
佐吉の細い目が緩やかに弧を描き、本心から喜んでいるように見える表情を刻む。
勝千代が思いついたのは、困窮している避難者たちへの救済だった。
焼け出された上京の人々は、下京の町衆有志に助けられ、避難生活を送っていると聞く。
だが下京の物価は高騰し、米の入手ですら困難なのだとか。
公家や他の身分のある者たちでさえ、負傷しても碌な手当ても受ける事が出来ず、いつまで続くかわからない飢えに苛まれている。
伊勢殿にしてみれば、公家であろうが地方の名家の者であろうが、等しく掌に握った人質のはずだ。
もちろん皇子と小国の国人領主とではその身に負う価値が違うのだろうが、駒は駒。
死んでもらってはもちろん困るが、飢えて弱っていてくれるのは都合が良い。
彼らは何を思い、今のこの状況をみているだろう。
まず間違いなく、伊勢殿への不信は増しているはずだ。
火事は仕方がないことだとしても、いつまでたっても京の封鎖がとかれることはなく、まともな医者に診てもらう事もできない。
忸怩たる思いでいるだろう。
その怒りを、いい塩梅に表舞台に上げてやる。
日向屋が足りない食料をもって京入りし、困っている人々に配って回る。
商人でさえ、これだけの量の米を持ち込むことができるのだと皆が知るだろう。
では何故京への物流が途絶えている?
多少ものを考える事が出来る者なら、伊勢殿が意図してそうしているのだと気づくはずだ。
さあ、下京の者たちはどう動く?
佐吉らを乗せた十石舟は、ゆっくりと川を遡行していく。
舟に乗り込んでいるより大勢の男たちが、にぎやかに掛け声を上げながら綱を引き舟を川上の方向へ引っ張って行く。
綱を引く人足を用意するための費用をふくめ、この『思い付き』を実行に移すために大枚をはたいた。このまま遠江に帰るのも困難なほど懐が寒い。
失敗したらどうするのかって?
それも織り込み済みだ。
たとえば米を徴収されたとしても、そのことは速やかに町衆に伝わるようにしてある。
彼らのためにと運んできた米を、横からかっさらうような真似をされて、さぞかし腹が立つはずだ。
食い物の恨み、飢えへの恐怖は言葉で言い表せるようなものではない。
人々が立ち上がれば、個々の力は弱くとも、あっという間に万単位の兵力の誕生だ。
下京にいる者たちの数は、伊勢六角軍であっても簡単に制圧できるものではない。
一人一人の力は弱くとも、集団の暴力は正規軍ですら圧倒するだろう。
つまり、米俵の輸送に成功しようが失敗しようが、伊勢殿の足元はぐらぐらと大いに不安定に揺れる事になる。
「本当にいいのでしょうか」
不安そうにそう問いかけてくるのは三浦兄だ。
伊勢殿の足元を揺るがす真似をしようとしているのが心配なのだろう。
だがなに、あくまでも日向屋の善意の行動だ。責められる謂れはない。
それこそ、佐吉の得意分野のはずだし。
「これで人目は分散されるだろう」
宿へと引き返しながら、勝千代は静かに言った。
一般の者たちを対軍勢のおさえ、あるいはスケープゴートとして利用するなど、倫理的にはグレーな行為だ。
チクチクと良心が痛む。
できるなら誰にも死んでほしくはない。戦など最大の消耗戦、起こらないに越したことはない。
常々そう思っているにもかかわらず、勝千代のやっていることはその真逆を行く。
こんな時、自身がこの時代に染まってきたのだと悟らずにいられない。
今の時期の天候は不安定だ。
先ほどまではあんなにもいい天気だったのに、あっという間に分厚い雲が空を覆っている。
雷雲だろうか。
そう思っているうちに、ポツリと雫が頬に落ちた。
「雨ですなぁ」
逢坂が空を見上げながら言う。
「急いで戻りましょう。お風邪を召してしまわれます」
勝千代は頷き、宿に向かう足を早めた。
急いだが、かなり濡れてしまった。
ここから先は待ちの時間だ。
勝千代がまいた種がどう芽吹き、どう動いてくれるか。
三日ほどで結果はわかると思う。
うまく行けば、佐吉があの十石舟に皇子をお乗せして戻ってくるかもしれない。
伊勢殿が相手だ、そう簡単ではないだろうが。
だがその前に、別のものと戦わなければならなくなった。
熱を出して寝込んでしまったのだ。
こんな時にと腹が立ったが仕方がない。
この戦いは慣れたもの、対処方法はわかっている。
「お身体を冷やすからですよ」
赤い顔をして寝込んでいる勝千代の上に、弥太郎が幾重にも着物を重ねながらそう言った。




