16-5 伏見 特使5
「十日あるいは一か月ほどもあれば、症状も安定し動かせるようになるでしょう。それまでは痛みが強く、熱も上がったり下がったりかと」
無難な結論を伝えてくる池内医師は、一刻も早くこの場を去りたい様子で、早口で一気に告げた。
間違いなく湯浅は残るように言うのだろうし、北条方はいらないと突っぱねるのだろうが、そのあたりの問題は大人に解決してもらうとして……
勝千代はそんなことよりも、刺すような庶子兄の凝視をどうするか決めねばならなかった。
恨む気持ちはわからなくはない。だが、それを勝千代に向けられても困る。
亀千代が絶縁させられた時にはまだ、生まれて来てもいないのだから。
とはいえ、人間には感情があり、それがあるから争いごとは生まれる。万人が納得できる道などは理想論で、誰かが勝って誰かが負けて、どこかで恨みは蓄積していく。
我々人類は、有史以前からそうやって時を刻んできた。
だが実際に憎悪をむけられてみると、いい気持ちはしないのはもちろんのこと、その憎悪は断っておかねばならないとも感じてしまう。
そうやって、負の連鎖は続いていくのだろう。
正直気は進まない。ものすごく気は進まないが、話をしておかなければならない。
四年前に曳馬城で、今回は伊勢殿の麾下の者として、何かを画策しているらしい相手が、福島家に恨みをもって動いている。
どう考えても無視してはいけない要素だ。
その目的が自身と母とを放逐した者たちへの報復ならば、放置しておいて解決する類の問題ではない。早めの対処が必要だろう。
また数日前の嵐の夜のように、犠牲を出してしまう前に。
実質問題として、露骨なまでの憎しみの視線は、どうにもスルーすることが出来ないものだった。
このままだと伊勢と北条の間でよくない問題に発展するかもしれない。
少し離れたほうがいいだろうと、ずっと掴んでいた左馬之助殿の肩から手を離した。
そして、憎々し気な視線の主へと、まっすぐに目を向ける。
「……っ」
居住まいを正し庶子兄へむけて、場所を移そうと言おうとした矢先、離したはずの手をぎゅっと掴まれた。
目を閉じて狸寝入りしていたはずの左馬之助殿は、いつの間にかぱっちりと大きな目で勝千代を見ていた。
何をやっているのだ、この場は寝たふりをしてやり過ごすべきだ。
意識があるなら大将としてどう動くかと回答を求められるだろうし、戦働きが難しいなら指揮権を譲れと迫られる可能性もある。
北条家の方針がはっきりとわからない最中、動くに動けない状況をカバーするために重要なのは、『言質を取らせない事』だ。それは左馬之助殿自身も理解していたはず。
どう見ても、そういった身の処し方が不得手な男なのに。大人しく寝たふりをしているべき状況で、何故ぱかっと目を開けて、勝千代を見上げているのか。
「おお、左馬之助様!」
湯浅はすぐにそれに気づき、嬉しそうに声を掛けてきた。
左馬之助殿は、御大層に布を巻かれた顔をゆっくりと巡らせ、招かざる客たちを一瞥。
話しかけてくる湯浅ら特使団の面々をさっと見回して、次いで遠山を、まだきっちりと閉ざされたままの隣室に警護の兵士を潜ませた襖とを、さながら状況確認をするように目で追っていく。
「……お勝殿」
いきなり親し気に呼ばれてぎょっとした。
「後は任せる」
「は?」
「任せるから」
え? いや、なんで??
とっさに握られた手を引こうとした。できなかった。
手を離せよ怪我人。
「う、うーん」
わざとらしく目を閉じて唸っても駄目!
「いやさすがに無理がござろう」
湯浅の、ど直球の意見は正しい。
「福島殿はまだ元服も済まされておらぬ幼少、しかも他家の者ではないですか」
呆れたようにそう言ってこちらを向く。そんな目で見られても。
勝千代はなおも腕を引こうと懸命になりながら、困惑の表情でかぶりを振った。
「あ、そうだ」
左馬之助殿が再び思い出したように目を開けて、今度は明確に一点を見つめる。
庶子兄亀千代のいる方向だ。
「何日か前に、伏見に刺客を寄こしただろう? ああいうの、不愉快だから」
びっくりしたのは勝千代だけではない。そう言われた亀千代はもちろん、特使団の全員が驚愕の表情を浮かべて左馬之助殿を見ている。
「……伏見で刺客に襲われたのですか?」
「そう、お勝殿が」
身に覚えがないと言いたいらしい湯浅が、気づかわし気にそう問うと、もはや重体を装うことなど忘れているのだろう左馬之助殿が、あっさりと元気そうな口調で答えた。
駄目だろう。重傷だって思わせないと!
勝千代は思いっきりわざと、左馬之助殿の痛めている方の肩に膝をぶつけてやった。
「ううっ!」
「左馬之助殿!?」
もんどりうって激痛にあえぐその姿に縋りつくと、勝千代の手首を握っていた手が外れてもがくように宙を掻く。
「匙どの!」
勝千代の呼びかけに反応したのは二人。
もちろん池内医師は近づくことはなく、北条方の医者がにじり寄ってきた。
「湯浅殿、このような状況ですので、ご遠慮いただきたいのですが」
遠山がちゃっかりと特使たちを追い出しにかかり、左馬之助殿の盛大な苦痛の声をBGMに、しばらくして渋々と特使たちは席を立った。
結果オーライ? 北条軍の大将は重傷で動けないが、意識ははっきりしていると知らしめることができた。
ただし、妙な責任をかぶせて来られるのは困る。
庶子兄との貴重な話し合いの機会も逃してしまいそうだし。
見舞いもこれでおしまいと、勝千代も引き上げようと腰を浮かせたのだが、ニコニコ顔の遠山に立ちふさがれてしまった。
その隣では進藤が、同じくにこやかな表情で、何故かしきりに頷いている。
「まあ、もう少しゆっくりなさってください」
……まさか、帰す気はないとか言わないよな?




