1-1 下京
「お勝様、お勝様」
すたすたと歩く勝千代を、小声で呼ぶのは三浦弟だ。
「団子屋がありますよ。団子屋」
三浦平助はすでにもう二十を超えたいい若者なのだが、これまでずっと国元を出たことがなかった。
初めて見る京の風景は何もかもが新鮮なようで、しょっちゅうあれやこれやに歓声をあげている。
勝千代が京を訪れるのは三度目だった。
三河侵攻の年は長らく体調が戻らず、その翌年から、毎年桜が散るころに訪問している。
正直な感想を言うと、年々すさんだ気配が濃厚になってきている気がする。
はしゃいでいる平助には悪いが、テンションが上がるとはとても言えない。
特に感じるのが治安の悪さだ。
浮浪者も多いが、ごろつきじみた連中も多い。
特に多いのが武家で、見た所身分はいろいろだが、腰に携えた刀がいかにも物騒でいけない。中には槍を持ち歩いている者までいるのだ。物々しすぎて周囲から距離を置かれるのも無理はない。
こうやって見ると、武家もごろつきだな。
それが勝千代の正直な感想だった。
京は千年の町、美しい碁盤目状だと思うだろう?
勝千代にもそのイメージがあった。
だが実際は、応仁の乱以降、上京下京の二か所に分断され、それぞれ城砦化した双子都市のようになっている。
風流とか、優雅とか、そういうのとは程遠い。
これ以上ないほど戦国の世を感じる、物々しくすさんだ雰囲気だ。
もっと昔、平安時代はおそらく、皆がイメージするような広々とした通りの碁盤目状の街だったのだと思う。
だがしかし、現在はぎゅっとコンパクトで、火事や強盗などで荒らされた通りも多く、美しいとはお世辞にも言えなかった。
上京下京を取り囲む壁や堀が物々しく、通りや十字路ごとに作られた門とそこを守る門番たちの存在が、今が平和な時代ではないと如実に伝えてくる。
しかもその門をくぐるたびに、いくらか門兵に小銭を渡さなければいけない。
おそらくは鼻薬、袖の下の類だろうと思うが、拒否すればややこしいことになるので、通り抜ける者たちは皆素直に支払っている。
たまに、それが不服で揉め事が起きる。
武家だろうが僧侶だろうが、あっというまに町衆に制圧される。
いや、その後どうなるかは知らないよ。
騒ぎが大きくなる前に取り囲まれて、慇懃無礼に連れて行かれてしまうから。
たぶん、有名どころの武家だと違うのだろう。何か印のようなものを見せるのか、顔パスなのか、たまに丁寧な礼をされながら素通りしていく武家もいる。
もちろん、勝千代たちはその「少数」には含まれない。
地方の一武将の息子など、京の人々にとっては単なる木っ端だからね。
勝千代が滞在しているのは、下京の宿場街だ。
現在の公家は困窮しているが、町人は意外と元気で、商人などむしろ商売繁盛、派手に稼いでいる者も多い。
つまりは、上京は高貴な方々が住まう街、下京は町人の街であるが、垢抜け具合というか、復興具合というか、断然下京のほうが上だった。
故に、地方から訪れる者は下京に滞在する事が多い。
勝千代は日向屋の伝手で、その中でも比較的ランクの高い宿を借り上げ、約十日の滞在を予定していた。
「あっ、お勝様! あれは……」
「いい加減にしろよ、おのぼりさんか」
正真正銘おのぼりさんの弟に、容赦ない打擲をいれるのはその兄だ。
三浦兄も勝千代同様三度目。京の街の治安の悪さをよく知っている。
下手に目をつけられれば、犯罪めいた事じゃなくても、客引きなどの諸々でカモにされかねないのだ。
そんな彼も最初京都に来た時、美人だがずいぶん年増なお姉さんに付きまとわれ、危うく身ぐるみはがされそうになったのは……黙っておいてやろう。
勝千代は今年で数え十歳になった。
十歳といえばかなり身体も成長し……てはいないな。
数えでの十歳なので、満年齢では八つ。小学二、三年生といったところか。
……ま、まあ成長には個人差があるから。
男児は女児に比べて成長期も遅いから。
「……」
言い訳はするまい。
相変わらず同い年の子供に比べて小柄で華奢だ。体調もよく崩す。
それでも随分と背も伸びたし、骨格もしっかりしてきた。
ちなみに、幼少期に引きちぎられた生え際はまだ完全回復していない。
ちくしょう。子供だからすぐに治ると思っていたのに。
産毛は濃くなってきているから、毛根は死んでいない。いまやそれだけが一縷の望みだ。
「お勝様」
南がぐっと近づいてきた。
最近父親になったのに、今回の京行きに残るかと聞いたら絶望の表情をされたので連れてきた。
すまんな、糸。
「つけられています」
勝千代はまったく気づかなかったが、供のものたちは察知していたのだろう。
すでにフォーメーションの距離は詰められ、さりげなくだが強固な護衛体制に入っていた。
「えっ」
勝千代同様気づいていなかった平助が大きな声を上げ、挙動不審にきょろきょろと周囲を見回した。
素早く兄に肘鉄をくらわされ、慌てて口をつぐんで表情を隠す。
もうこの時代に暮らしてずいぶんになる。
初年度よりも数は減ったが、相変わらず命を狙ってくる者はいるし、そうでなくとも勝千代の情報を得ようと近づいてくる者は多い。
今回の深刻度がどれほどのものかはわからないが、この場にいる全員、平助ですらこういう事には慣れていた。
勝千代は内心嘆息しながらも、「そうか」とだけ答えて足を早めた。
大人並みとは言えないが、それなりの速足だ。
それでも、せわしなく人通りの多い京の街で目立つことはない。
物騒な世の中、物騒な時代だ。