目のないお面
面には念が宿ると言います。
古くより日本では呪いの面の話は多く、面と目を合わせただけで死に至る怪談まであります。一方で、名のあるお祭りに呼び出す神様は、お面を拠り所として姿を表します。恐るべき怪異と有難い神様とが同じ面という物体を介して人の前に姿を表すのは、面に異なる世界をくっつける能力があるからかもしれません。正に、人間の住む世界とそれ以外とを隔てる面です。そして、やはりそれは現代日本でも起きました。今回は私が鎧を着るにあたって作り出した面に関するお話です。
日本の鎧には面頬と呼ばれる防具があります。大抵それは鉄、あるいは鞣し革で作られ、鼻頭から顎、そして首までを守るように作られたお面です。我が家にあるのは二つの面を組み合わせて作ったドクロの形をしたものになります。着用者を守る防具としての役割と敵を威嚇する役割とを担う武具です。
普段、私は夢を見ない体質で、夢を見ても覚醒した時に覚えていることは希でした。
しかし、その面を手に入れてからというもの、毎晩のようにそれが夢に出てくるのです。
最初の夢は良く覚えています。鎧姿の誰かが部屋に立っていて、いきなり鎧を誉め始めました。
「この胴は特に良い。これならば野武士の大太刀も防げるだろう。満点だ!」
誰が話しているのだろうと思った。それは私の声ではなかったが、鎧を着た人がしゃべっている。この鎧は新しく作ったものであるから、前の持ち主の怨念が……ということもないはずであるのに。
「だがな、肩のところがな、ちぃとばかり小さい。もっと大きくせい。これでは心配ぞ」
可笑しいことに自分も着てみてそう思った。ああ、これは夢なのだなと思って、しばらく聞いて目が覚めた。その時は、あんまり鎧の事ばかり考えているから、そんな風な夢を見たのだと思った。だが、それから毎日夢を見れば段々と怖くなってくる。
以下に示すのは昨晩見た夢だ。朝起きて今、これを書いている。
真っ黒な夜だった。部屋の電気は自室だけがついていて、部屋と廊下を隔てる引き戸は、人が一人入れるほどの隙間が開いている。そこから不気味なほど黒い廊下が見えていた。
私は、寒いと思って引き戸を閉めに向かうと廊下に女がいた。
今思い返せば全く記憶にない女だったが、夢を見ている私は、彼女が知り合いで、時々家に遊びに来るような間柄だと分かっていた。さらに、目が不自由なのも知っていて、彼女がチャイムもならさずに、鍵の閉まった玄関を抜け、さらに暗い廊下に一人でいることに気がつき、恐怖した。
彼女はこっちを見ている。私は息を殺して引き戸を閉める。その時、見えないはずの白い目がこちらを見ているような気がした。
そのまま布団にダイブし、シーツの感触と良く干した匂いを感じていると、ふと、あの子は大丈夫か?と思った。
夢の中で私は14歳くらいだった。彼女は20代くらいの年上で、引き戸を閉めてから何のおと沙汰もない。
怪しんでそっと引き戸を開けると、彼女は聞き耳を立てるようにすぐそばにいた。
ゾッとした。背中をビリビリと何かかけずり飛び起きた。
それが夢だったと認識したのはその時であった。
顔に何か冷たいものが当たる。
怖い!と思ってそれにさわると自分の腕だった。しばらく寝返りを打っていなかったのか、鬱血して感覚のなくなった右腕が変な形になっていた。
大の大人が怖くて眠れんのです。夢と全く同じ間取りが我が家なのですから。
しかし数十分もそうしているうちに、トイレにいきたくなった。まさか、大人になって漏らすわけにいきませんから、例の引き戸を引いてみた。そこには誰もいない。
そっと胸を撫で下ろし、やることをやって布団に戻った。
思えば、怖がっているのは俺だけで、別に彼女は脅かそうとはしていないのだった。
会いに来たのだ。
それに、目が見えないという症状。先にのべた通り、面頬は特殊な面で『鼻から下しかない』。作られたときから目がないお面なのだった。
それならば、目がないので目が見えないのだと分かる。
毎晩夢枕に立って会いに来てくれているとするならば、こんなに健気な事はないではのではないか。夢に出てくるからと言って押し入れの奥に押し込むのはあんまりにも酷だ。
鎧というのは他の道具とは違うなと思った。簡単に人に譲れないと覚悟するに至る。まして捨てるなどしたら祟られてしまうぞ。これは私の体型に合わせて作った鎧。かけた情熱も大きい。何か宿っても不思議ではない。かつての戦国武将も非常に強いこだわりを鎧に持ち、鎧を作るために発生した莫大な費用の返済を、親、子、孫、三代に渡って払い続けたほどだ。もちろん彼らは鎧を引き継いで大切にあつかった。そしてそれらは殆ど現代に残っていない。さぞ無念だった事だろう。
過去、面を付けて顔から外れなくなる映画を見たが、そう言う面があってもおかしくない。と、この不思議に触れて思う。
その晩は鬼切り刃の短刀を抱いて寝った。赤ん坊よりもぐっすりと眠った。それでも夢の中で見たものを忘れることはなかった。
今晩はためしに面を枕元に置いて寝てみようかと思っている。
もしかしたらまた現れるかもしれない。今度は目の見えない彼女がすぐ話しかけられるように近くにいたいのだ。