老兵
西洋甲冑の間接部を見ると私は興奮する。
間接部は開ければ開けるほど装着者が動きやすくなる一方、開ければ開けるほど防御力は落ちていく。
この矛盾をどのように解決するかが設計士の腕の見せ所だ。
ちなみに、私は攻撃こそ最大の防御と信じる脳ミソ筋肉のバーサーカータイプなのでガッツリ開いている方が好きだ。そのようにわざわざあとから改造している。その方が熱も逃げやすい。
こちらを殺しにくる敵兵士がわずかに開いた間接部を狙えるほど高度な技術を持っていることはほとんどいないと思うし、こちらも攻撃時は走って距離を詰めるので、激しく上下に揺れている。その鎧の隙間を狙うのは至難の技だ。
だから私は、どちらかと言えば攻撃重視の設計を重んじていたが、あるコネクションをもつにいたり、その開いた口を閉じることができなくなった。
その相手とは既に現役を退いた定年後の設計者だった。
髪の毛は真っ白。もう筋肉もなくて全然強そうではない。それどころか今にもポックリ行ってしまいそうな、そういう人だった。
背筋だけはしゃんとしていて、年にしては若く見えた。
しかしなぜか、私がどんな設計をしているかを聞いて来た。
私の本業は工場用のロボット設計者。車のフレーム等に使われる鉄板を運搬する化け物を作っている。あと畑もやっている。その話をして、仲良くなった。デジタルよりもアナログのノギスを信用している、というと、笑われた。ガッチリと握手された。
その手はペンダコで歪み、ゴツゴツと強張っていた。人生の半分以上をペンをもって生きてきた男だった。生まれながらにしてペンをもっていたような人だった。彼の時代はまだ、パソコンで図面を書くのではなく、マルペンを持って手で図面を書いていた世代なのだ。
しかも、日本に金の無い時代に、高卒で上等だった時に、大学卒業して大手メーカの設計部門に就職。その後イギリスで最新の設計を学んだバリバリの設計肌。
最終職歴は設計部門部長だった。
その経歴を、だ、まったく自慢することもなく淡々と落ちついた目で、私を見据えていた。自分から一切いわないんだもの。もう、カッコいいじゃんか。そういう年の取り方をしなくちゃいかんな。
その物静の中で、我々は、とても珍しい言語を用いて会話した。すなわち、お互いの図面。図面は一定のルールをもとに書かれるため、50年前にかかれたイギリスの図面を、今、私は読める。それは彼も同じことである。彼にも私の最新のCADで書かれた甲冑の図面が読めた。
我々には設計者の意図を感じる能力があった。
彼は笑った。変態だなといわれた。
これは大変に名誉なことで私の口はあんぐり。疑うべくもなく、彼もその変態なのである。変態に誉められた。彼が設計した機械はほぼ全ての日本人が目にしているし、使った人も多くいる物だった。そういう仕事をした人。所謂天才。すげーって。伝説が今目の前にいる。なんか普通にいた。
鎧の噂を聞いて血が騒いで仕方がなかったのだろう。男の子は誰だって一度は夢を見るものだ。彼は図面を見てこれが実戦用だと気がついていた。
彼と分かれるときにも、車の窓から身をのりだした彼が、子供みたいに手を振っていたのを忘れられない。
大人になるってなんだろう。多分それは、大人になったふりをするってことなんじゃないかな。
部長を歴任した彼が、私に鎧のことを教えて欲しいと言った。
作るつもりなのだ。
『ただ、夢を見せてくれる君のような人が現れるのを待っていた』
そんな風に語った。何が定年だよ。目が燃えちゃってる。
私達はいつだって夢を見ることができるし、叶えることだってできる。
古い火薬は燻っていて、火をつけられるのをずっと待っているみたいだった。




