なろうにエッセイというジャンルが用意されていることを知った
タイトル通りであるが、昔から小説と随筆は別物という観念があったから今まで気付かなかった。その観念を醸成したのは国語教育の賜物だと思うけれども、特にその貢献度が高かったのはやはり中学受験だと思う。
小学校の国語では評論や物語文といったジャンル分けを意識するなり、あるいは説明することがなかったように思われるし、なんなら随筆なんて教科書に載っていたのか記憶に定かではない。詩が載っていたのは覚えている。あれは相当に嫌いであった。
中学の教科書であれば随筆もあったかもしれない。少なくとも、ジャンル分けは公立校でも存在していたようだから意識するようになっていた可能性はある。そう言うからには自分が私立中学出身であって、例に漏れずとでもいうのか、あまり教科書に沿った授業ではなかった。もちろん国語の教科書は使っていて定期テストにも出題範囲として使用されていたが、しかしそれ以外の分量もまた多かった。
中学国語の記憶としては、具体的に何を扱っていたかあまりよく覚えていないもののしばしば赤点を取っていた覚えがある。定期テストの出来はあまり良くなかった。
まあ、それは科目全般にいえることで、つまりはろくに勉強をしていなかったという証左である。それが6年間も積み重なれば当然に重く圧し掛かるのは想像に難くない。大学受験をすると試験時間が終わる前にガス欠となる有様で、そのために問題の時間配分どころか体力配分が必要になるほどであった。
そういうわけだから随筆なんてジャンルを区分けして認識していたのは中学受験のとき以来であるわけで、それも小学6年の終わり頃の話であるから至極短い時分のことである。ちょうど今くらいの時期だったかもしれない。およそ本格的に受験勉強に励み出した頃である。
しかしその頃は随筆をエッセイというのだということは覚えなかったように思う。だから今でもいまいちイコールで繋がり辛い。まして、文学だという認識は更なり。随分と昔の経験が今こうして響くわけだが、その知識・体験すらもなければ気付くこともない。遅かれ早かれという問題でもない。自分の知らないことには気付けないのである。そういう意味で、今まで気付かずにいた事柄は無数にあると思えてならない。