3-44.エレーナとアジメク
44.
「会いたかったわ」
「えぇ、えぇ私もです。実は、この邸でちょっと事件がありまして。扉が壊されてしまったのですが古くて手を入れてこなかった邸を今になって綺麗に修繕しきるのも難しくて。締め切っていて、もう誰も住んでいないのです。近所に居を移しております。そこまで一緒にご足労頂けますか?」
「引っ越しされていたのね、なら私の手紙は受け取っていないのかしら」
「すみません。一応、領地内の郵便屋には届けてあるので、配達物は新居へ届くようにはなっているのですが。行き違いになってこちらに届いているのかもしれません。ちょっと見てきますね」
慌ててベスが郵便受けのある方へと走り出そうとしているのを、エレーナが優しく止めた。
「いいわ。こうして会えたんだもの。手紙で訊ねたかったことはゆっくり聞かせて貰うわね」
その言葉にベスは自分の不作法さに気が付いた。
羞恥に頬を染め、ベスがふわりと腰を落とした。
その抓んだ指先からスカートが美しいドレープを描く。どうやらケインズ伯爵の報告どおり、今度の婚約者は正しくエレーナの友人の崇拝者なのだ。
髪を彩る金細工の髪飾りも、指に嵌められた指輪も、どれもこれもが上質なものだ。なによりもベスにとても似合っていた。ベス自身が身に着けることを考えて選ばれていることは間違いない。
ずっと蔑ろにされてばかりいた友人の未来は、どうやら明るいものになりそうだとエレーナは目元を弛ませた。
「はい、エレーナ様。どうぞインテバン男爵家の新しい家までご足労頂けますか? よろしければお茶をご一緒して下さいませ」
ベスのぎこちない誘いの言葉に、よくできました、とばかりにエレーナは嫣然と頷き了承した。
「レディ・エリザベス。そちらの御婦人は?」
エレーナの乗ってきた馬車に同乗させて貰ったエリザベスが降りた玄関口には、執事服を身に着けたアジメクが立っていた。
どうやら予定のない馬車の音に気が付いて迎えに出てきたらしい。
「こちらは、レディ・エレーナ。エレーナ・ハインリヒ侯爵夫人です。私の学生時代の友人なの。私と……ウィズバード様の婚約を知って、お祝いに立ち寄って下さったの」
「そうでしたか。失礼致しました。ただいまお茶の準備を致します。どうぞ」
言外に先触れがないことについて当て擦られた気がしたが、それに関しては当たり前の反応であるとベスは謝罪を口にした。
「ごめんなさいね。どうやらエレーナ様からのお手紙は、旧邸へ届いていたみたいなの」
ベスの言葉にアジメクは特に反論もなにもしないまま黙って腰を折ると、邸の奥へと茶の席の準備をするべく下がっていく。
侯爵夫人だと紹介したにも関わらず、アジメクの態度は失礼すぎる。
その後ろ姿にはため息が出そうになるが、客前なのだと背筋を伸ばし、ベスは難しい顔をしたエレーナへも「ごめんなさい。彼女はヴァリアン侯爵家からお借りしている執事なの」と謝罪し、自ら客間へと案内した。
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客間へと案内してほどなく届けられた紅茶を口にしたエレーナの表情が少し和らぐ。
「美味しいわ。給仕の手もなかなかね」
「ありがとうございます、光栄です」
突然の訪問客、それも侯爵夫人への給仕に緊張していた侍女がホッとした様子で頭を下げた。彼女もアジメクの手配でここに勤めだした使用人だ。たぶん、ヴァリアン侯爵家の使用人のひとりだったのだろう。
いつだって仕事は卒なく丁寧であるが、男爵家としての仕事に物足りなさを感じていたであろうことは明白だった。だから久々の侯爵家からのお客様への対応に、力が入っていることがベスにも見て取れた。
そうして、ごくごく自然に、惜しむことなく使用人への誉め言葉を伝えるエレーナに、憧れの眼差しを向けた。
これこそが、ミズ・メアリがベスに足りないと言っていた当主家の人間としての正しい在り方なのだろう。
侍女がサービスワゴンを下げて客間から去ると、エレーナが口を開いた。
「ベス。あなた、まだこの家の女主人として認められていないのね?」
ずばんとまっすぐにベスの胸へとその言葉は突き刺さった。
「だってまだ、婚約しただけですもの」
視線を逸らすように目を伏せて紅茶を口へ運んだ。
砂糖なしでもそれは口に甘かった。
どうやら普段、インテバン母娘に出しているものより上等な紅茶であるようだった。
この邸は国が医師へと貸している場所であり、そこに緊急避難的に住まわせて貰う為だけの、見せかけだけの契約婚約だったなど説明したら、エレーナはどんな顔をするだろう。
そう考えただけで、ベスの心は沈んだ。
そうしてユーリに張り合う為だけに、本当に婚姻を結ぶことになったなどと知ったら。
「……怒ってくれるかしら」
ぼそりとした呟きは、しっかりとエレーナの耳へと届いた。
「もちろん、怒るわ! でも一番怒っているのは、ベス、貴女に対してよ!!」




