3-33.前髪を掴め
33.
「不快な思いをさせるつもりは無かったんだ」
難しい顔をしたまま腕を組んでいたバードから話し掛けられているのだと、ベスはすぐには分からなかった。
上手く聞き取れずに「なにか言いましたか?」と聞き直した。
「……いや、何でもない。それより、あの店で君のウェディングドレスを作ることはない。これは決定だ」
少し鼻白んだ様子ではあったが否定されたし、新たな話題に関しては拒否する必要も感じなかったので、そのまま意見を受け入れる。
「えぇ。分かりました」
ベスには、金を出す人間が嫌だといっている店で物を欲しがるつもりはまったくなかった。第一、プレタポルテですら高すぎると感じたのだ。そんな店のオートクチュールするお金があるなら、領地に還元したいとしかやはり思えなかった。
そんな考えしかできないから、ケイトリン侯爵夫人を怒らせてしまうのだとは分かっていても、ベスが貴族的な考え方を受け入れきるにはまだ少し時間が必要だった。
「わかっている。女性としては流行している有名店という事も重要なのかもしれないが、これだけは貴族として譲れないと理解して欲しい」
「構わないわ。だって、流行なんてわからないもの」
「え、あ。そうか。君はそうだったな」
呆けた様子で返された何気ないバードの言葉にも、誰かとの比較を感じてしまい、ベスは手を握り締めた。
「そんなしかめっ面をしないでくれないか。君に相談せずにあの店を排除してしまったことは悪かった。だが、あそこで生温い態度を見せる訳にはいかないのが」
「そうね、平民に嘗められたまま取引をする訳にはいかないのですね。分かっています」
言葉を遮るようにして続きを奪う。
さすがのベスにだって分かる。落ち着いて考えれば、これまで受けてきた講義の中で散々教えられてきたことだ。
売って戴く訳ではない。
対価を払って物品を買う以上、せめて対等な相手としての売買でなければ駄目なのだ。
紹介者の名誉すら傷つけかねない。
「ふむ。なるほど、少しはわかってきたようでなによりだ」
「そうだといいのだけれど。けれど、どちらにしろケイトリン夫人の顔を潰してしまったわ。ちゃんと謝罪に伺わないと駄目よね」
つい先日のお茶会の席で失敗をしてしまったばかりのベスは憂鬱だった。
会って貰えるかも分からない。
「大丈夫さ。俺からクレームを入れておく」
「駄目よ!」
クレームなどとんでもないことだ。インテバン家は男爵位だ。それも没落寸前の。
それなのに侯爵家へクレームなど入れるなど許される訳がない。
たしかにバードの実家ではある。だが、インテバン男爵家へ婿入りするならば、序列というものをキチンと理解して欲しいものだ。
「駄目じゃないさ。元々、ドレス工房の紹介をお願いしたのは俺なんだから、どうして取引をしなかったのかの説明も、俺がする。当然のことだ」
自信満々に、さも当然のことのようにバードが言い切った。
つい苦手意識が先走り、お任せしてしまっていいのかと詰めていた息を吐きだそうとした時、ふいに女家庭教師との会話を思い出した。
「そうよ、チャンスの女神には前髪しかないんだわ」
「前髪がどうしたって?」
「いいえ。あのね、お願いがあるの」
ベスは勇気を振り絞って、その提案を口にした。




