3-30.セタとアジメク
30.
鋭い声で名前を呼ばれて視線をあげれば、そこにあった瞳に強く睨まれて、セタは思わず怯んだ。
「ちぇっ、なんだよ。さっきまで一緒になってオジョーサマへの悪口で盛り上がってた癖してさー」
それでもただ黙るのは収まりが付かなかったのだろう。
意地を張るように強がって、セタは憎まれ口を叩いた。
セタにだってわかっていた。自身も父を亡くしているのだ。その時の辛さはまだちっとも忘れられていないのに、まだ死んだと確定してもいない領主さまを死んだものとして馬鹿にしたのだ。
冗談では済まされないことを口にしたと今更ながら後悔していた。
「私はエリザベス様の悪口など口にしていませんよ。お前が勝手に話し始めただけでしょう」
確かに。アジメクはただセタの意地の悪い皮肉を聴いていただけだった。だが決定的なあの言葉以外は反論も制止もしなかった。だからつい、調子に乗ってしまったのだ。
裏口の扉の後ろにある影に、気が付いたから。傷つけてやりたくなったのだ。
だが、確かに仕事を取り上げられても仕方がない事を口にした自覚はあった。
孤児であるセタにとって、これほど楽しく高給を得られるまっとうな仕事などもう二度と得られないだろう。
それなのに、一瞬の底意地の悪い昏い快感を優先してしまって、すべてを失う事になってしまったようだ。
自分の口の軽さと目先に囚われた自分の間抜け具合にガッカリした。
だが、仕方がない。あの時の自分には、それを黙っている事などできなかったのだから。
「へーへー。わーかーりーまーしーたー。この話題はもう口に出しませんーっ。そんじゃ俺はクビってことだよな。わかったけどさ、今日の朝の分まではちゃんと給金くれよ」
断られるだろうし、もしかしたら領主家を馬鹿にした罪で捕まるかもしれないとは思ったが、それでも万にひとつの可能性に賭けて、セタはアジメクに向かって手を差し出した。
ここで給金を貰えたなら、教会で誰か後継にできそうな奴に話しにいこう。誰がいいだろうか。そんなことを考えていなかったら、泣いてしまいそうな気がしたから、セタは余計自分に気合を込めて当たり前のように給金を要求した。
図太い? 当然だ。そうでなくては両親を亡くした子供など生きてはこれなかった。
文句あるかと強気で見上げた相手は、何の感情もなくセタを見下ろしていた。
その冷たい視線に負けないように唇を強く噛みしめ、セタは力を籠めて睨み返した。
どれくらいそうしていただろう。
ふっとアジメクからの圧が弛んだ。
「あなたの次の給料日は、まだ先ですよ。給料の前借りはできません」
「え、俺、仕事クビになるんじゃないのか?」
「辞めたいのですか?」
「いいや。ここでの仕事は給料高いから辞めたくない」
「ふふっ。正直ですね。なら働きなさい。あなたの心がどれほど領主家から離れていようともその働きさえきちんとしていればクビを切ったりしませんよ」
ぱあっとセタの表情が明るくなった。
「わかった。ご領主さまのことも、悪口言ったりするのもしないようにする」
「そこは“しない”と断言するところでしょう?」
呆れた様子のアジメクから苦言を呈されたが、先ほどの反省はどこへいったのか、浮かれたセタは一蹴した。
「嘘は吐けない。でも、仕事中は止めとく。あとできるだけ領主家の人の前でも気を付ける」
それでも少しは処世術というものを思い出したらしい。
言葉を付け足して、セタはそう宣言した。
「まぁいいでしょう。仕事だけはしっかりやって下さい」
ついっと、アジメクの視線がそこへ動いたことに気が付いたセタは、大きく息を吐いた。
どうやら、裏口の内側にいたその人はいつの間にかどこかへ行ってしまったようだった。
元々その人のスカートが見えた事でセタの言葉が過ぎたものになってしまったのだ。
軽口めかして、本音を聞かせてやりたくなってしまった。現実を見せつけてやりたくなった。
呑気で、お人好しで、なんにも見えていない、世間知らずのオジョーサマに。
「それにしても、あんたホントいい性格してるのなー」
ベスが去っていたことに気が付いた、セタが少しだけ口を尖らせて愚痴る。
それを受けて、対峙していた秘書がすっと目元を眇めた。
その表情は、笑っているようで、まったく笑っていなかった。
「ちぇっ。俺の名前出しやがって。根性無しのオジョーサマには、自分から顔を出して文句いう気概どころか、誰が言っているのかちゃんと確認することだってできやしなかっただろうに」
「あれ以上、エリザベス様への侮辱を私の目の前で続けさせる訳にはいきませんよ」
「うわっ。嘘くせぇ。止める気があったら、もっと前に止めてんだろ」
少年の抗議に、今度こそその綺麗な顔に笑みを浮かべる。
「聴かせたのはあなたでしょう、セタ。お疲れさまでした。午後にはあなたの大好きなお嬢様が診療所に向かいます。いいですか、ちゃんとお仕事はして下さいね」
でないと本当に解雇しますよ、と続けられたその言葉に、少年は殊更嫌そうに顔を顰めると、「わかってるよ」と返すと、イーッと舌を出して駆けていった。




