3-28.できそこないの不出来な娘
28.
「はぁ、母親にこんなにも大きな声を出させるなんて。病で動けない母親のことなど、どうでもいいとでもいうのね。あぁいやだいやだ。何て親不孝な娘だろう」
ベスが部屋まで辿りつくその瞬間まで、ベスの名前を呼び続けていた母シーラは、ベスの顔を見た途端、その顔を大きく歪めて罵り始めた。
いつものことである。だが、何時も聞かされている事だとはいえ、詰る言葉を投げつけられ続けても平気になる訳ではない。
耳を塞いでやり過ごしても、言葉の刃で切り付けられた傷跡はいつまでもじくじくと傷んでベスの心を苛み続ける。
それでも今日のベスはいつものベスとは少し違っていた。
ほんの少しの違いではあったが、ただ黙って頭を下げて嵐が過ぎ去るのを待つのではなく、嘆き喚く母親に、自身の都合を話して遅れたことへの理解を求める。
「お客様がいらしていたの。女家庭教師を御見送りしていたところだったのよ。それに」
ぐっと腹に力を入れて説明をしようとしたベスであったが、残念ながらその言葉は、母シーラの嘆きに、更なる理由を付けただけだった。
「あぁ、あぁ。なんてこと! たかが使用人を見送る方が、母の求めに応じるよりずっと重要で大切なのだとあなたはいうのね、エリザベス。母である私が、娘であるあなたを呼んでいるのよ? 困っているのだとわからないの? あぁそうね。あなたは可哀想な母を置いて、ひとりで侯爵家へ遊びに行くような、冷たい娘だものね。哀れな母親がどれだけ寂しい思いをしたのかなんて、分かろうともしないのね。あぁ、私の娘は、なんてひどい娘なんでしょう」
憎々し気にベスを睨みつける視線に力が籠る。
どうやら最後の一文を投げつける為に呼びつけられたらしいと分かって、ベスは心の中でこっそりと溜息を吐いた。
「今回のお茶会には、侯爵夫人から私一人をお誘い戴いたのよ」
知らず、呆れたような声が自分から出てしまい、ベスは慌てた。
こんな言葉を選んでしまうなんて、迂闊としか言いようがなかった。これでは更に母を怒らせることにしかならないのに。
果たして、ベスが悔やんだ通りに、母シーラは悔し気に枕を掴み上げるとベスに向かって力の限り投げつけた。
バフッ。
これまで暴言ならば何度も幾らでも叩きつけられてきたものの、実際に物を投げつけられた事などなかったベスは、非力な母親のそれを避けることができなかった。
辛うじて手で庇えはしたものの、突然の暴力に、呆然としてしまった。
真面に頭にぶつかったとはいえ所詮は羽根枕だ。身体の痛みは無いに等しい。
けれどもベスの心は、激しく動揺した。
思わず呆然と立ち尽くしたベスに、母シーラは気が付くことなく、暴言を浴びせ続ける。
「そこをなんとかして戴くのが娘の愛情でしょう? 本当に……あぁ、なんて冷たいの! お前は自分だけが、侯爵家と縁続きにでもなったかのようにして。母親である私を除け者にしようと画策しているんだわ!」
「そんなっ。おかあさま。私は、そんな事を考えた事などまったくございません」
「嘘おっしゃい! あぁ厭だ厭だ。こんなに堂々と嘘まで吐くようになって。おとうさまが生きていらしたら、どれだけ嘆くかしら」
「おかあさまっ。おとうさまは、まだ……」
死んだと確定していないのに、そう決めつける母の言葉にベスの心が挫けた。
わあわあと嘆き悲しむ母シーラに、ベスはそれ以上反抗する言葉を見つけることはできなかった。
「……たいへん、もうしわけ、ありません、でした。新しい枕をお持ちしますね。それと、バード様から頂いた、心を癒すお薬を、いまお持ちします」
ゆっくりと、床に落ちた羽根枕を抱き上げて、そのまま深く頭を下げる。
母シーラは、ベスが謝罪を口にした事で満足したのかけろりとした様子で、「あの、トウモロコシの菓子も付けてね」などと注文を付けるとベッドに深く潜り込んだ。どうやらベッド脇に置いておいたクッションを枕の代替品として使う事にしたらしい。
前ならばそういった細々とした事もすべてベスの手で行なわせていた事を考えると、確かにシーラの体調は復調してきているようだ。
その事を喜ぶべきだとベスはなんとか自身の思考を誘導して、無理な笑顔を作って「すぐに戻りますね」と、母シーラの部屋から辞した。




